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カテゴリ:憲法に守られた平和
アボカドの芽が育って来ました。桜の咲くころに水栽培をはじめたのですが、全然芽が出てこなくて、暖かくなったので土に埋めてみました。(タネは半分表面に出すのだそうです)。 6月も半ば過ぎにやっと芽が出て、1週間くらい経過したところ。大きくなっても実がつくまでにはならないらしいけど、そのうち生育状況をまたアップしますね♪花が咲くといいけど。 今日の東京新聞に「荒廃する鈴木安蔵の生家」という記事が乗りました。次の世代が続かなかったのか、と思って読んでみると、その場所は福島県南相馬市小高区。見出しは 「9条ルーツ 規制区域に」でした。 記事によれば、鈴木安蔵は1904年~1983年の人。東京大学在学中に治安維持法違反第1号「学連事件」で摘発され自主退学。1945年、「憲法研究会」で「憲法草案要綱」を起草。その要綱はGHQ案の下敷きとなった。 安蔵が生まれ育ったこの場所、旧小高町は、世界でもまれな平和憲法のルーツは、この場所であるともいえる、と記事は書く。 しかし、安蔵の生家は、原発事故後警戒区域とされ、立ち入りが禁止された。今は避難指示解除区域となったが、夜間の立ち入りは今も禁止。 安蔵の生家は町の中心部、商店街の中にあり、通りに面した「林薬局」の看板。裏手の大きな屋敷も、蔵が崩れ落ちて荒れ始めているという。 安蔵はこの家でクリスチャンの両親のもと、明治37年に生まれたのだそうです。安蔵が両親とともに通った教会も、今は無人の状態で残っているそうです。 家は安蔵の姉夫妻が薬局を営んで守り、そのお孫さんたちが暮らしてきたが、原発事故のため千葉県松戸市に避難しているそうです。 映画「日本の青空」を見たことがあります。治安維持法で拘束された安蔵に家族が本を届けるシーンもあった・・・ような。(ここは母べえとかぶる)。母べえ の夫は獄死してしまったけど、安蔵は解放されて、仲間たちと憲法草案を作り、GHQに粘り強く新しい憲法を理想の憲法にするよう交渉するのです。 新しい憲法に、安蔵たちは晴れ渡った「日本の青空」を見る・・・。感動的な映画でした。 安蔵の弟子である金子勝さんは 『条文解釈だけだった憲法学をマルクス主義を基に社会科学に押し上げたのが先生。経済原則を突き詰めれば戦争が始まる。だから政府を憲法でしばる必要があると考えた。』 と解説。 また『草案を作る過程で先生が強く主張したのは抵抗権でした。悪い政府は民衆が倒してもよいとする権利です。全会一致の原則から採用されなかったが、先生の精神はここにあった』とも話す。 日本国憲法の幹となる考えを育んだ特別な土地・・・が南相馬市なんですね。安蔵の生家を、ぜひ保存して9条とともに世界の人たちに教えてほしい。本当は政府の仕事だと思うけど。価値観が全然違うので、だめね。
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最終更新日
2015.06.30 13:15:21
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