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遊心六中記

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2023.11.04
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カテゴリ:観照 & 探訪

ここはJRと京阪電車の「東福寺」駅から数分のところにある「瀧尾神社」です
本町通(旧伏見街道)に面した石鳥居と境内を撮った景色です。

先月10月19日に京都国立博物館の特別展「東福寺」に行く際に、本町通から境内を眺めると、ここ数年、本殿・瑞垣等の修理工事中だった境内がスッキリとなっていました。そこで帰路に久しぶりに立ち寄ってみました。
未だ修理工事は継続中のようですが、拝見するのに支障がないところもあります。私の関心のあるところは久しぶりに眺めることができました。
 
私が久しぶりに眺めたかったのは神社のこの唐破風屋根の拝所と瑞垣、拝殿です
本殿は南面しています。

瀧尾神社は大国主命を祭神とする古社(旧村社)で、深草にある藤森神社の境外末社になるそうです。社伝によれば、所在地の変遷があり、日吉坂に位置した時に、天正14年(1586)、豊臣秀吉による大仏殿建立に際し、現在地に移されたと言います。(資料1)

 
       
近づいて行きますと、菱格子の設けられた瑞垣の修理されている様子がまず見えます。
 
私の関心の対象の一つは、唐破風屋根のこの拝所です。
屋根の頂の正面に獅子口が見えます。経の巻の瓦当には三頭巴紋が陽刻されています。
 
綾筋の下の陽刻は、瀧尾神社の御神紋が要項されているのでしょう。
     
  破風の飾金具で荘厳された中央部の下の兎毛通の箇所は、瑞鳥の丸彫り彫刻が見えます。
  欠損箇所が修復されていました。
 
        
        破風の左右の部分にも瑞鳥が取り付けてあります。
              
        右側の鳥を少し異なる角度から撮ってみました。修復箇所もよくわかります。

 
    久しぶりに拝見したかったのは、唐破風屋根の内側です。
 
この彫刻群の見事さを久しぶりに鑑賞したくなった次第。部分的な細見の楽しみです。

それでは、細部を眺めていきましょう
 
         
         虹梁の上の部分には、龍が向き合う形で彫刻されています。
 
        
            立ち位置を変えて眺めると、こんな感じに。
 
中央部の束の前面に彫刻されているのがこの動物。これは何? 不詳です。
       
   
       
       頭貫と虹梁との間には、鳥たちが透かし彫りで飾られています。
       
             右端で羽を広げているのはでしょうか。

 
                
唐破風屋根の拝所を支える柱の大斗の上には、瑞鳥の頭部像が東西で向かい合う形で載っています。

 
向かって左(西)側の奥の柱の大斗の上には、この彫刻像が載っています。鼠か?
       
    梁の部分を眺めると、本殿の方向(北側)には梁に竜頭が彫刻されています。
    柱の大斗の上には、上掲の小動物が見えます。
      

 
拝所の正面側を北東側から撮った景色です。正面の頭貫・虹梁と彫刻群の背面になります
 
透かし彫りの背面の東端部をズームアップで撮ってみました。
 
蟇股の背面の彫刻もズームアップで撮ってみました。

 
     
          
拝所の正面に戻り、虹梁の上の透かし彫りを眺めるとここにも様々な鳥が彫刻されています。

 木鼻の獅子像
     ​​
     獅子像と草花を一体化して彫られている箇所もあります。

 
拝所に近い箇所を二カ所撮っただけですが、瑞垣の菱格子の上部にも、透かし彫り彫刻が施されています。ここには、が彫刻されています。
 
   もう一カ所がこれ
 
     左端にニ羽のうさぎが彫刻され、
       
    右端には虎が彫刻されています。虎はうさぎを虎視眈々と獲物として狙っている様子です。

未だ修理工事が継続されているようですので、拝所近くだけ拝見しました。

これらの木造彫刻は、京の彫刻師、九山新太郎の作と言います。過去ブログでご紹介していますので、ここでは触れません。遺された彫刻像そのものをお楽しみください。

序でに、ある本で知ったことを覚書を兼ねてご紹介します。現在のデパート大丸はもとは大丸屋という呉服店ですが、その始祖は下村正啓という人。江戸時代、元禄元年(1688)伏見の京町八丁目に生まれ、19歳の時に、家業の古着商大文字屋を継いで、伏見街道を往来し毎日京都へ行商にでていたそうです。その折り、欠かさず瀧尾神社に参詣し、商売繁盛を祈願したと言います。享保2年(1717)に自宅を店舗にして大丸を創業します。現金掛値なしの「正札付き大安売」で成功し、呉服店を拡大していきました。商売に成功した下村正啓は、晩年に、感謝の意を瀧尾神社の神殿造営で表したそうです。現在の建物は、天保10年(1839)に七代目の下村正篤が修復したと言います。(資料2)
その社殿が、ここ数年かけてまた修復工事が行われてていたということになります。1839年の後、現在までに大規模な修復工事が繰り返されてきたかどうかは資料がなく不詳です。

冒頭の写真には石鳥居の先に拝殿が移っています。
本殿の修理工事中は、この拝殿が仮本殿になっていました。現在は既に本来の拝殿の形にもとり、御神体は本殿に遷座されたのでしょう。
この拝殿を拝見するのが、もう一つの楽しみなのです。

つづく

参照資料
1)『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著  駸々堂 p51-52
2)『京洛ひとり歩き』 駒敏郎著  本阿弥書店 1991年3月刊 p41-43


こちらもご覧いただけるとうれしいです。
スポット探訪 京都・洛東 瀧尾神社細見 -2 社殿(本殿・拝所・透かし垣)





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Last updated  2023.11.04 14:52:43
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