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朝吹龍一朗の目・眼・芽

朝吹龍一朗の目・眼・芽

ばっちっこ その27から

ばっちっこ その27(上)

「さまなぶれ。さむ、おん、ざ、ぶれいど。オヤユビ、ブレイドノ、ウエ、ネ」
俺からナイフを取り上げ、実演する。右手に握ったナイフの刃を上に向け、親指の腹を刃の上にそっと置き、左手で右手首を上からしっかり押さえる。右ひじをわき腹まで引き、左の前腕を水平になるくらい上げると、左ひじが心臓をうまい具合に隠してくれる。その体勢のまま相手にぶつかれ。銃が出てこなければ、これが大男の戦略としては必勝のパターンなのだという。
「チビは、だめね、これじゃあネ。でも、ノブはダイジョーブネ。でも、喧嘩はしないほうがいいネ。逃げるが勝ちって、チャイナのストラテジーネ。ボクモ、このごろ、シナイネ」
左の前腕から上腕の外側にかけて、大きいものは5センチ以上ある古傷を見せてくれた。右利きの相手ならこうなるに決まっている、だから肘で心臓を守る体勢がいいのだと言う。

こんなきわどい話も含め、ジャックとのフランス語会話練習は、フランス語だけでなく英語と日本語の文字通りちゃんぽんで進められた。まじめな話として、アメリカやフランスの文化だけでなく、ひいおじいさんたちが住んでいた北アフリカの実は古い文明の話などを題材にして語られる、40歳をとうに過ぎた老メカニックの授業は、生きた異文化を感じさせてくれた。俺は俺で若いなりに知っている限りの日本の文化や習慣を日本語とフランス語でジャックが理解するまで話した。だからジャック自身も俺との会話を通じでだんだん日本語がうまくなっていった。同時に、ますます桃代との演奏に一体感が増していくのが感じられた。


俺は、嫉妬していた。夢を見た。
桃代がジャックの巨体に押しつぶされながら何か叫んでいる。年を経て頭の先端が白くなったマッコウクジラに手足が生え、殆ど顔も隠れてしまうほどに組み敷いた桃代の白いすべすべした両肢をむりやり拡げている。巨大な尻尾がクジラの下半身を持ち上げると、俺の足より太くて真っ黒いものが丸太のように膨れ上がり、桃代の両足の間めがけて突進していった。俺の意識は桃代の視線と、マッコウクジラの股間のモノと、外から見下ろしている鳥の目、そして二人を見上げるアリの目の4つの視座を目まぐるしく回遊した。犯されている桃代は決して嫌がっていない。犯しつつあるマッコウクジラの股間のモノはいつの間にか俺自身のモノと感触が一致し、俺は桃代を暴力的に犯すことに頭の後ろが痺れるような快感を見出している。空から見ると、回りの建物との寸法の不釣り合いがはっきりし、どうやらこれは夢らしいと気づく。地面から見上げたマッコウクジラの顔がジャックにそっくりであることを確かめた途端に目が覚めた。珍しく風邪気味で調子が悪く、母親の布団でうとうとしていた土曜日の夕方だった。
 
12月に入ったばかりだがすでに新宿にはクリスマス飾りがあふれている。相変わらず母親はデパートの地下でパートの毎日が続き、兄は落第せずに大学3年を無事終えようとしていた。弟はY中学校150人中145番だそうで、都立はどう頑張っても無理、私立なら目をつぶって入学させてくれるところもあるにはあるが、学費は相応に高い。大丈夫ですか、なんてずいぶん失礼な言いかたじゃないかと母親は憤慨して帰って来た。
「信彦さんが国立だから、その分、いいわよね、かわいい弟だもんね」
俺は苦笑することで同意を示した。どこがかわいい弟なものかとも思ったが、母親からみて『かわいい』のだろうと納得した。母親は少し皺と白髪が増えたが、太りもせず、依然として美しかった。高校に入ってから自宅で食事を摂ることは滅多になく、小遣いも貰っていないから経済的には迷惑をかけていない。翌日行われる、Y予備校主催の公開模擬テストの受験料も桃代か響子かから貰った金で先週払いこんできた。いや、俺自身が稼いだ金だったかも知れない。

本来は浪人や高3が受ける大学受験用の模擬テストである。俺のクラスの親友たちが揃って受けるというので仕方なく参加することにしたのだが、高校名には実名でなく『三ツ矢農林』と書けというのが条件だった。校章が稲穂3つをかたどっていて、見ようによっては矢羽のように見えるところから、俺たちの学年が好んで使った偽称の一つである。しかも氏名欄も偽名で『東山 南』『南川 西』『西田 北』『北野 東』でエントリーすることにした。俺自身は風邪のせいもありまたマッコウクジラの悪夢のことも頭のなかをちらちらし、いや、マッコウクジラに貫かれている桃代の細い足が気になって試験の出来はあまり良くなかったが、親友たちはそれなりに手ごたえがあったようだった。結果発表が楽しみだと言い交わしながら帰った。


ばっちっこ その27(下)

翌日も微熱が続いて気分がすぐれず、初めて高校を休んだ。が、3時ごろ起きだして下北沢経由で立川へ出かけた。桃代のベースは置きっぱなしだったので手ぶらである。いや、本当は俺の左手は恥ずかしげもなく桃代の右手を握りしめたままだった。立川駅に降りたときには二人の掌(てのひら)は白く汗でふやけていた。

オックスにはしゃれた楽屋がある。右手がすっかりやわらかくなっているのに珍しく少し焦り気味の桃代は、それでもついに手を拭かないままステージに上がるようだった。弓を持つほうの手だったからさして演奏には影響がないと踏んだのかもしれないが、それでも俺は桃代に愛されているという気持ちが昂(たかぶ)った。

例によってドラムスのジャック、ベースの桃代にピアノは新顔で浅田という初老を通り越したくらいで小太りの男がアサインされていた。珍しくダブルホーンで、背の高い中年のトランペッターと俺とあまり年が違わないのではないかと思うくらい若いテナーサックスが大きなケースを抱えて最後に楽屋入りした。見ると浅田の左手に茶色く血のにじんだ包帯が巻いてある。本人はちょっと転んだ拍子に手を切ったと弁解したが、信じたのは俺くらいのもので、残りの4人は顔を見合わせるとどうするつもりだ、それじゃあセッションにならないじゃないか、と口々に言い募った。

浅田はもごもごとさらに弁解めいた何事かをつぶやいていたが、やがて、誰かが低音を弾いてくれりゃあいいんだ、と訳のわからないことを言い出した。するとなんでもないことのようにジャックがそれならノブにやらせたらどうか、最近ブルクミュラーも終わったらしいぞ、両手を使えば何とかなるだろうし、和声だって習っているんだからトニック(注1)くらいはわかるだろう、連弾のジャズってのも面白いんじゃないか。と同調する。
「それならコード進行を譜面に入れてやりなよ」
桃代が浅田に向かって言った。ところどころにコードは書き込んであり、普通のジャズメンなら常識的に次に何が来るかはわかるけれど、素人にはそれでは酷だろうからということで怪我していない右手ですごいスピードでCだのDmだのFsus7だのと入れてくれた。

ああ、こりゃクラシックで言う掛留音(注2)で、2度下がって解決、ここは右手と左手のリズムがうまくからんでいて、結果的に倚音(注3)に見える形になっているから、それでsus7なのね、という感じで、即席のコード進行譜面どおりに弾き始めたが、そのうち習ったばかりの和声学から不協和音を拾ってそこここにちりばめてアドリブを遊び始めると、一応この日のリーダー格だったトランペッターが本来なら桃代の、ベースのソロになる局面で俺に振ってきた。特に声で指示があったわけではない。こういう合図は不思議とセッションメンバー全員に暗黙のうちに伝わるものと見える。

わずか2分か3分のことなのだが、俺はびっしょりと汗をかきながらソロを歌った。高音部も借りて、これも覚えたてのドミナント連鎖をモーツアルト張りに弾き回せば、クラシックベースの和音進行が田舎ジャズとしては新鮮だったのかもしれない。20人ほどの客席からそこそこ拍手は取ることができた。もちろん俺としては大いに不満としか言いようのない稚拙な演奏なのだが、それでも拍手に応えて立ち上がればそれなりにいい気持ちがした。

40分ほどのセッションで2回、ソロを取らせてもらった。ステージ挨拶のために取り敢えず全員立ち上がったので俺も並ぼうとすると、一番後ろのジャックが椅子を倒しながら、すなわち彼らしくない慌て方で俺の横に出て来た。客席の後ろの方から、軍服を着た30そこそこの若い男がにこにこしながら近づいてきているのが見えた。First Lieutenant(ファーストルテナン:注4)と、小さい声でジャックが言った。


注1:ある音階の主音(トニック)のこと。たとえばハ長調ならドの音。
注2:前の和音の一音が惰性のように引き延ばされて次の和音と不協和音関係になること。
注3:ある和音が鳴り始めたときにいきなりそのハーモニーに居座る感じで入って来る非和声音で、鳴っている和音の構成音の2度下か上の音。
注4:アメリカ陸軍および空軍での呼称。昔の日本軍でいえば『中尉』。


ばっちっこ その28(上)

近づいてくるのはファーストルテナンだけではなかった。桃代ほどではないけれど十分美人と言える金髪の若い少女二人連れ(あとで25歳とわかった)も両手を広げてステージに歩み寄ってくる。なんとなくそんな仕草に迎えられるような気分で、本当は俺だけのために用意されたのではないスポットライトの真下に陣取った。期待したのは美人二人だったのだが、それを押しのけるように近づいてきた若々しい中尉殿は、アの音がアエにつぶれる南部訛り丸出しの英語で、ジャズの連弾は初めてだったこと、普通のジャズとはコード進行が微妙に違っていて新鮮だったこと、そして演奏が上手だったことを述べたうえで、自分はロバート・ヘンリー・リーだと名乗った。訛りさえなければけっこう美形だし、アメリカ本国でももてもてなんじゃないかと思いながら、
「リー? ロバート・リー? ジェネラル・リー?」
それじゃあ南北戦争で負けたリー将軍そのものじゃないかととっさに返事をし、そのまま俺が目をぐるぐる回して考えていると、有名なリー将軍はロバート・エドワード・リーで、しかし自分の親はダンカン・キャプリン・リー(注1)というのだと自己紹介された。

お返しに俺も何か言わなければならないのだが、美人二人も気になっている。口ごもっているとジャックが今日の顛末を簡潔にまとめてしゃべってくれた。なるほどそういうことでしたか、即興がジャズの本領とは聞いていましたが、真髄を聴いた気がします。よかったらまた来てください。このころ習いたての英語の敬語用法なんて殆どわからなかったから、訳はあてずっぽうのところもあるが、大体こんな中身のお世辞が並べられた。おれは降ってわいた状況にちょっとだけ動揺した。視線が宙をさまよっているのに気がついたときには両腕に美人を抱き取っていた。二人とも俺よりは背が低いが、ハイヒールのせいで唇の高さは5センチ下といった具合で、右左交互に4回キスした。右の女性の左右の頬、左の女性の左右の頬で、計4回だ。サービスのつもりで胸のふくらみにも平等に4回タッチした。嬌声の間にリー中尉は自分の席に戻っていった。

更に2回のセッションをこなし、12時を少し回った時分に俺たちは都内に戻ることになった。この日のリーダーの灰本は酒が飲めない体質なので、こうした遠隔地でのセッションの帰りは必然的に運転手になる。浅田を日野で降ろし、テナーサックスの千葉とは高幡不動で別れると、後部座席には俺と桃代だけになった。関戸橋を渡り20号線がまっすぐになるあたりで、それまで黙っていた桃代が
「うまいじゃん」
bとつぶやいた。お世辞に決まっているのだが、俺はすなおにうれしかった。金髪美人に色目を使っていたのに気付いたかどうかが気にはなったが、リー中尉におごってもらったバーボンの心地よい酔いに負けてしまった俺は桃代から流れ出てくる何とも言えないいい香りとちょっと焦げくさいバーボンの香りに浸りながら寝てしまった。

気がつくとすでに下北沢の桃代のアパートの前だった。揺り起こされて眠いまま、ベースを抱えて階段を上った。部屋はいつもの通り片付いていて、いつもの通り床が延べてあった。

その週は水木金と期末試験だった。進学を考えていない俺にとっては成績なんてどうでもいいのだが、せっかく面白い授業をやってくれる教官たちに敬意を表して欠席だけはすまいと思って臨んだ。いざ受けるとなると、面白いものでそれなりに勉強する気になる。結局桃代の家どころか響子のもとにも顔を見せることなく土曜日になった。

新宿でのセッションが跳ねたのは11時過ぎだったので、新宿駅から小田急線で戻ることにした。ベースを俺が抱えて改札口を通る時、子供料金が必要だと駅員がいちゃもんをつけて来たが、12歳以下は無料でしょ、という桃代の一言で駅員が笑い出し、無事通過できた。この手はこのあと何回も使わせてもらったが、そのたびに国鉄(この頃はJRとは呼ばなかった。ストも多かった)駅員も私鉄駅員も、ある者はあからさまに笑い転げ、ある者は口を押さえて吹き出し、ある者は苦い顔をしたが、結果的にすべて無賃乗車を許してもらうことができた。

注1:このときは知らなかったが、後で調べると、有名なソ連との二重スパイだった。
  参照 http://en.wikipedia.org/wiki/Duncan_Lee  


ばっちっこ その28(下)

この年のクリスマスイブは月曜日だった。桃代に言わせると、新宿や渋谷のライブハウスの方が普通はずっとギャラがいいのでそっちに行くのが常識なのだが、なぜか今年は立川のようなド田舎のオックスが一番高く買ってくれたのだそうだ。
「遠いけど、付き合う?」
「愚問、じゃない?」
「でも帰り、遅いよ、朝帰り、かもよ」
「いつだってそうじゃん」
「でも、クリスマスイブだし。おかあさんとか、おかあさん代わりとか」
「それって、誰のこと?」
「あーんたねえ、そのくらいのこと、ああしだってね、しーいってるわよ、何よいまさら」
「好きな男のことは何でも知ってるわけね」
「はいはい、ああし、のぶさまのこと、好き、よ。はい、気が済んだ?」
「敢えて抵抗しないよ、俺は。桃代が好きだ」
「じゃあ、また連弾でエントリーしとくから」

「なあ、もしかして桃代、妬いてくれてんのかな」
桃代は普通にしていても十分大きい目を更に見開いた。それは驚きと言うより恐怖に近い色を浮かべているように感じられた。
「なーんであんたのこと妬かなきゃいけないのよ。思いあがんのも程度問題にしなさいよ。出てけ」
俺はすなおに謝る気になった。12月初めのセッションの時からずいぶん『すなお』になった気分だ。
「ごめん、確かに俺の思い上がり。つい、まわりに俺以外の男が見えないから、ついつい、そう、ついつい、俺のもんだと勘違いしました。すいません」
「わかりゃ、いいの、わかりゃ、ね。でものぶさま、そう口ではなんでもゆうけどね、わかってないけど、ね」
「以後、気をつけます。って、またやっちゃったら、またごめんね」
これ以上間が持てない。俺はいつもの通り片付いていて、いつもの通り延べてある布団の上に桃代を運ぶと、いつものように、しかし毎回違う桃代の隅々を確かめることに専念した。

「たぶん、ジャックとリーだよね、立川くんだりでこんなギャラはありえないよ」
桃代の予言通り、満席のオックスにはリー中尉が上官と思しき40過ぎの銀髪男性と二人で来ていた。2週間近く練習時間があったので、今回はアドリブだけでなくきちんとリズムセクションとしての役割も果たせたと自画自賛できる演奏だった。浅田の左手も治っているので、ピアノの低音部が3本の手で弾かれるという変わったセッションだった。

今度はステージアプローズではなく楽屋に中尉が訪ねて来た。再びジャックが中に入り、あれこれと通訳まがいの世話をするのだが、例によってフランス訛りだし、中尉のほうはかなりきついテキサス訛りなので、聞きとる俺は演奏よりも緊張した。隣に座った中尉の手がさりげなく俺の膝に伸びてくる。アルコールのせいでも、まして演奏のせいでもない赤味が頬にじんわりと浮かんでいる。話した中身は本当に他愛もないものだったが、会話以外の部分、すなわち身体全体から伝わってくる雰囲気は、新宿2丁目のケンちゃんクロちゃんのそれにどことなく似ていた。

話は飛ぶが、以後、立川に行くときは一人で少し先に出て中尉に会っていろいろ話を聞いたり銃に触らせてもらったりするようになった。
高校2年生の秋だったと思うが、思い切って新宿2丁目に連れていってケンちゃんクロちゃんに引き会わせると、間違いなくその筋だという。やだわ、のぶさまを取られちゃうかもしれない、でもあのルテナンもあたし好みだけど。店に来ている常連たちの口さがないのはいつものことで、それを聞こえた分だけいちいち通訳してやると、リーは満更でもなさそうな顔をした。以来俺のいないときにも一人または『同好の士』と思われる男性を連れて『ぱる』に来るようになったらしい。

銃の訓練もさせてくれた。てっきり試射場のようなところで人型をした標的に向かってばんばんばん、とジェームスボンドのようにカッコよくやるのかと思ったら、銃器の取り扱いはばらすところから始まるのだそうだ。人が整備した銃で暴発したら悔いが残らないか、と問われて、空軍として飛行機はどうするのかと問い返すと、それは専門のクルーがいる、ジャックなんかがそうだとの答えだった。じゃあ車はどうかと更に問うと、その辺が境目だろう、自分で点検する人も多いがだんだん複雑化して素人には手に負えなくなっていくのだろうと言った。そんなやり取りをしながら自分で組み立てたコルトコンバットコマンダーを使って実際に撃ってみることになった。


ばっちっこ その29(上)

パイロットが個人火器を持って戦闘するというのも考えにくいのだが、それでもちゃんと試射場がある。地下ではなく、あっけらかんと地上に配置された30メートル四方くらいの建物である。そのころ流行りの007に出て来たような天井の低いものではなく、優に3メートルは越える意外に開放感のある空間だった。20メートルくらい先に丸い的がさいころの5の形で配置してあるのが見える。射撃台は幅2メートルくらいずつに仕切られていて、全部で10そこそこのブースがある。白くて清潔な部屋だが、火薬のかすかなにおいがする。これは死の匂いの一種なのだろうと思った。わくわくしている自分をなんて子供っぽい奴だと思っているもう一人の自分がいる。俺たち以外には誰もいなかった。

受付のようなカウンターにあるノートに何か書きつけると、一番奥のブースに向かう。とにかく強烈な反動があるから腰を落として腕を伸ばし、安全装置をしっかりオフにしないと撃てないよ、と指導してくれるのだが、背中に密着するリー中尉の股間が膨れているのが伝わってくる。俺より10センチくらい小さいが、俺が腰をかがめているので、ちょうど耳の高さに口が来る。耳元でささやくアドバイスが必要以上に耳の穴をくすぐる。グリップをしっかり握らないとセイフティが外れない、そんな力じゃだめだ、そう言いながら俺の右手の親指の下あたりを銃把に押しつけようとする。必然的にルテナンの手が俺の手を外から握る形になる。湿った掌だった。授業料だと思ってされるままにしておいたが、改めて俺自身にはその方面の気がないことがわかった。

構え方のレッスンが終わると、巨大なヘッドホンみたいなものをかぶらされる。要は耳栓である。その着脱も訓練のうちのようだ。最後にマガジンが渡される。実弾入りだ。リリースボタンを押して空のマガジンを抜き、装弾されているマガジンを入れるとさすがに気持ちが引き締まる。それまでの俺の経験からボキャブラリーを拾うとすると、蹲踞(注1)から立ち上がる気持ちとすれば近いかもしれない。

竹刀は左手で支えるので、右手で持つ銃は改めて重いと感じる。1発目はリー中尉の股間のモノを感じながら撃つことになった。小さく深呼吸を二つ、吸いこんで止める、その瞬間にトリガーを引く。骨が砕けるかと思うような衝撃が手首から肩まで伝播する。上に跳ねそうになるのをルテナンが押さえつけるのがわかる。防音マフを通してくぐもった音がする。着弾点は全く見えない。

初めてにしてはよく撃てた。あのくらいの衝撃だとわかっていれば、君なら大丈夫だろう、次は一人で撃ってごらん。ルテナンは身体を話すと俺の耳栓を持ち上げてささやいた。また耳に風がかかるが、感じないふりをする。

中尉の言う通りで、衝撃の強さとタイミングが判れば別にどうということはない。20メートルほどの距離なので照準と照星を合わせれば殆ど狂いもなく命中する。ただ、身体の使い方が難しい。剣道に限らず日本の武道は相手の攻撃をやわらかく受け流すような身のこなしを使うが、射撃では引き金を引いて銃弾が発射される瞬間、身体全体を架台のようにきちんと固定しなければならない。マガジンを二つ撃ち尽くす頃にはその辺のコツが呑み込めたようで、ほぼ中心に命中させられるようになった。グッドスチューデント、中尉が真顔でほめてくれた。

帰りにアーセナル(武器庫)に案内してくれた。なぜか米軍の制式以外にいろいろな国の短銃や機関銃が置いてある。その中でやけに薄くて軽いPSMというソ連製の拳銃が気に入った。感覚的にはコルトコンバットコマンダーの半分くらいの重量しか感じない。欲しそうな顔をすると、けっこう扱いが難しいのだが、君なら十分使いこなせるだろう、練習して腕が上がったら内緒であげるよ、と言ってくれた。

注1:そんきょ。剣道で立ち会う前に腰をおろして竹刀を構え、これから試合を始める、という一種のスタート態勢


ばっちっこ その29(下)

年が明けて登校すると、まじめに受験した連中の家に郵送されてきた模擬テストの結果でちょっとした騒ぎが起きていた。俺たち『三ツ矢農林』組は住所もでたらめだから届くわけがないのだ、本来は年末には配達されていたようだが。その成績が、一番から三番まで、見事に東西南北の誰かが入り、六番に4人目も入っていたのだ。いずれも『三ツ矢農林』高校である。同時に学校にはY予備校から抗議が届いていたようで、例によって教頭は毎週月曜日だけ行われる朝礼であははと笑い飛ばした。大人をからかうならもう少し気のきいた、つまりお里が知れないようにやりたまえ、地に足のついた、しかしアシのつかないやり方を工夫しなさい、というのが教頭のスピーチだった。予備校の抗議には返事も出されず終わったらしい。

そのまま学年末試験も事なく乗り切って、何とか2年生になった。

大人たちは時間の過ぎるのが早い、あっという間に正月が過ぎ、気がつくとお盆で、うかうかしているともう師走だ、などと言い募るが、俺にとっては『まだ4月だ』であり、『やっとゴールデンウィークが終わった』というのが実感だ。こう話す園山は、ある運動部でゴールキーパーをしていた。ふまじめなキーパーで、チームメートの評は良くないが、そのふまじめな部分を使ってモータウンジャパンの事務所に出入りしているとのことだった。俺自身は高校のすべてのクラブ活動やサークルなどの仲間群れとは一切かかわりを遠慮していたが、この男とは不思議にうまがあった。

高校2年の夏、しかも毎年東大に100人近く、すなわち在校生の半分以上の合格者を出す名だたる進学校であれば、まずは予備校の夏期講習に精を出している筈なのだろうが、この運動部は死にそうなくらい暑い炎天下の多摩で練習試合をする、その場にジャクソンファイブの一番小さい坊やが見に来るから、英語の勉強がてら来ないかと園山から電話がかかってきた。自分もそうだが、みなふまじめだから何か餌がないとそんな厳しい条件の練習試合になんか来るはずがない、しかし春の大会で準優勝した強豪相手だから練習としてはこれ以上実りのある経験もない、だから集合をかけたらOBまで集まってくることになった、彼らは軍資金提供者と思えばいいので、経済的には何も問題がないからお前も来ないか。という勧誘である。すでに俺が同級生でただ一人奨学金をもらっていること、すなわち経済的にきわめて苦しい環境にいることはすべての級友たちに知れ渡っていた。普通はネガティブなこうしたシチュエーションをあからさまに取り扱うことをしない。我が愛する級友たちも(お世辞でも揶揄でもない。俺にとって同級生160人は今でもかけがえのない朋友だ。念のため)園山を除いてみなお行儀がいい。でも単刀直入に、いささか常識外れに俺の家庭の経済状態を話題にする園山を不思議に嫌いにならないのだ。

我が校の春の成績を恐る恐る聞くと、案の定予選の3校リーグで敗退とのことで、そんなチームが準優勝校に挑んでどうなるのかと反期待感(同期の隠語で、マイナスの結果が予想される時のこと)100パーセントを携えて中央線沿線のほこりっぽいグランドに集合した。

試合は期待通り20点近い差をつけられて大敗だった。余りにも応援しがいのない戦いなので、25分ハーフのほとんどをマイケル君とのばか話でしのいだ。眼のくりくりしたかわいい少年で、『ちびくろサンボ』の唇だけ薄くしたような色に肌より黒いトンボメガネをしている。モータウンというレーベルは新人を手厚く育ててくれるのでとてもいいところだとか、末っ子だからいまのところ不自由なく遊び感覚でソロを歌わせてもらっているけど、やがて来る声変わりのあと、グループ全体がどうなるのか、自分なりに心配もないわけではない、などと、とても中学3年生とは思えない大人びた、と言って悪ければ芸能界の業界人じみた言い方をした。

俺が調子に乗って自称ジャズピアニストとして学費を稼いでいると法螺を吹くと、実はソロで独立するのに、うんと若いバッキングを探しているのだが、それなら腕前を聞かせてくれと真顔で言う。

   
ばっちっこ その30(上)

相手校のベンチには顧問の先生と思しき女性が白いノースリーブのワンピースに大きな麦わら帽子をかぶって座っていた。あ、『ノースリーブ』は、当時の俺のボキャブラリーにはない。半袖以上に短いとしかあてはめるべき単語を持っていなかったはずだ。

圧倒的大差で試合が終わると、顧問の先生がコートをずかずかと横切って近づいてくる。帽子の下からはおそらく20代後半と思われるまぶしい笑顔が現れた。弱小チームであることがばれてしまった俺たちには目もくれず、マイケル君に向かって流暢な英語で話しかけた。ジャクソンファイブのファンであることをすごく回りくどい言い方で告げた後、1曲だけでいいから歌ってくれないかと頼んできた。
マイケル君が俺の方を向いた。伴奏できるかと言う。
「Sure, I could. But where?」
誰に向かってというわけでない俺の問いは先生が引き取って、体育館にピアノがある、これから開けるからぜひお願いしたいと言った。
「じゃあ、ちょうどいい、俺が伴奏する。その代わり、俺の腕前を見てくれ」

バレーコートが2面とれそうな大きな体育館のステージ脇にヤマハのグランドピアノがほこりをかぶっている。両校の屈強な連中があっという間に真中まで運び入れる。さて、何を歌おうか。みんなが歌える曲がいいな。先生が言った。じゃあ、I'll be there かな。俺に問いかけるような視線が来る。I'll be there ね。先々週譜面を見たばっかりだ。
「弾けるよ、それで、みんなはI'll be there のところでリフレインだからね」
よし、じゃあ、この曲は。マイケル君は俺だけに聞こえるくらいの小さい声で、この曲にはアカペラの編曲があり、ごく素直な和音進行だけ弾いてくれれば十分だから、気を楽にして、僕のボーカルのリードを追いかけてくれば素晴らしいセッションになるよ、君のチームメートたちは少なくとも声だけは立派だから、適当に抑制した声にしてくれれば僕が勝手にそれに乗っていくから問題ない、と言った。そして、今度はみんなに聞こえる声で、I'll be thereのリフレインは、気持ちはフォルテなんだけど、その気持ちが胸の中で高まってしまって大きな声にならない、という気持ちでメゾピアノくらいで歌ってください、と言った。俺は一瞬がーんとなった。そうか、音楽の表現って、そういうことなのか。譜面から読み取るべきは音と強弱だけじゃないんだ。

Where there is love,I'll be there.

Just call my name,And I'll be there.

Whenever you need me,I'll be there.

マイクなしでも、マイケル君の少し硬めのボーイソプラノは十分響く。反響音と干渉して一人で歌っているとは思えないような深い陰影が生まれる。一方俺のピアノだって習い始めてすでに1年以上経っている。音楽の教官は東京ゾリステンのソロリコーダー奏者からすでに芸大卒業ほやほやのテノール歌手に代わっていたが、4月以降も無料の個人授業が続いているので、クラシックのレッスンはソナチネの2冊目を終わりかけ、並行してドビュッシーの小曲集をさらっている段階まで進んでいた。ジャズクラブでも桃代のボディガードだけでなく、お遊び程度に弾かせてもらうチャンスも増えてきた。その上、マイケル君のバックミュージシャンのオーディションだ。俺はもちろんそんなものになる気もなかったし、そんな才能も腕もないことは承知していたけれど、でもどこかに自ら恃(たの)むところがなかったわけではない。

例によってクラシック系の不協和音をはさんだり、「just look over your shoulders, honey!」という最高潮の手前でモーツアルトのドミナント連鎖を入れてやったりした。と、ひとり体育館のフロアに出したパイプいすに座って、真っ赤に上気して聞いている先生に向かってステージを飛び降り、振りかえって、じゃなくて、おいでおいで、僕のハニー。そう歌いながらマイケル君が近づいて行った。先生は顔をおおっている。泣いているみたいだ。ステージの上では I'll be there のリフレインが続いている。


ばっちっこ その30(下)

じゃあ、今晩、キャピトル東急で、10時過ぎには戻ってると思うから。マイケル君は必要最低限のメッセージを伝えると、件のゴールキーパーと二人で即席ステージを降りた。
「俺よりずっと上手なベーシストがいるんだけど」
と、あとから思うといわゆるもじもじした態度で後ろ姿に声をかけると、じゃあ両方来ればいい、May well say so. という答えが返ってきた。

武道館に行くのは遠慮して、指定された午後10時に桃代とベースを抱えてホテルのロビーで待っていると、典型的なアフロヘアにアロハみたいな派手なシャツを着た黒人の男と端正な背広にやや広めのレジメンタルタイを締めきちんと髪をなでつけた黒人の二人が比較的わかりやすい、ということはたとえばルテナン・リーのような南部訛りではないということなのだが、どちらかというと甲高い部類に入る声で談笑しながらフロントを横切ってさして広くないロビーを俺たちの方に向かって歩いてくる。

君がマイケル推薦のピアニストだね、それに、きみよりうまいベーシストか。美男美女じゃないか。
背広の男が話しかけ、ベリー・ゴーディ・ジュニアだと自己紹介した。息を切らせて走ってきたマイケル君が、いやあ、間に合った、この人がモータウンレコードの社長だ、と補足してくれる。隣のアフロヘアはボビー・テイラーというシンガーだった。ダディが恩恵を受けた(世話になったという意味だろう)とマイケル君がポツンと言った。

じゃあ腕前を聞かせてもらおう。ゴーディ氏が口火を切った。俺はフロアの隅で出番を待っていたかのように澄まし顔をしているスタインウェイに向かった。いくつか和音を響かせてみる。まるでさっき調律を受けたかのように音程が正しい。
「何を弾きましょうか」
思えば馬鹿な質問をしたものだ。帰ってきた答えは、As you like.だった。マイケル君をそっと見ると、昼間のI'll be thereでどうか、と小声で言った。
「私はソロになるつもりはありません。才能もないし、その気もない。だからソリストを引き立たせる音楽を提供したいと思います」
そう告げてから、I'll be thereのイントロを弾き始めた。マイケル君がロビーの客の耳をそばだたせはするが決して邪魔にもならず、熱狂も生まない程度の音量で歌ってくれる。

バッキングとしては合格だね、だが、本当にそれで満足しているとは思えない。君が真実、音楽の世界で生活していく希望があるなら、もう少し、才能を見極めた方がいいかもしれない。しかしマイケルがOKを出すなら、私は反対しない。これがモータウンレコード社長の評価だった。図星をさされた。要するに自分で決めろというメッセージだと受け取った。マイケル君が口を開く前に俺の方から言った。
「あなたの言うとおりです。音楽を職業にするには才能が足りないと感じます。貴重な時間をありがとうございました。でももう一人、本当のミュージシャンを連れてきています。彼女の演奏も聞いてほしいのです」

もちろんそのつもりだが、ベースのソロの評価は簡単ではない。単独でいきなり聞いてもわからない。社長はそれが当然だろうという顔をした。
桃代の顔に珍しく「表情」が現れた。明らかに落胆している。普段何があっても心の裡を顔に出さないひとなのだが。

要するに端(はな)から桃代のベースなんて聞くつもりはなかったということだ。
「そうだよ、ね。のぶひこさまの努力もここまで、だな。帰ろ」
「いや、待って待って、ピアノとベースだけでなんとかなる曲、ないかな」
「あるにはあるけど、のぶさまじゃ弾けないよ。たとえばディア・アンていう古い曲だけど」
そりゃそうだ、ポール・チェンバースの名曲だ。駆け出しの俺なんかに弾けるわけない。


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