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カテゴリ:お散歩首都圏
渋谷シアターコクーンで上演中のコクーン歌舞伎「佐倉義民伝」。コクーン歌舞伎は中村勘三郎さんが演出家串田和美さんと組んでの古典を大胆に書き換えた試みが人気のシリーズです。 勘三郎さんは、いつもお客さんを喜ばせることを第一に考えているひと。(それって、役者として一番大事なことだとワタシは思うわけで、だから、彼の舞台は応援してしまいます。)今回の「佐倉義民伝」は歌舞伎としては地味で、しかも結末が重く暗いお話なのですが、勘三郎さん流にどう味付けするか?楽しみです。 「佐倉義民伝」のおはなし::: 江戸時代、佐倉藩堀田家がおさめる領地(現在の千葉県佐倉市~成田市周辺)では、、不作に加え、あいつぐ増税増税で民の生活は大変なことになっていました。(これって、どこかで聞いている話ではありませんか?) 名主(村の代表者)である木内惣五郎(のちに佐倉宗吾と呼ばれるようになります)は、民の窮状を救うべく奔走しています。民の我慢は限界、一揆を起こそうという機運が盛り上がっています。ところが、一揆に参加した民百姓は厳罰にされるのが常でした。民を犠牲にしてはいけない、と、惣五郎は、自分が代表して役所に掛け合う、と民の蜂起を留めます。しかし、佐倉藩の役所は嘆願を却下。惣五郎は、江戸の将軍に直接嘆願(直訴)を決意します。当時、直訴はご法度。惣五郎自身は死罪を覚悟しなければなりません。 惣五郎は家族に別れを告げ江戸に向かいます。そして、4代将軍家綱公に直訴状を渡すことに成功。しかし、惣五郎は、大罪を犯した重罪人として佐倉藩に身柄を引き渡されます。佐倉藩は、藩の面目をつぶした憎い人間として、惣五郎は磔。本来なら罪に問われないはずの、惣五郎の15歳以下の息子や娘たち(江戸時代、女の子や女性への罰は男子よりも軽かった)までも死罪にしてしまいます。 しかし、嘆願書は幕府に聞き届けられ、佐倉藩の圧政は改まりました。自分を犠牲にして民を救った惣五郎は、宗吾様として、この地の人々から今なお尊敬を集めています。 というわけで、Pさん、大阪から観劇のためにいらっしゃるKさんと、佐倉義民伝の舞台を散策~夜コクーンで観劇、という企画。Pさんには羽田空港から直行してもらいます。羽田空港発の京浜急行と京成本線は、都営浅草線を経由して相互乗り入れをしているのです!羽田空港から成田空港までは乗り継ぎが上手く行くと2時間ほど。佐倉は、成田空港より15分ほど東京よりになります。 (Kさん、佐倉市出身の某人気バンドのファンでもあり、そのメンバーゆかりの場所を見たい、というミーハーなご希望も!) 京成本線佐倉駅をスタート。まずは、江戸時代の景色が残る武家屋敷へ。 このあたりは、鏑木小路といって武家屋敷が建ち並んでいたところです。今は普通の住宅地ですが、江戸時代の建物が3棟、復元、公開されています。 上の写真は300石クラスのお屋敷。現在なら企業の部長クラスというかなり上級の武士の屋敷です。漆喰の白い壁に式台のある玄関が特徴ですが、意外にこじんまりと質素なものです。 土塁の上に生垣、というのが武家屋敷の特徴だそう。この道も、江戸時代の幅とほとんど変わっていないそう。きれいに手入れされた生垣が続きます。住民の方たちの、街への愛情が感じられます。
長嶋茂雄さんも卒業生の「佐倉高校」。明治時代に建てられた記念館。こんな校舎が残る学校がうらやましい。
おとなり成田市に移動して宗吾様をおまつりする「宗吾霊堂」へ。立派なお寺です。 宗吾を死罪にした藩主堀田家も、のちに宗吾様の名誉を回復しました。幕末、堀田家の殿様は老中になり、開国と攘夷で揺れる幕府をとりしきります。また蘭学(西洋の学問)も盛んにし、現在医大の名門である順天堂大学も、幕末の佐倉が発祥の地。 「佐倉義民伝」を演じる役者さんは、ここにお参りするのが恒例。5月10日には、勘三郎さんもお参りされました。 京成本線宗吾参道駅から、日暮里経由で渋谷に向かいます。 水田の稲が青々と清々しい。昔から変わらない景色に宗吾様の物語を重ね、高い志とあきらめない心の大切さを思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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