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いしざあの あさがお日記

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2010.02.16
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カテゴリ:日々雑感
一海先生にまつわる想い出をつらつらと。

いっかい先生は、
すごくオイシイもの好きだった。

お酒もたしなまれたが、
あまり過ごされることはなく、
甘い物もいけた。


いつだったか、
まだ清水在住の女の子とつきあってた頃、
静岡まで行った帰りに、
ちびまる子で見た、追分け羊羹を、
おみやげに買っていったら、よろこんでもらった。

また、一緒に飲んでいて、
そば談義になって、

  いろいろ食べたけど、
  今、日本の中で、
  山形のそばが一番ウマイ。

とおっしゃったのが、すごく印象に残ってるな。


あと、授業で

  それは和歌の考え方だね。
  これはあくまで俳諧だから。

と、諭されたのも、よく覚えてる。
宗因の談林十百韻の、
最初を読んだんじゃなかったかなあ。
その授業の中で、中村シュンジョウ先生の話とか、

  キラが、キラが

って、雲英末雄先生のこと、
お話くださったな。
雲英先生のお名前は、間違いなく、
一海先生に教わったのだ。

それから、その講義で、
蕪村の『春風馬堤曲』についてのレポート提出したら、
飲み会の席で、

  あれ、おもしろかったよ。
  ちょっとしたエッセイくらいになるね。

と言われたのが、うれしかった。
結局、書かずじまいだけど。

数年前、まかりまちがって、
鶴見で、国文学講読の近世やるハメになって、
連歌・俳諧史講じて、作品読んだけど、
その時、一海先生のこと、
学生さんに、ちゃんと伝えられたかな…

ワタシが講義出来たのは、
一年だけ、だけれど、
先生の講義に出ていた、からなんだ。


最後に、
先生はかなり辛辣カゲキな言説で知られたけれど、
その先生をして、

  ずけずけ物を言う

と評されたのが、
ワタシの師匠、岩佐美代子先生で(笑)

でも、岩佐先生に言わせると、

  山下先生にはかないませんわよ

ということで(笑)
まあ、両者相譲らず、の
毒舌コンビだったようだ。


いつだったか、合同研究室で飲んでいて、
一海先生が、先に帰るというので、

  家で「さい」が待っておりますので

と仰有ったら、みんなが

  またいつもの「のろけ」がはじまった

とはやしたて、岩佐先生が、

  ああもう、早く帰れ帰れ(笑)

と言いながら、あっちいけ、シッシ、
とばかり、手で追い払うようにしたのをみて、
なんともまあ、この先生方は、
ホントに仲が良いんだなあ、としみじみ感じたこともあった。

実は、ワタシが鶴見を受験したのは、
もちろん岩佐先生がいらっしゃったから、
なんだけれど、大学院の案内を見て、
山下一海の名前を見つけたのが、
決め手となったんだ。

大学時代の友人・ウダユウジは、
芭蕉好きだったから、心酔してたし。

結局、他にもすごいタレント揃いであることがわかり、
一海先生以外の先生方のほうに、お世話になったし
研究のスタイルは、先生とは正反対の方向に進んだけれど、
やはり鶴見とワタシをつないでくれた、
という意味では、先生はとっても大切な存在だった。

あの時期の鶴見は黄金期で、
合同研究室での先生方の丁々発止のやりとりは、
大学院生の目からみて、
とても刺激的でたのしいものだった。

そういやあ、あのころの先生方は、
会議がある日にはかならず、
ほぼ全員で、合同研究室で談笑してらして、
すぐ近くにある大学院生控え室にいる誰彼が、
声掛けられて、その場に交じって飲ませてもらい、
お話を聞き、一段落したら、
皆で鶴見の街へ繰り出して、中華でもうひと宴、
というのが、よくあったなあ。

先輩の広瀬姉さんあたりと、
よく一緒に連れていってもらったものだ。

懐かしい。


夜の大学院、
課外授業ってやつだね。

でもそこで教わったことは、
通常の講義と同じくらい、
ともするとそれ以上に、
大切なことだったような気がする。

本当に、貴重な時間だった。


一海先生に、
もうお会いできないのはとっても残念だけれど、
あの時期、大学院でご一緒出来たことは、
何物にも代え難いことで、
それを、本当に、誇りに思う。


先生、ありがとうございました。





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最終更新日  2010.02.16 20:26:51
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