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遊心六中記

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2022.04.26
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カテゴリ:探訪
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 五条通を西に歩み、右折して西洞院通を北上します。

松原通西洞院に「五条天神社」があります。西洞院通に東面する形で石鳥居が立ち、四脚門と「五條天神宮」碑が見えます。松原通がもとの五条通ですので、五条天神という名称そのままです。

石鳥居を潜り、門を入ると、境内の正面に社殿が見えます。
                  
                   拝所に近づくと、「五條天神」の扁額が掲げてあります。
                  
                                             拝所から眺めた本殿
以前に、「探訪 [再録] 京都・下京 史跡めぐり -2 五条天神社、管大臣神社」としてご紹介しています。五条天神社自体については、​こちらからご覧いただけるとうれしいです​。

あまり重複しない形で補足として書き加えます。

                                       門を入ったすぐ左に手水舎があります。

社殿の南東隅手前に、この碑が立っています。
この「皇國醫祖の碑」(皇国医祖の碑)は以前にご紹介しています。
 今回、この案内が掲示してあることに気づきました。
 
 
       
        読みづらいかも知れませんが、説明文を部分拡大してみました。

 
     
     社殿の南西隅の近くに、「筑紫天満宮」の提灯を吊した小社が勧請されています。

 松原通に面した門(北門)です。
 
門の傍に設置されたこの案内板の説明がご紹介事項と関係しています。
 
 
                                    駒札の一部
西洞院通の石鳥居の南側に立つ駒札の説明にも関連する記述があります。

五条天神社は当初「天使の宮」(天使社)と称されていたと言います。ここがキーポイントなのです。また、駒札には「創社の頃は社域も広く」と記されています。
江戸時代に出版された『都名所図会』の「五条天神宮」の項に、「古は宮殿巍々として東西四町、南北五町の神領なり。巡りには樹林森々たり」(資料1)と説明されています。それほど大きな社域が広がっていたのでしょう。

さてそこで、現在の地図を見ますと、南北方向の西洞院通の西側2筋目が油小路通です。
その中間に、北端が仏光寺通で南端が七条通までという1本の道路が通っています。
手許の地図並びにネットのMapion地図には、この通りの名称が載っていないのですが、「東中筋通」と称するそうです。

五条天神の北門を出て、松原通を西に進みます。
 通りの左側(南側)に宝形造の屋根の地蔵堂が目にとまりました。
        
        格子扉越しに内部を拝見すると、お化粧されたお地蔵さまが見えました。

地蔵堂の少し先で左折して東中筋通を南に下ります。
 
五条通の少し手前まで一旦下り、この通りを引き返しました。南から北方向を眺めた景色です。
 
通りの東側に駐車場があります。そこに記されている​地名が「天使突抜(てんしつきぬけ)」​です。
この奇妙な地名の現地を歩いてみるのがここに来た目的です

この地名にはあの豊臣秀吉が絡んできます。
秀吉は京都の周囲に御土居を築くとともに、都の大改造を行いました。五条通を付け替えたのもその1つです。秀吉は都市改造の一環として、西洞院通と油小路通の間に、南北の通りを作ったのです。それが東中筋通になります。
この道路は、このあたりに広大な社域を所有していた五条天神社つまり天使社の社域を突き抜ける形で設けられたのです。「天使突抜」という地名はそこに由来すると言います。(資料2,3)

現在の地図を見ますと、五条天神社は天神前町に所在します。松原通の南北を挟んで町域が形成されています。松原通を左折し東中筋通を南に下ると、天神前町の南隣りが「天使突抜1丁目」、万寿寺通を境にその南側が「天使突抜2丁目」です。
五条通を横断して南に下がると、さらに3丁目、4丁目が続きます。六条通が4丁目の南端になります。

元治元年(1864)に出版された「京都古地図」(竹原好兵衛[京都])を見ますと、五条天神の西側の通り上に、松原通の北側に「天シツキヌケ」、南側に「一丁目」、さらに南に「二丁メ」「三丁メ」そして「金福寺」の西側に「四丁メ」の表記があります。(資料4)

高辻通に出たいので東中筋通を北に上ります。
 まずは天神前町まで戻り、さらにそのまま北上します。

天神前町の北隣りが舟屋町、その北が高辻通の南側と北側を合わせて町域とする永養寺町です。
 
東中筋通を上り、高辻通に至る手前で見た掲示板の住所表記です。
高辻通と油小路通を軸にして町名の表記が行われています。
東中筋通という通り名が出て来ないのがおもしろい。

京都の町中、洛中では、東西と南北の主要な通り名を軸としてその交点を述べて、そこから東(西)入ル、あるいは上(下)ルと説明する方がわかりやすいのです。町名すら知らなくても、場合によっては目的地付近までは十分にアプローチできます。
例えば、大丸京都店なら四条通高倉西入ルです。高島屋京都店なら四条通河原町西入ルです。京都文化博物館なら三条高倉という具合です。勿論、それぞれ町名はありますが、意識したことがありません。

今回は、おもしろい地名のご紹介でした。
ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1)『都名所図会 上巻』 竹村俊則校注  角川文庫 p158
2) ​京都難読地名のひとつ「天使突抜」。その由来になった「五條天神宮」とは・・・?!
                          :「ことりっぷ co-Trip」
3) ​天使突抜 秀吉のごり押しでできた地名?​  :「京都ブログガイド」

4)​「京都古地図」​ 元治元(1864)年 竹原好兵衛(京都) 所蔵地図データベース
                                                        :「国際日本文化研究センター」

補遺
五条天神社​ :「京都観光Navi」
京都文化博物館​ ホームページ
   トップページの最下段の住所表記をご覧ください。

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





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Last updated  2022.04.26 00:10:04
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