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遊心六中記

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2017.02.06
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カテゴリ:探訪 [再録]
  [探訪時期:2013年4月]
ある時、「左女牛井之跡」の石標が建てられていることを知りました。
京の名水「左女牛井(さめがい)」がどのあたりだったのか。堀川六条の少し北あたりということでした。堀川通に面する西本願寺のちょっと北とか。

2013年4月下旬、RECの一講座を大宮学舎で聴講していた頃です。それでは・・・と、序でにその史跡を見るつもりで出かけました。そんな気楽な気持ちでの場所探しです。それが思わぬきっかけとなり、源氏ゆかりの地と絡めて、下京を巡り歩くことになりました。

その時に書いた記事を再録します。多少修正・加筆してご紹介させていただきます。

花園町通(東西の通り)の北に本願寺聞法会館があります。この近くかな・・・・、と探してみると、堀川通西側で最初に見つけたのが、冒頭の写真。思わぬ駒札と石標です。

それは「六条境目石標」でした。説明文が判読しがたい駒札がまず目に入り、その傍の低い位置に「從是南 六條御境」という石標が建てられています。何とか読める文末には、本願寺の境内の北端を示すためのものと考えられると記されています。
このあたりの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。


そして、その少し北に、目的とした石標「左女牛井之跡」が建っていました。

この名水は源氏の六條堀川館の中にとりいれられていたのだとか。室町時代には村田珠光がこの辺りに住み茶道を興し、足利義政も来遊したといいます。江戸初期には織田有楽斎が井戸を改修し円井戸だったようです。天明の大火で埋もれ、その後、藪内家による修補がなされ、碑も建てられたのですが、第2次世界大戦最末期に撤去されてしまったといいます。昭和44年に現在の碑が名水を偲ぶよすがとして、記念事業の一つとして建てられたのです。(駒札の概略)

ここが思いつきで史跡巡りをした発端です。なぜか?

「下京のまち 源氏ゆかりの地 を歩くモデルルート」という案内板が駒札と石標の間に建てられていたのです。このルートは東の五条大橋から巡る説明になっています。この説明板が動機づけとなりました。

それじゃあ、ここを起点にウォーキングを兼ねて逆方向に歩き、京阪電車の淸水五条駅まで行けば、帰るのにも都合がいいか・・・・。ということで、序でに1箇所のつもりが、下京の史跡巡りへと急遽変更! 即断即決です。一人歩きは、気楽なもの・・・・。

まず最初は、若宮八幡宮をめざします。

花屋町通を東に歩いて行きますと、通りの北側の食堂の軒先に、この案内プレートが懸けられています。(実は、南側沿いに見当で歩いていて通りを行き過ぎてしまい、ちょっと後戻りして、このプレートに気づいたということで、もたもたしていました。)
花屋町通と交差する南北の若宮通を数十メートル北上します。

通りに石の鳥居があり、若宮八幡宮の石標も建てられています。小さな社です。
この辺りは現在、若宮町という地名です。



                         
短い参道の東端に若宮八幡が祀られています。

現在は小さな社ですが、覆屋の付いたなかなか立派な造りのものです。大きな本殿をまさにミニチュア化した感じを受けました。


      

              
唐破風造の屋根の前面に施された装飾金具も凝っています。



            





          
そして、その下の透かし彫り、蟇股の彫刻、木鼻、本殿階段の飾り金具にも、意匠が工夫されています。

「若宮八幡宮 由来記」が備えられていて、持ち帰り自由と書かれていたのでいただきました。後で読んで、なるほどと思った次第です。読みづらいかもしれませんが由来記を写真でご紹介させていただきましょう。

天喜元年(1053)源頼義が、後冷泉天皇の勅を奉じて文武の神、治山治水の神、長寿の神として創建したのだとか。頼義は左女牛井西洞院に邸宅を構えており、その邸内に八幡宮を勧請したのです。六条八幡とも左女牛井八幡ともいわれたようです。この若宮町に、頼義の館があり、源義家はこの地で誕生したと言われています。(他にもいくつか説があるようです。)八幡太郎と通称される義家もその邸宅を用いたとか。その東には、後に義経が居を構えるなど、まさに源氏ゆかりの地だったのですね。(参照1,2)

五条坂にある若宮八幡宮社は、実はこの地から移って現在に至っている社なのだということをここで知りました。もとはこの地に壮麗な殿舎が建ち並んでいた時代があるのです。秀吉の京都改造で八幡宮が移され、二転、三転して慶長10年(1605)に現在の五条坂の地になったそうです。

江戸時代のガイドブックである『都名所図会』(1780年刊)には、若宮八幡の項において、「五条橋東五町にあり。祭る所石清水と同神なり」と記し、「初めは六条佐女牛(さめうじ)にあり。故に佐女牛八幡とも号す。(旧地は若宮通六条の南、人家の裏に小社あり。これその旧蹟なり。天正年中にこのところにうつす)」と説明しています。(参照3)

現在、五条坂にある若宮八幡宮社は、祭神が仲哀天皇、応神天皇、神功皇后です。そして昭和24年(1949)に陶祖神・椎根津彦命を合祀したそうで、現在では陶器神社とも呼ばれています。清水焼の五条坂、その関係での勧請ということでしょうか。(参照3)
若宮稲荷大明神の小祠が境内社として祀られています。

若宮八幡が東遷した後も、この町の人々が創建以来の宮を自分たちの神として信仰し、社を再興し維持してこられたのでしょう。
小さいながら、町の人々の信仰が息づいていて、心意気と趣を感じる小社、境内でした。

次の目的地は五条天神です。

つづく

参照資料
1)「若宮八幡宮 由来記」 現地にて入手
2) 八幡太郎義家誕生地 :「京都市情報館」
3)『都名所図会 上巻』 秋里籬島執筆、竹村俊則校注 角川文庫 p133
4)『京都・観光文化検定試験』監修・森谷剋久、京都商工会議所編、淡交社

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
京の名水 :「フィールドミュージアム京都」
京の名水めぐり :「京都観光チャンネル」
下京再発見-源氏・平家ゆかりの地めぐりコース- :「京都市下京区」
  地図がgifファイルとしてダウンロードできます。
源 頼義 :ウィキペディア
源 義家 :ウィキペディア
椎根津彦 :ウィキペディア
若宮八幡宮社  :ウィキペディア
陶器神社と呼ばれる八幡さま「若宮八幡宮」 :「KYOTOdesign」

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Last updated  2017.02.07 16:10:34
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