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遊心六中記

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2016.11.25
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カテゴリ:探訪 [再録]

                                           [注記:探訪時期・2015年11月]
大湯屋の傍に池があり、その南に石段があります。帰路方向には合っていますので、まずはどこに出るのかあまり考えずに上って行きました。
登り詰めた正面に見たのが、鐘楼でした。ああここに出るのかという思いです。これで境内の位置関係がわかりました。以前にこの鐘楼は訪れていましたので。

石段の傍にあったのが、水子の霊を祀る「水子地蔵」です。胎児の状態で亡くなった子供の霊を祀る場所。


東方向を見ると、「行基堂」があります。

もとは俊乗房重源上人の坐像が安置されていたそうですが、後でご紹介する俊乗堂が建立された後、行基菩薩坐像が安置されることになったのです。
宝形屋根で方一間、円柱、本瓦葺のお堂に向拝が付いています。向拝は角柱です。



 
向拝と堂の正面に蟇股があります。いずれも草花を透かし彫りにしたものです。左が向拝、右が正面に見えるものです。
 
左の写真は宝形屋根の南西隅の鬼瓦を撮ったもの。ここの鬼瓦は前方の鬼の角の間に、三鈷杵を載せています。
右の写真は屋根の頂上にある鉄の露盤と宝珠です。

行基堂の傍には、石塔のパーツが集められていますが、なぜか雑然とした感じです。何らかの事情で石塔が崩れたのでしょうか。もとの形は五輪塔のように思われます。


        行基堂の南隣りにあるのが「念仏堂」
桁行三間、梁間三間、一重で、寄棟造、本瓦葺のお堂です。鎌倉時代前期・嘉禎3年(1237)建立とのことで、重要文化財です。(資料1)
もとは地蔵堂と呼ばれていたそうです。
本尊は地蔵菩薩坐像。この像も鎌倉時代の作で、重文です。
この地蔵菩薩坐像を知りたくて、ネット検索してみると、絵はがきの写真を載せておられるブログを見つけました。勝手にご紹介させて頂くのですが、地蔵十福さんのブログ記事です。こちらをご覧ください。(「古都の寺院の隠された真実を求めて」)
嘉禎3年に仏師康清により造像されたものといいます。

 

 
ここでも屋根の鬼瓦に惹かれます。ここの造形もまた違ったっものです。


念仏堂のまえ、この高台平地の中央にあるのが鐘楼でありこの梵鐘です。鐘楼に駒札と案内板が掲示されています。この梵鐘は国宝です。奈良時代、東大寺創建当初のもので、天平勝宝4年(752)大仏鋳造のときに造顕されたそうです。鐘声の振幅は非常に長く、日本三名鐘のひとつに数えられています。そして、竜頭と鐘座に天平の文様が見られるとのこと。梵鐘の総高3.853m、直径2.708m、重量26.364tと駒札に記されています。


                     南面から見た鐘楼と鐘楼の木組み

承元年間(1206-1210)に大勧進栄西禅師の勧進により建てられ鐘楼(国宝)です。和様、唐様の天竺様式を混ぜたものだそうで、「斗栱には独特の様式があり音響を分散さすために板壁等を用いず屋根は音をこもらすために大きく構成されている」(駒札)という工夫がなされているそうです。「大仏様にやや禅宗様的要素を加味した」建物という説明もなされています。(案内板)
屋根の隅がぐんと反りあがった羽ばたくような形をしているのも、音響効果を考えた工夫なのかもしれません。
建物の総高は13mだとか。
 
                   鐘楼の西面
丁度ま後に念仏堂が位置します。頭貫の先端、木鼻は至ってシンプルで波打たせた感じの曲面だけの形式です。
        
鐘楼の屋根にある鬼瓦。これには角がありません。手許の本を見るかぎりでは、新薬師寺の鬼瓦に通じる造形です。(資料2)

こういう確度からながめると、鐘楼がまさに飛びたとうとしている動的な感じをいだくのですが、どう思われますか?


鐘楼の北側に、俊乗堂があります。南面するお堂の正面です。写真の駒札の右に少し赤みがかった色のみえるのが、上掲の水子地蔵の位置です。

俊乗堂の前から眺めた鐘楼と念仏堂です。これで位置関係がおわかりいただけるでしょう。


正面の桟唐戸の上部に、「俊乗堂」の扁額が掛かっています。 
              

鎌倉期に東大寺再興のために大勧進職を引き受けて復興を成し遂げた俊乗房重源上人の遺徳を讃えるために、公慶上人が建立されたお堂です。公慶上人は、江戸時代に、それまで雨曝しになっていた大仏殿復興のために望んで大勧進職となり、大仏殿を再興された上人です。自ら大勧進となった公慶こそ、重源の大勧進職としての苦労と偉業の程が一番理解できた上人だったのではないでしょうか。

このお堂に「重源上人坐像」(国宝)が安置されています。
2006年春に、奈良国立博物館で御遠忌800年記念特別展「大勧進重源」が開催されました。「東大寺の鎌倉復興と新たな美の創出」というのが付されたメッセージでした。
            
これがその時に購入した図録の表紙。この重源上人坐像がここ俊乗堂に安置されているのでしょう。重源上人の最晩年の姿を写したものといわれています。
また、改めて図録を見直すと、余談ですが、重源上人坐像は兵庫の浄土寺、山口の阿弥陀寺と三重の新大仏寺の三躯を併せた四躯が現存する肖像彫刻だそうです。

 
俊乗堂の正面から見た鬼瓦と獅子の飾り瓦

鬼ではなく烏天狗のイメージを思いうかべる鬼瓦も見受けます。
 
                 隅棟と稚児棟の鬼瓦

   
                           俊乗堂の西面

側面の屋根部分に着目すると、ここにも鬼瓦が。
 
             大棟の端の鬼瓦
 
                  妻降の屋根部分の鬼瓦
このエリアだけでも様々な鬼の相貌を眺め、楽しめます。


俊乗堂の前から西に少し歩むと、石段があり、西方向に大仏殿の屋根が見えます。この石段は「猫段」と呼ばれるそうです。

北側を見ると、右の写真の朱色の鳥居が見えます。
 

 
近づいてみると、そこは「辛国社」(からくにしゃ)です。
もとは「天狗社」と呼ばれていた小社が、明治36年前後から辛国社と改称されたようです。説明板には、東大寺の創建当時に、「良弁僧正が様々な障害を加える多くの天狗を改心させて、仏法護持を制約させ、当社を造り『大法会執行の時には、必ず此社に向かって正法護持を祈る』と明記している」文書が残っているのです。
石燈籠の竿の側面には、「阿字万字(あぜまめ)町」と刻されています。奈良市の地図を見ますと、この町名が奈良町近くに存在します。阿字万字町の人々が辛国神社として崇敬してきたといいます。

                        南面する春日造の小社


猫段を下り、大仏殿の傍に戻ります。

調べて見ると説明があるものです。かつてここに山猫が住んでいたことから猫段と名づけられたのだとか。一方、ここで転ぶと猫になるという伝説もあるようです。だれが言い出したことでしょうか・・・・おもしろい。(資料3,4)

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 東大寺念仏堂  国指定文化財等データベース :「Weblio辞書」
2) 『図説 歴史散歩事典』 井上光貞監修 山川出版社
3) 奈良・東大寺から二月堂、手向山八幡宮んお紅葉でのんびり :「Travel.jp」
4) 猫段  :「坂のプロフィール」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
秘仏開扉 俊乗房重源上人坐像 :「東大寺」
頼朝と重源  :「朝日新聞DIGITAL」
重源  :ウィキペディア
明菴栄西  :ウィキペディア
東大寺 公慶上人  :「東大寺」
公慶 戦禍で焼失した大仏殿再建に生涯を懸けた三論宗の僧 :「歴史くらぶ」

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Last updated  2016.12.09 13:48:32
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