|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
│<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 |
で、食べログネタ・・・というか、クチコミは不正の温床です。 たぶん、Web業界の誰もいいません。 理由はみっつ。 ひとつは「性善説」にたっていること。すなわち不正が悪いので あって、クチコミは間違っていないというタワゴト。学級会じゃない のですから悪用される前提で、どうすべきかを論じるのが大人の所作。 ところが、日本のWeb業界は綺麗なところしか喧伝しません。 つぎはこれ、「加担している」という後ろめたさ。 誰とはいいません。やっていない方もいます。そしてやっている 方も少なからずいます。Web業界の著名人が「ギャラ」をもらって シンポジウムやセミナーで、特定のサービスやトレンドを持ち上げる ことは日常茶飯事。もちろん、厳密に言えば「やらせ」ではありませ ん。 しかし、「微妙だな」と思うものまで持ち上げた経験があれば、 「やらせクチコミ」を一方的に批判できない・・・いや、棚上げす ればよいのですが、先の「性善説」が立ちふさがるのです。 最後に「庶民を敵に回したくない」。いわゆるオーディエンス、 あるいは閲覧者、客、つまり「やらせクチコミ」をしているものの 多くは「一般人」だからです。これについては、次回に詳しく。 そう連作です。いや、本当にこのカラクリを書き出せば、本一冊 は余裕です。 ただし、本稿ですら批判を避けるために「校閲」がはいったので この連載では無理でしょうね。ま、それは「言えないこと」で いずれ。 ■Web担当者Forum 現場の心得 第248回 クチコミの不正をマーケティングと呼ぶ世界 http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2012/01/25/11993
以前に、Web担当者Forumで「潜入ルポ」としました地方自治体の セミナーに潜入しての追加取材ネタです。 実際問題、SEOは変わらない根本部分と、小手先のトレンド部分が あり、後者はコロコロ変わります。そして後者の方が、声高に叫ばれ るのはそれが「目新しい」から。 先んずれば人を制す・・・というか、ズルが見つかる前に、 利益を得ようとするあさま・・・機敏さで、特にコンサルタントや エバンジェリストなど、あるいは「ITジャーナリスト」を名乗る 連中がこういう心境で喧伝します。 「おれ、新しいことしってるぜ!」 心根は小学生男子のまま、まさしく「永遠のベータ版」。 未完製品の連中が声高に叫び、それが世論のように振る舞うのが 日本のWeb業界。で、本稿のような徒花がそこかしこに咲き乱れます。 ちなみにSEOの根本部分は、シンプルな構造にコンテンツ。 これだけで相当のSEOを実現できます。 ■マイコミジャーナル 業者が泣いて喜ぶ「オジン級のSEO 0.2」 http://news.mynavi.jp/column/itshacho/147/index.html
テレビや新聞といった大メディアに負けず劣らず、Web メディアであっても、商業版には「校閲」がはいり、断定の難しい ものについては訂正がはいります。 また、肯定派と否定派がいれば、「両論併記」は避けられず、 そのなかでの些少の配慮があり、いずれ取り上げますが、反原発 タレントやそのシンパが大騒ぎする「言論弾圧」の根本はそこに あり、わたしの解釈は「大人の所作」です。 その結果、読者の理解を得にくい部分、誤解を生むような箇所は 削られ丸められます。 週刊誌の場合は「キメうち」をすることもありますし、「書籍」 なら「著者の主張」という立場から過激なことも言えますが、 いかんせん、これが商業メディアというものです。 ただし、だからといって発言を丸める必要もなく、あるいは 数多の「ITジャーナリスト」のように、企業に尻尾を振らなけ れば発言ができないとするなら、ITジャーナリストの名折れです。 だって「Web」があるのですから。 メルマガ、ブログ、ホームページでも「情報発信」はできます。 そして伝えなければならない事実があれば、それ以上の理由は 不要です。 というわけで「ステルスマーケティング」について。 実は後述するように「断定」が難しいのです。 各種連載でもちょろちょろ触れていますが、ステルスマーケティング とは、利益供与の事実を隠し、利益該当者であることを伏せた状態 で商品やサービスを推奨する平たくいえば「やらせ」や「さくら」 です。 マーケティング=販促とすればおこがましいのですが、はっきり いいます。インターネットの世界は不正だらけです。そこに 綺麗な言葉や、目新しい言葉を設置して事実を謀ります。 いわゆる「食べログ」の不正投稿で脚光(?)を浴びた ステルスマーケティング=ステマ。こうした略称で悪名を誤魔化す のもWeb業界の悪弊。 食べログのように「クチコミ」サイトだけではありません。 昨日のNack5「夕焼けシャトル」でもコメントしたことですが、 ステマが爆発的に広まった最大の理由は「ブログ」です。 その理由は大きく分けてふたつです。まず、 「ブログ=日常をのぞき見」 という錯覚によります。もともとブログとは日記型掲示板から 派生したもの(技術的な反論はブログ普及期からありましたが 利用の実態においては系譜にあります)で、私的なつぶやきと いう位置付けでした。 その特性を利用して「素の消費者の感想」を装った 「やらせブログ」 がその始まりです。もちろん、ブログ登場以前からありましたが 先のブログに対する認識の広まりと、ブログツールの普及が両輪と なり爆発的に広まったのです。そのため「やらせブログ」を 「Flog = Fake Blog」 と呼びます。で・・・ね、これが「バイラルマーケティング」 として使われていたことは業界では周知の事実で、バイラルとは なにかといえば「クチコミ」です。 つまり、クチコミとステマとは、生まれたときから両面を持つ 二重人格のような存在なのです。 「よいクチコミもある、やらせばかりじゃない」 という反論には答えません。だってあたりまえだから。世界が 100人の村だとして、すべてが悪人であることなどあり得ません。 同時に全員が善人であることもありません。 つまりクチコミも同じですが、Web業界は常に「性善説」に 立ち、良いクチコミの側からしかコメントを発しません。あるいは 健全化のために努力をと、まるでロードマップを描かない民主党の 成長戦略のように、あるいは野田首相の所信表明のように 「きれいごと」ばかりです。 本稿の目的はITジャーナリストとして「闇」にフォーカスし、 やらせクチコミを糾弾する難しさを炙り出すことにあります。 やらせブログは「著名人」に波及します。つまり、実態は 企業からギャラが発生し、商品提供を受けた事実を隠して 「このコスメ超オキニWWW」 とエントリーすることで、日常をのぞき見たと騙されたファン は著名人に近づこうと店頭に走るというもの。また、ファンが 自身の「ブログ」で感想を書くことも期待でき、これが 「バイラルマーケティング」 となるということです。ブログが普及していなければ、こう した「波及効果」は期待できなかったことでしょう。 そして「ブログ」の普及によりステマが広まった もう一つの理由を端的に述べればこうです。 「さくら要員の爆発的増加」 だれもが気軽に情報発信できる「ブログ」の登場により だれでも「やらせ」を演じ、「さくら」になることができる ようになったことです。 経済的動機としては「アフェリエイト(ドロップシッピング)」 や「ポイント」です。 アフェリエイトは商品を紹介することで、一定の利益を得るも ので、大半は売買成立時にフィーが発生します。つまり商品を 誉めた方が利益に繋がりやすいというのが「やらせ」をし、 「さくら」に変身する最大の理由です。 次のポイントですが、レビューを書いたり、アンケートに 答えたりするとポイントを貰えるサービスが多種多様にあり ます。貰えるポイントは微々たるもので、最大でも500円に なるかどうかというのが大半です。 ここで経済合理性を計算します。500円のために、電車に 乗り1000円のランチを食べて帰宅してからレビューを書く のと、 「店のホームページや他のレビューを“参考”に作文する」 ならどちらが「得」かと。善良な市民の犯罪意識とは得られる 報酬と実現にかかる手間により上下します。 簡単にいえば500円ぐらいのものに重大な犯意を感じず、 リビングでキーボードを叩くだけの行為が大層な罪となるわけ がないという独善的な解釈です。 そしてこうした「さくら」を利用する業者により「食べログ」 の不正投稿がおこりました。 ステルスマーケティング=ステマとは「やらせ」であり 「さくら」を使った不正な販促手法である・・・と、欧米諸国 では認識され、英国と米国では罰則まで用意されています。 我が国では消費者庁によるガイドラインで、これがザル法。 ステマは取り締まることができません。 日本のWeb業界としては「利益供与の実態」について 公表するように呼びかけていますが、実際の規制は困難です。 まず、消費者庁のガイドラインでステマを取り締まることが 困難であることは、「旨い」「素敵」といった「主観」を 取り締まるには、「思想信条の自由」や「表現の自由」が 立ちふさがるからです。欧米が法整備をできた背景には 「契約社会」ということもあるでしょう。「口約束」でも ビジネスが動き出す日本との違いです。 ステマでの「著名人のやらせ」を本当に糾弾するとするなら 「お友達」 をどう規制するかにも繋がります。よく、耳にしませんか? 「お友達がやっているブランド」 「知り合いが手がけたジュエリー」 ・・・友達とはなんぞや? メロスを信じて命を捧げた セリヌンティウスなのか、パーティでメールアドレスを交換 しただけの人間なのか、ときに衣装提供をしてくれる洋服屋 さんまで含めるのか。 ステマの定義において「衣装提供」はアウトです。しかし、 「お友達がくれた」 と告白すれば「利益供与の事実」を公開しているので セーフとなります。 ここで紹介した事例の著名人は芸能人をイメージしましたが Web業界でもまったく同じです。 Web業界の著名人のブログにはやたら「友達」や「知人」が 登場することは珍しくありません。単なる人脈自慢もあれば こんな記述もあります。 「知人が始めた画期的なネットサービスに注目している」 「友達の××さんのサイトが面白くてはまった」 個人攻撃が目的ではないので名前は伏せますが、「はまった」 はずのサイトの記述が、その後のブログででてこないことなど いつものことです。 Web業界の「友達」について、直接的な利益供与はあまり 多くないようで、「つながり」を維持する「おつきあい」 という意味合いが強いようですが、己の利益のためという広義 においてはステマと同じです。 またシンポジウムやセミナーに呼ばれるゲストやパネリストには 大抵ギャラが発生します。そして繰り返し呼ばれるには主催者が 望む回答をするのは当然のことです。 冒頭での指摘と重なりますが、シンポジウムは書籍ではなく 持論を展開する場所ではありません。特にWeb業界のそれに は「協賛スポンサー」がついているもので、そこでは 「期待されている答え」 があります。 もちろん、些少のギャラで尻尾を振るような「有識者」は いないことでしょうがというのはイヤミです。 Web業界には 「PR系ブロガー」 という存在もいます。その名の通り、PR系の記事を専門と するブロガーです。これとステマの線引きを私は知りません。 そして「ITジャーナリスト」を自称する人も片棒を担ぎます。 ネットのトレンドをバラ色に染められたバージンロードが 約束する祝福された未来を指し示すと礼賛することこそが、 ジャーナリストといいう考えの人がいます。 彼らにとって、ネットを否定することは自身の存在価値を 疑うことであり、ゆえに、ネットの可能性にフォーカスし、 想定される闇の過小評価に余念がありません。 あるいは企業の「新着情報」を、そのまま読者に届けるのが ITジャーナリストという考えもあります。彼らにとって、 企業のプレスリリースを受けとるのが、最初の仕事で、 広報担当者との人間関係こそが収入の源泉となるので、筆が 向かう方向は読者ではなく企業となります。 ジャーナリストの定義が異なるのかも知れません。 「批判精神という牙」 をもつものがジャーナリストを名乗る資格があると私は考え ます。しかし、商業メディアで採用されやすいのは彼らです。 彼らもステマについて知っていたはずです。遅くなりましたが ステマ自体は2004年頃から問題視されており、2005年に は社会問題として報じられているからです。 しかし、ネットのネガティブ情報は流通しにくい構造に なっております。つまり消極的にステマを助長した・・・とも いえるのです。 ステマは「食べログ」にやらせ投稿をした不正業者だけの問題 ではないのです。企業、芸能界、すべての商業メディア、そして Web業界が、みな己の利益に該当する部分のグレーゾーンに 片目をつぶっていることにより起こっています。 思想の自由は? 友達の定義は? 利益供与の範囲は? 「断定」という線引きができないことが、ステマの報道を・・・ 商業報道を曖昧にしていますが、ここに焦点を当てない限り、 ステマの構造的問題に辿り着くことはできません。
「学者議論」という言葉は、可能性や理論を振りかざすあまり なにも結論がでないという意味です。 かつての昭和時代 「末は博士か大臣か」 とは誉め言葉でしたが、以前指摘したように大学進学率が急速に 高まったバブル崩壊以降、日本の国力は急速に衰退しており、博士 の増加が「ポスドク」という、行き場のない博士を大量生産し、 政権交代により「素人」が大臣をする時代になったということは、 いまでは「侮蔑」を意味するのでしょうね。 わたしは子ども時代、こう宣言したと、いまでも親戚のおばさまに ちくりといわれます。 「東大にはいれんやったら、大学なんていかんちゃ(土佐弁風)」 そして宣言通り高卒です。 中学一年生で暴力に出会って、勉強の非力さを知ったことが そのきっかけですが、 「勉強しない楽しみ」 をみつけてティーンエイジがそれに抗うことは困難です。 東大が「秋入学」をうちだし、幾つかの大学が賛同する方向に なったと新聞が報じます。東大曰く「グローバル化」に乗り遅れる というのですが、海外に・・・欧米諸国に時期を揃えたからと 留学生が増えるほど簡単なものではありません。 というかシンプルに述べれば、 「海を渡ってまで学びたい何か」 があれば、時期の問題など些末なことです。グローバル化に ついては最後に東大へ「提言」を用意しております。 さて秋入学にあたり、「ギャップターム」が指摘されています。 もうこの時点でやる気が削がれるのですが、日本一の大学を もって「日本語」で説明できないほど、この国の学力低下は深刻に なっているということです。「空白期間」やtermが学期を表すと するなら「空白学期」「待機学期」と造語しても良いところを英語で 逃げるところに、三流の広告屋なみの発想しかない貧困さ、この国の 大学制度の問題を映しています。 というわけで以下「ギャップターム」を使っている箇所には (笑)がすべて省略されているという前提でお読みススメください。 東大は、受験は今まで通りに行い、入学時期を9月の秋にする といいます。入学までの約半年と、4年後の卒業後の秋から冬に かけてを「ギャップターム」として、入学前はボランティアや 海外留学にあて、卒業後については企業に協力を呼びかけています。 時系列に沿ってこの馬鹿げた議論を高卒のミヤワキが喝破します。 まず、入学前の半年間、いわゆる受験勉強で凝り固まった価値観 をほぐすように使って欲しい・・・と希望だけですべて理想的に 廻るのなら、民主党の誰一人、嘘つきと呼ばれることはなかった でしょう。 ここで海外(欧米ね)の事例をもちだして、様々な経験を するとさらっといいますが、欧米では長期の夏休みに サマースクールや海外留学を小中高のうちに経験する習慣があり 長期休暇は別の学びの機会という文化が根付いています。 翻って我が国はどうでしょうか。 東大に合格した子どもに、さらに勉強しなさいと尻を叩ける親も 親戚も教師も少数派でしょう。 そして小学校の頃は「神童(町内会レベルですが)」と呼ばれた わたしの経験則から断言できます。 「馬鹿になるのは1ヶ月で充分」 高校を卒業し、思春期のリビドーと若さ故の体力を持て余した 青少年に、半年間も勉強をしなくても良い時間与えて馬鹿になるな というのは酷な話しです。 どうしても「秋入学」を実現したいのなら、この半年間は大学を 開放して「自主登校」を許すなど、みずからできるギャップターム 対策を大学側がとるべきでしょう。そうでなければ、せっかく詰め 込んだ知識を説かし流した半年後、秋に集う東大生の脳みそには かけ算九九ぐらいしか残っていないかも知れません。 つぎに、入学後。 いまの議論が「四年制」を前提にしているのが論外。 なぜ、グローバル化に揃えるなら「飛び級」を推奨しないのか。 と、いう問いに自問自答したのは5秒後でした。答え、 「学費を一年損する」 だってそうでしょう。次に述べる就職についてに重なりますが、 秋入学、秋卒業として、3年間で大学を卒業できれば、他の四年生 大学と同じ条件です。逆に3年間で4年分の学びを実践できた 優秀な学生は引く手あまたですし、「卒業後」に半年間、インターン やなにかで企業に貢献できるのですから企業が門前市を成すことで しょう。 さらにいえば、いま四年制大学の就職活動は大学三年生の12月 からはじまり、早い学生は4年生になったころには内定をとり、 卒業までを遊びほうけます。つまり、 「大学の学びは3年間で充分。のこり1年は学費の集金のため」 ということです。 東大の提言に胡散臭さを感じた私の直感が叫びます。 「我が身のことしか考えていない」 で、最後に卒業後のギャップタームについて、企業側には 通年採用などで協力して欲しいと呼びかけます。これについては 半分賛成です。 というのは「春先の一括採用」が必要な理由は、企業の会計年度 というよりも「社畜の養成」にあるからです。社畜の言葉が悪ければ こうでしょうか。 「企業文化を理解させるため」 大学入試という選抜システムを通過し、決められた就職協定を守る 善良な市民予備軍を、学校から企業への移行するにあたり、余計な 知識を吸収させる前に純粋培養するためには、外部の空気に触れさせ ないほうが便利だからです。 どれだけ美辞麗句を並べても、経営者が望む社員の理想像は 「従順な羊」 なのです。だから一律の研修が難しくなる通年採用に移行すれば 従順な羊より、自分で餌をとってくるオオカミも必要となり、 自動的に経験者の中途採用などがいまよりも広がり、就職浪人する より社会に出て研鑽を積むという選択肢が増えるのではないかとは 期待しています。 しかし、それより卒業後のギャップターム解決を呼びかけるなら 相手が違います。企業ではなく「国」や「地方自治体」にです。 企業が春に一括採用するのは先に述べた理由もありますが、 会計年度の頭なら、多少の景気の変動が「期首」ということから 帳簿の処理がしやすいのです。逆に通年採用、あるいは秋採用と なれば、リーマン・ショックのような急激な景気の変動に、 「取りやめる」 選択肢を株主は求めるかもしれません。つまり、採用人員が 不安定になる可能性があるということです。一方、「役人」は 大丈夫です。一度確定した「予算」は、余程のことがない限り 執行されます。だから9月でも10月でも、粛々と採用されて いきます。 逆に会計年度末とはじまりのバタバタしている時期に、公務員 は新人教育を考えることなく「実務」に専念できるので、より 効率的ではないでしょうか。 そもそも東大を筆頭に、国立大学は国家に貢献する人材を 育成するための機関だったので、本来の姿にもどるだけのこと です。 もちろん、橋下大阪市長がぶちあげるように 「明治維新以降の大改革」 を目指しているのなら、この限りではありませんが、ならば 東大のありようそのものから問い直すべきでしょう。 つまり秋入学に高尚な理屈をつけようとしても、ご都合主義の 利益重視が透けて見えるのです。わたしが大学教授で、生徒が 「グローバル化に向けた戦略」 という課題で、こんなレポートを出してきたら、泣くまで 叱責することでしょう。 そして今回述べた、あたりまえのことを指摘しないメディアも 同罪、結局、学歴システムを堅持したいという本音があり、その ためにはヒエラルキーの頂点にいる東大に弓を引かない方が 得策だという自己保身。 最後にお約束したように、グローバル化を目指す東大への提言です。 「アキバにもっとも近いユニバーシティ」 あるいは 「AKB48に徒歩で会いに行けるユニバーシティ」 として売り出すのです。 東大の本郷キャンパスは高台にあり、ここから南東に下れば 秋葉原。2キロちょっとありますが、学生なら歩けない距離では ありません。 グローバル化で勝ち残るには、比類なき個性。 入学時期よりオタクのほうが国際競争力があります。圧倒的に。 │<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |