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第7官界彷徨

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2016.02.08
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カテゴリ:読書日記

 三島由紀夫の「師・清水文雄への手紙」を読みました。

 清水文雄氏は、昭和14年に三島由紀夫の国文法と作文の担当になったそうです。15年に寄宿舎の舎監になったため、三島少年は舎監室をたびたび訪れ、薫陶を受け、翌16年、「花ざかりの森」を「文藝文化」に推薦、その折に「三島由紀夫」というペンネームをつけたそうです。

 三島について多くを語ることのなかった清水先生への三島由紀夫の99通の手紙と、三島についての先生のエッセイ2つが載せられています。

 昭和22年に学習院が民間に移った年、清水文雄氏は故郷広島に帰り、広島大学教授や比治山女子短大の学長などを経て、平成10年、94歳で亡くなられたそうです。

 昭和41年、奈良・広島・熊本旅行では、広島の清水氏と3日間ゆっくり話ができたらしい。この旅には、ドナルド・キーンさんなども奈良や熊本では一緒だったらしい。

 恩師への書簡を見ると、三島少年は、すっごく素直でひたむきだったことが分かります。

 昨日の東京新聞「ドナルド・キーンの東京下町日記」は、『三島との最後の晩餐』でした。

 演出家の宮本亜門さんが、三島の最後の戯曲「ライ王のテラス」を上演するにあたり、参考にしたいと三島について聞きに来たということから、三島との思い出を。三島とキーンさんって、かけがえのない親しい友人だったのですね。

 キーンさんの文を少しご紹介します。

(前略)宮本亜門さんに三島とのエピソードを語る)

 三島は私に「ベタベタした関係を望まない」と話し、個人的な話に立ち入ることを避けた。それでも文学や世界情勢など話題は尽きず、いつも大声で話し、大笑いして会話は弾んだ。

(中略)

 そんな昔話をしながら、三島が自決する三ヶ月前、七〇年八月の出来事を思い出した。三島は毎年夏を静岡県下田市で過ごしていた。そこに、私を招待した。

 その日の昼食はすしだった。三島は中トロばかりを注文した。夕食時には共通の知り合いが加わり三人で和食店に出かけた。三島はいきなり伊勢エビを五人前も注文した。それでも「足りない」と二人前を追加した。

 高価なメニューばかりを食べ急ぐ三島は初めてだった。何かがおかしいと感じた。私は約束を破り、「悩みがあるなら、話してくれませんか」と内面に触れようとした。三島は目をそらし、押し黙った。何も答えなかった。

 今、思えば、最後の晩餐にもシナリオがあったのだろう。翌日、三島は遺作「豊饒の海」の最終章の原稿を「読みませんか」と私に手渡した。前の章をまだ読んでいなかったので断ったが、私の反応は筋書き通りだったのか。それとも、読んで何か意見を言えば、その後のストーリーは変わったのか・・・。

 翌九月に私が羽田空港からニューヨークに向かう朝、徹夜明けだったろう三島は、無精ひげに充血した目で見送ってくれた。そんな姿も初めてだった。

 「豊饒の海」の最終章には三島が自決した七〇年十一月二十五日の日付が残る。歴史上は書き上げた直後に自衛隊市ケ谷駐屯地に向かったことになっている。だが、三ヶ月前に最終章はあった。日付は最後の演出かもしれない。(後略)

☆三島の本、読もうと思いつつ全然読んでいません。正しい日本の小説なのかもね。

 ところで、文学書の売れすじランキングを見ると(トーハン)、いまだに又吉直樹の「火花」が毎週1位なのね。日本の純文学の読者の人口が、多いんだか、衰退しているのか・・・理解できません。

 又吉直樹氏には、次回作は、私の希望としては、沖縄の又吉家のおばあちゃんのことを書いてほしいな!♪






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最終更新日  2016.02.08 19:57:14
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