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カテゴリ:観照
![]() 11月10日(木)、暦では「立冬」(11/7)を過ぎた日の噴水のあるエリアの紅葉です。 ![]() ![]() 噴水前の広場には落葉が沢山散っています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 円形の噴水の東側に据えられたロダン作「考える人」のブロンズ像へと歩みます。 明治古都館を背景に、北側の木々が紅葉を深めています。 ![]() ![]() ![]() まずは、恒例にしている「考える人」像を撮ります。定点観測のように毎回撮っています。 ![]() 噴水のある広場南側にある通路沿いの紅葉樹 この南側(左側)が「西の庭」です。 ![]() この通路から噴水のある広場の方(北方向)を眺めた景色 ![]() ![]() ![]() 「西の庭」を少し散策しましょう。 ![]() ![]() 石造不動明王立像の南西方向に見える木々の紅葉はまだこれからのようです。 博物館の敷地内においても、紅葉の度合いはかなりバラツキがみられます。 ![]() ![]() 石造地蔵菩薩坐像の傍の紅葉もまた始まったばかりという感じでした。 今頃は紅葉がかなり進んでいることでしょう。 ![]() 「西の庭」の中央部の通路ぞいには、様々な花を植えたフラワー・ボックスが並べてあります。 ![]() ![]() ![]() 秋の花々のオンパレードです。 ![]() 昆虫が止まっているのも目にとまりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 何種類の花が一緒に咲き誇っているのでしょう。 花の名前も識別できないままです。 ![]() 花の写真を撮った道を出口の方に引き返します。 ![]() ![]() 国境の道標が保存されています。 「山城国」は旧国名。現在の京都府南部の地域です。古く奈良時代には、「山代」「山背」と記されました。奈良時代の政治の中心地は大和であり、そこからは北の山の背後の地域になります。 平城京から平安京に遷都され、794年(延暦13)に桓武(かんむ)天皇の詔(みことのり)として「此(こ)の国の山河襟帯(きんたい)にして自然に城を作(な)す。斯(か)の形勝に因(よ)りて新号を制すべし。宜(よろ)しく山背国を改め山城国となすべし」と宣されました。これ以後「山城」に改められたそうです。(資料1) 現在でも、「城陽市・井手町・木津川市の3つの市町にまたがる南山城の山際をゆるやかにうねりながら続く一本の小径」を「山背古道」と称しています。今は全長約25kmの散策道です。(資料2) 山城国の西側は、現在の地図に当てはめると、北から向日市・長岡京市・大山崎町・八幡市・京田辺市・精華町が隣り合っています。(資料3) この道標はどの辺りに設置されていたものでしょうか。 京街道の視点で考えると、山陽道が大山崎町を通りますので、大山崎町西端の可能性が高い気がしますが・・・・。 ![]() ![]() ![]() 博物館の南門の出口手前で、東山の阿弥陀ヶ峰方向を眺めた景色 西の庭を散策した後、京都国立博物館を出ました。 ご覧いただきありがとうございます。 参照資料 1) 山城国 :「コトバンク」 2)「なびMAP 木津川市」木津川市観光協会 3) 山城地域とは :「京都府」 補遺 山城国 :ウィキペディア 山背古道 :「木津川市」 山背古道ガイドブック・山背古道探検マップの発行について :「井手町」 山背古道 ホームページ 阿弥陀ヶ峰 :ウィキペディア 阿弥陀ヶ峰 :「東山三十六峰」(TOSHIさんのホームページ) ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 観照 京都国立博物館 -1 特別展「京に生きる文化 茶の湯」(1) へ 観照 京都国立博物館 -2 特別展「京に生きる文化 茶の湯」(2) へ 観照 京都国立博物館 -3 特別展「京に生きる文化 茶の湯」(3) へ 観照 京都国立博物館 -4 特別展「京に生きる文化 茶の湯」(4) へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.11.21 23:57:31
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