3934505 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

中国茶・台湾茶と旅行 あるきちのお茶・旅行日記(旧館)

中国茶・台湾茶と旅行 あるきちのお茶・旅行日記(旧館)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Freepage List

旅行記索引


台湾旅行記(2005.12)


龍井茶と安渓鉄観音のお茶旅行記(2006.05)


知床旅行記(2006.07)


台湾お茶旅行記(2006.09)


立山黒部アルペンルート旅行記(2006.09)


ちょこっとシルクロード(2005.08)


台湾・茶器と茶荘めぐり(2007.01)


龍井茶を探しに(2007.04)


台湾秋茶づくり旅行(2007.09)


台湾かけあし旅行(2008.05)


北海道旅行記(2008.08)


沖縄旅行記(2008.09)


台湾旅行記(2008.10)


お茶を学びに杭州へ(2009.03)


山陰街あるき(2009.05)


芒種の台湾(2009.06)


吾妻渓谷と榛名山の旅(2009.08)


上海万博の旅(2010.05)


台湾旅行記2011初夏(2011.06)


台湾旅行記2012初夏(2012.06)


バニラで行く年末台湾2013(2013.12)


台湾旅行記2014初夏(2014.06)


梨山製茶ツアー参加記(2015.07)


台北近郊プチ茶旅(2016.01)


お茶索引


中国茶・緑茶


中国茶・白茶


中国茶・黄茶


中国茶・青茶-福建省北部


中国茶・青茶-福建省南部


中国茶・青茶-単叢・その他


中国茶・紅茶


中国茶・黒茶


中国茶・花茶


台湾茶・緑茶


台湾茶・青茶-高山烏龍茶


台湾茶・青茶-凍頂式烏龍


台湾茶・青茶-その他


台湾茶・紅茶


台湾茶・花茶


茶外茶


ペットボトル茶


その他の国のお茶


日本茶


中国茶ブックマーク


国内のお店


台湾情報


中国茶の勉強


茶人な皆様


連続記事まとめ


花粉症に効くお茶を考える


中国茶の学び方


台湾でお茶を買うノウハウ


中国茶の資格について考える


中国茶は難しいか


中国茶と台湾茶


日本での中国茶の歴史を振り返る


日本全国茶館・茶荘・教室めぐり


お茶の本・雑誌


Favorite Blog

ちび子の旨いものパ… ちび子113さん
大好き teatime ティーコジーさん
碧眼猫的茶巡游 碧眼猫さん
華屋敷 ハナやシキさん
kinokoの手作… **kinoko**さん
グリザベラの館 グリザベラ4163さん
そらいろ茶(sorairo… ニココ3628さん
Primary T… yukina28さん

Calendar

Comments

yuka@ Re:日本全国茶荘巡り-リリーの薔薇園(東京都台東区蔵前)(04/19) うちの息子 小6でそのときに花粉症に …
蟹江蟹蔵@ Re:電茶壺、輸入します!(05/11) はじめまして今2017年2月なのですが …
あるきち101@ 香香茶さんへ お返事がすっかり遅くなり、申し訳ござい…
香香茶@ Re:秋~冬のイベントあれこれ(08/28) 10月くらいから12月くらいにかけてお茶関…
あるきち101@ 俳茶居 呑亀さんへ 先日はありがとうございました! あまり会…

Archives

2024.04
2024.03
2024.02
2024.01
2023.12

Keyword Search

▼キーワード検索

Rakuten Card

2008.08.13
XML
テーマ:中国&台湾(3301)
カテゴリ:旅行
2005年8月末から9月始めに行った旅行記の続きです。(今までの一覧

暑い暑い火焔山を出発し、山の裏側に回っていきます。

火焔山の裏側

これが、あのひだひだの火焔山の真裏になります。

この辺の山は、どこも赤茶けていて、まるで火星のようです(^^;)

赤茶けた山


そんな火焔山の裏側にかつての仏教遺跡があります。

ベゼクリク千仏洞入り口

柏孜克里克(ベゼクリク)千仏洞

火焔山の山麓に掘削された石窟群。
6世紀の麹氏高昌国の時代から、唐を経て元の時代まで、開削が行われていたとされます。

その最盛期は西ウイグル帝国がトルファンを統治していた、9世紀半ば。

現在のウイグル人はイスラムに改宗していますが、この時代までは敬虔な仏教徒だったのです。
敦煌でも見られたように、石窟の中に仏像を設置し仏教壁画を描いて、寺院としていました。

ベゼクリク千仏洞

ベゼクリク千仏洞2

その遺構が、今に残されています。

ここに描かれた壁画は、文化的な価値の高いものが多かったようですが、偶像崇拝を嫌うイスラム教勢力の伸張により徹底的に破壊が進んで失われてしまいました。

その中でも残されていた誓願図という壁画。
この壁画は、帝国主義時代に列強各国の探検隊(イギリスのスタイン、日本の大谷探検隊など)によって、削り取って持って行かれ、今はごく一部を残し、ただ壁面が残るのみになってしまっています。

つまり現在は、石窟の形はあるものの、中身はがらんどうになってしまっているわけです。
この誓願図の復元の模様は『新・シルクロード』中国編の第2集「トルファン 灼熱の大画廊」の中で見ることができます。




列強の探検隊が持ち去ったと聞きますと、「全く植民地支配のようで帝国主義はどうしようもない!」と思ってしまうところなのですが、削り取って持って行った、彼らは「これ以上、ここに置いていてはイスラム勢力に破壊されてしまう。我が国へ持って帰って保護をするべきだ」という考えに基づいていたようです。

中国政府の考え方は、文化財を略奪されたという考えなのですが、当時の時代の気分を考えると、どちらが正しい行いだったのか。

歴史というものは、後世の評価を経て初めて定義されるものなのだなと感じる遺跡です。

各石窟の中身はがらんどうなので、見るべきものは特にないのですが、背景を知ると考えさせられてしまう遺跡でした。



ベゼクリク千仏洞を出て、次に向かったのがアスターナ古墓群です。

アスターナ古墓群

阿斯塔那(アスターナ)古墓群

何もない荒野のように見えますが、ここには高昌国と唐代西州の住民たちのお墓があります。
遺体はミイラ化して保存されており、ここからの出土品は当時の様子を知るための貴重な資料になっています。

お墓

一部の墓は公開されていて、ミイラの姿を見ることもできます。
入り口は階段状になっており、これで墓室の中に入っていきます。

お墓へ入る

で、ミイラとご対面。
#写真は撮っていません。ご安心ください。
乾燥しているのでカビっぽさもなく、ガランとしています。
永遠の眠りについていたはずの墓地に入るというのは、なんだか妙な気分です。


お墓の中から、出てくる途中、空を見あげてみます。

お墓の中から出てくるところ

ちょっとしたゾンビ気分?

しかし、トルファンの空は、どこまでも青いのです。


ちなみに、ここで日本人の留学生2人組に会いました。
北京の大学に語学留学しているのだとか。中国語ができるので、新疆の旅も苦にならないわけですね。

その彼女たちが、私のカメラ(ちょっと大きめのコンデジ)を見て一言。

ひょっとして、カメラマンの方ですか?

一人旅は結構怪しい人に見られますが、大きなカメラを持っていれば、”写真家”と思ってもらえる効果があるようです。
人目を気にしてしまう、小心者の一人旅愛好者(←私)には、大きなカメラを持ち歩くことをオススメしますw
#以来、私の一人旅には大きめのカメラが必需品となりました(^^;)

次は、高昌故城です。
続く。


人気ブログランキングへ
乾燥地帯ならではの景色♪





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.08.13 15:11:22
コメント(12) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.