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明日夢みて

明日夢みて

モリーのプロフィール/明日になれば・・・



モリーとアンは、2005年3月(アン)と8月(モリー)に

それぞれ虹の橋に旅立ちました。

沢山の皆さまの温かいお言葉と応援を、

どうもありがとうございました。






"明日になれば・・・"




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モリーのプロフィール



生年月日:1989年8月生
年齢:2005年5月現在で15歳と9ヶ月
性別:女の子
経過:2003年6月慢性腎不全と診断、5日に1回の自宅での皮下輸液と、活性炭の経口投与で、約1年半の間、体重も食欲も安定し維持されていましたが、仲の良かったアンがいなくなった頃から、体調を崩し、食欲不振に。2005年4月中旬の血液検査で、慢性腎不全が悪化したことが判明。点滴通院をしながら、余生を送ることになりました。

・・・・・・・・・2005.4.14.記




モリーのプロフィール

生年月日:1989年8月生まれ
年齢:2005年8月現在で、16歳になりました。
性別:女の子
経緯:2003年6月、13歳後半の時に、食欲不振のため、血液検査。慢性腎不全と診断される。その後、活性炭の薬の経口投与と、5日に1度の皮下輸液で2年強。

仲良しのアンがいなくなる少し前(3月前半あたり)までは、体重も安定し、毛艶の良い状態を保っていました。2005年4月中旬に食欲不振のため、血液検査。腎臓の数値が悪化しており、入院して、静脈点滴を受けることになりました。現在、元々アンほど食に執着のないモリーに何とか食べさせようと、悪戦苦闘の毎日です。

天国のアン、モリーの事を守ってあげてください。モリーにも、まだまだ沢山の明日が来ますように。
モリー、食べてくれるよね? 明日になれば・・・。

・・・・・・・・・2005.4.14.記



★ごあいさつ★

2005年8月7日午後10時40分、七夕の夜に、モリーは、仲良しのアンの下へと旅立ちました。

16歳と7日。皆さまの温かい励ましのお言葉、本当にありがとうございました。




   「 病む猫を 撫でて過ごせり 酷暑の夜 」

   「 合歓咲くや 息絶えし猫 そつと置く 」
   「 掌に残る 猫のぬくもり 星の秋 」

   「 朝寒や 猫の遺り毛 付きし服 」     

   「 猫二匹 亡くせし年の 賀状書き 」
     
                       母 作


・・・・・・・・・2005.8.10.記









「頑張って、自分が星になる日も決めてたんだね。

モリーちゃん、かっこよすぎだよ。」




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2005年8月の老猫会のトップよりお借りしました。m(__)m
 







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キリ番ゲットでいらしていただいた、猫地蔵さま

------老猫会moomamaさん作です。






2003年まで
moritana.jpg ペットショップのケージの中、兄弟猫から散々かじられているのにじっと耐えている姿を見たのが最初の出会い。そのけなげさに感動し、忍耐強く大人しいだろうと思い連れ帰ってきたのですが、これが予想に反して、気が強く好奇心旺盛で感情表現も豊か。いわゆる「猫」という動物の印象を180度変えてくれた「猫らしくない猫」です。おかげで、楽しく賑やかな暮らしが続いています。

シャム猫の不思議な魅力って、いったい何でしょう?「犬っぽい」「頭が良い」などは一般によく聞くところですが、率直に言って「ヘンな猫」です。いくつかのエピソードをご紹介します。


2002.1.27.記



子猫の頃、足に噛み付く癖があったので、きつく叱ったところ、反省したのか、すごすごと物陰に隠れてしまいました。そこで、他の用事をする為その場を立ち去ろうとしたら、「ゥ~ニャン!!」という声と共に、ダダダッと走り寄ってきて人の足を引っ叩き、そのまま走り去っていってしまいました。あれは確実に「仕返し」だと思いますが、猫にも「悔しい」という感情があるのでしょうか?

鏡で光を反射させて壁に当てて動かし、じゃれさせて遊んでいるとき、同居猫のアンはいかにも猫らしく一所懸命反射光を追いかけてる一方、モリーはそんなアンを一瞥し、一緒に遊んでいる人間の方へおもむろに近寄って来たかと思うと、鏡を持った手元をポン!と軽く触り、「子供だましね。」と言わんばかりにスタスタと行ってしまいました。後にとり残された人間は赤面するばかりでした。


2002.1.27.記


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moridaidokoroh.jpg たそがれている様子を何とはなしに見ていたら、「何(イントネーションあがる)?
見ないでよ(イントネーション下がる)。」とまるで人間が言うようなイントネーションで鳴き声を発し、その場を立ち去ってしまいました。また、話しかけても、同じイントネーション・口調(というのか?)でタイミングよく応えを返してきますので、人と会話している気分になってしまいます。

柱と壁・本棚の一角の周囲をぐるぐる周る追い掛けっこをして遊んであげていた時、いつのまにか姿が見えなくなったので、後ろから来るのだろうと逆方向に回ってみたが見当たらない。おかしいと思って捜してみたら、壁と本棚の隙間に入り込み、グルーミングなどしながら「何してるの?」といった調子で涼しげにこちらの様子を窺っていた。つまり、人間1人だけでぐるぐる何周かまわったということです。ああ、情けない。遊んでもらっていたのは人間の方だったのですね。


2002.1.27.記








2003年~
2003年5月、13歳と8ヶ月の頃、半年前と較べて体重が600gくらい減少し、食慾もなくなったので、病院に連れて行ったところ、
胆のうのあたりにしこりがあると言われ、迷ったのですが、試験開腹を行いました。

結局、腫瘍は見つからず、事なきを得たのですが、
腎臓が2つとも歳相応に萎縮しているといわれ、慢性腎不全との診断を受けました。10歳頃から、アンと一緒に腎不全用のフードを食べていたのですが、やはり発症してしまったようです。

その後、偏食が進み、約半年を掛けてカロリー管理とフードジプシーを続け、年末には、ほぼ元の食欲と体調に戻すことが出来ました。投げた紙くずにじゃれて走り回ることができるほど、体力も付いてきました。

写真は、2003年6月中旬、手術後の割烹着姿の時に撮ったもの。病院ではリラックス出来なかったので、早々に夜間退院に移行していただき、日中だけの点滴通院をしばらく続けていました。


2005.5.21.記


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退院後、血液検査で経過を観察したところ、腎臓の機能の数値がそれ程改善されていなかったので、2003年8月より週1~2回の自宅での皮下輸液を行うことになりました。

人肌に温めた溶液を、90ml手早く注入します。緊張が激しくなると、よだれが出たり、吐いてしまったりするので、寝込みを襲ってボーっとしている時に行います。それでも、最初は逃げ出そうとしたり、かなりの抵抗を試みます。

写真は、発症してからほぼ1年経った、2004年7月頃。
「嫌だなあ~。」と不満げな顔のモリーです。


2005.5.21.記




2004年も半ばを過ぎ、アンの余命宣告に衝撃を受けながらも、それなりに平穏な日々を送っていました。

モリーの食欲にも特に変化はなく、アンのご相伴のいろいろな機能性食品のお陰か、老齢ながらも、1人運動会をしたり、たまには、アンと追いかけっこをしたりと、まるで若返ったように活発に動き回っていました。

5日に1度の自宅での皮下輸液も定着し、活性炭を飲みながら、体重や食欲も安定した状態を維持していました。アンの容態が目に見えて悪化するまでは・・・。

それまでの間にも、モリーもアンの変化に気付いてはいたようです。
息苦しそうなアンを見ては、時々、「どうしたんだろうねえ?」というような目で、我々に問いかけていました。

2005年3月上旬、アンの容態悪化に連動するように、モリーの体調にも変化が現れたようです。3月6日のモリーの体重は3.40kg。
アンのことがあったので、それからはしばらく体重を量りませんでした。

3月17日にアンが他界、2日間くらいは様子もおかしく、まるでアンを探しているかのように、落ち着きがなく、鳴き回るかと思えば、ウンともスンとも言わずに黙りこくっていました。もう少し長引くかと思ったのですが、表面的な行動などは、すぐに普段のモリーに戻ったので、ほっと胸を撫で下ろしていたのです。

3月18日、久し振りに量った体重は3.15kg。この時からしばらく、フードジプシーとカロリー計算を始めることになります。アンを失ったストレスからか、この期間、皆の注意がアンに行っていた寂しさからかは分かりませんが、アンの死は、モリーの体調に確実に変化を与えたようです。


写真は2005年2月頃、アンの変化を気にはしつつも、いつものおどけた仕草で和ませてくれ、それによって我々も救われていました。


2005.5.21.記


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アンが他界してから、1ヶ月ほど経っても食欲が回復してこないため、獣医さんに促される形で血液検査をしたところ、「BUN 100超、 CRE 6前後」と、腎機能の数値が極端に悪化していました。

全く食べなくなったため、2005年4月14日、緊急入院して点滴を2週間ほど続けましたが、なかなか改善されず、点滴を切れない状態が続いています。

現在は、点滴と輸液を一日交替で行い、点滴による透析作用に依存しながら、また、加えて栄養や水分を補給をしつつ、何とか食欲の回復と、家で過ごす時間を長く取ることを念頭において、現状維持を目的とした治療を続けています。もうこの状態で1ヶ月以上経とうとしています。

今後も、大幅な改善は見込めないようなので、今の状態を出来るだけ長く、モリーが毎日を快適に幸せに過ごせるように、温かく見守っていくつもりです。「たくさん撫でて、たくさん可愛がってあげて、たくさん甘えさせてあげて下さい。」と獣医さん。

写真は2005年のGWのある晴れた日。お気に入りの場所での日向ぼっこのワン・ショット。

点滴のためのリストバンドが、常にどちらかの腕に巻かれていますが、それほど気にはしていません。

リストバンドは、赤と青があり、どちらが似合うかで、家族の意見が分かれています。青い眼の色に合うのは青いリスト・バンド、赤い鈴の色に合うのは赤いリスト・バンドです。両腕の被毛が、点滴のために剃られています。


2005.5.21.記



入院から約2ヶ月が経ち、週4日の点滴に通いながら、日常生活を送っています。食欲はそれ程戻りませんが、点滴を受けた日は身体も軽そうですし、ある程度の量は食べることが出来ます。

体重減少や歯軋りなど、徐々に尿毒症の進行を示す症状も出てきていますが、丸くなって熟睡することも出来ますし、人間にも甘え放題です。6月中旬に帰省した折には、大きな声も出ていました。

体力的にも少しずつ衰えているのを感じますが、なだらかな下り坂をできるだけゆっくりと歩んで行って欲しいと思います。

「今現在のモリーが幸せであること。」をモットーに、介護に勤しむ日々過ごしています。

2005.6.21.記


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2005061901 普段は箱座りをすることが多くなりました。横になったり、お腹を見せて寝転がったりということは、もうありません。

眠くなると頭を床に付け、熟睡しています。丸くなって寝ていることもあります。ピアノの上やテレビの上が、現在お気に入りの場所です。

現在のリストバンドの色は黄色です。

2005.6.21.記



6月後半に、再度食欲が落ち、血液検査をしたら「本当なら、もう生きていない数値。」だと言われました。BUN 134.7 CRE 8.4 だそうです。

それからは、毎日点滴に通い、オフ日はなくなりました。気の毒なことは気の毒なのですが、病院に慣れているので、それだけが救いです。食べていない割には、まだ体力もあり、守備範囲を2階まで広げて、気ままに過ごしていました。

そうこうしているうちに、朝から呼吸が速く、点滴から帰ってきてもずっと速いままで、いつもとかなり違う異変を感じる日がやってきました。その翌明け方、初めての尿毒による癲癇の発作がおきました。

時間は2~3分くらいでしたが、その日を境に、がくんと体力が落ち、ジャンプもできなくなり、後ろ足が以前にも増してふらつくようになりました。

写真は、発作のあった翌日。2階の押入れが気に入ったようでしたので、中にカーテン付きのベッドを作ってあげました。押入れは、保温・防音・薄暗さ・静かさなどの条件を満たした、モリーにとっては格好の休息の場となりました。

撮影の時は、カーテンを上げて自然や蛍光灯の光を入れ、ノーフラッシュで撮るように心がけています。

2005.7.5.記


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発作も何とか落ち着いたのか、今のところ、続いては起こっていません。

前足の力も弱くなり、よろよろと短い距離しか移動できませんが、食欲も少しずつ戻ってきて、発作当日よりは上向きだと先生も仰っています。このまま、少しでも体力が戻ってくればと、皆で祈っています。

2階の押入れベッドの条件を参考に、1回の居間にもモリーの個室を作りました。

点滴から帰宅してすぐ気に入ったようで、我々も居間にいながらにして、モリーの様子を見守ることが出来るようになりました。普段はかバスタオルのカーテンで、光を遮り、薄暗くしています。

写真は、撮影のためにカーテンを上げたところ。フラッシュで驚かせることが発作のきっかけにならないように、目をつぶっているところを撮りました。これからは、夜でもなるべくフラッシュを焚かずに、と思っています。

徐々に弱っては来ていますが、その中でも、出来るだけ快適に平穏に過ごしてもらえるよう、皆でサポートしていくつもりです。

2005.7.5.記



7月に入って、何故か体重が増加してきました。

ちょうどお気に入りの缶餌を、わりと喜んで食べ始めた時期と重なったので、最初は単純に喜んでいましたが、ほどなく「むくみ」だと判明。同時に、脱水症状も見られ、水分のコントロールが出来なくなってきているとのことでした。

点滴の量を減らしつつ、様子を見ていますが、かなり厳しい状態で、慢性腎不全の極末期、余命は1週間あるかないかだとの診断を,
7月16日に受けました。

写真は、7月19日、2時間の点滴を終えて帰宅したモリー。
広縁で瞑想状態です。

2005.7.19.記


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7月16日に「1週間は厳しい。」と言われ、更に翌週も同じことを言われました。1週間1週間が厳しい状態で、1ヶ月単位の余命ではないとのこと。

最初の宣告から、約2週間が過ぎましたが、まだ安定し、落ち着いている様子なので、家族一同ほっと胸をなでおろし、また感謝しています。

むくみはかなり解消されましたが、依然としてまだ残っており、同時に脱水も見られるそうです。点滴の総量も少し減らし、時間も短くしました。

家でゆっくり過ごす時間が多くなり、モリーにとってはリラックスできているようです。呼吸数も落ち着き、時々ピクピクしていたチックのような症状も若干治まり、以前より眠れているようだとのことです。

写真は、7月24日頃のもの。英国土産のキャットニップを与えてみましたが、あまり興味を示しませんでした。やはり、またたびの木の方がお好みのようです。

8月生まれのモリーは、あと2日で16歳です。

2005.7.30.記



ギリギリの状態ではありながらも、安定を保ったまま、8月に突入。モリーは、晴れて16歳になりました。おめでとう、モリちゃん。よくがんばったね。

最近は、ひんやりして涼しいせいか、トイレがお気に入りです。何かといえば、トイレにのそのそと入っては、熟睡したり、安心して目をつぶったりと一段とリラックスしているご様子。我々介護人は、トイレが好きな理由が分からず頭を傾げていました。

写真は、7月31日頃のもの。トイレで熟睡中のモリー。北国とはいえ、日が落ちるまでは蒸し暑い、夏真っ盛りの季節です。この日から、点滴が足になり、更に自由に動きにくくなりました。

2005.8.28.記


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足に固定された点滴の留置針のため、以前より移動することが困難になりました。

時間をかけて短距離であれば、自分で移動しますが、もっぱらうずくまって、左右に頭をキョロキョロさせています。後から考えれば、この頃から、視力も失われていたようです。

写真は、8月2日。点滴に行く前の、朝のひとときです。

2005.8.28.記



少し様子を見に行って来ようと帰省したのが、8月3日。うずくまったままで、ほとんど動けなかったけれども、それほどギリギリの状態には見えず、「お帰り。」という声にも、思ったより力も張りもありました。

身体が動かない代わりに、耳もしっぽも案外良く動き、少し安心しました。手を身体に当てたり、耳を寄せたりすると、かすかなゴロゴロも聞こえていました。

写真は、再会を果たした翌日の8月4日朝のもの。点滴に向う前のひとときを、トイレの中で過ごすモリー。トイレ砂が口のあたりに付かないように、タオルの枕でガード。


2005.9.12.記


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翌日の8月5日。点滴へ行く途中にしゃっくりのようなものが起こり始め、頭が持ち上がらなくなりました。結局、様子を見るということで、家に戻りました。

その後、一旦、上がった頭も、再度のしゃっくり様のもののせいで、また床についてしまいました。それ以降、頭は床に付いたままで、完全な寝たきりの状態に。世話がしにくいので、トイレから出して、バスタオルの上に寝かせてあげました。

写真は、翌日の8月6日の日中。
朝になっても頭が上がっていなかったので、獣医さんと相談の上、点滴にはもう行かないことに決め、足の留置針を取り外すことにしました。

目も見えず、動けないモリーの傍に、常に誰かが付いているようにと、2交代制にして、むくんでいる足や手をマッサージしながら、添い寝をして撫でていました。


2005.9.12.記



寝たきりになったモリーと共に、丸2日間を一緒に過ごしました。日中は背中だけ日向ぼっこをしたり、話しかけて撫でたりしながら、時々来る吐き気のような発作をやり過ごし、7日の夜を迎えました。

前日から、添い寝をしているときに歌を歌うことにしていて、その晩も童謡などを口ずさみながら、撫でてあげていました。

一旦、「子守唄」や「七夕さま」などの童謡を歌い終え、何となくまだ口ずさみつつ、モリーを挟んで軽い談笑などもしているときに、最後の発作が訪れ、モリーはそのまま、アンの下へと旅立って行きました。

奥州七夕の真っ盛り、2005年8月7日の夜、16歳と7日でした。

写真は、8月7日の夜8時頃。童謡などを歌いながら、モリーに話しかけたり、撫でたりしている、今でも心にはっきりと残っている温かなひとときのものです。

2005.9.12.記


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19890901ss

生後60日
19890907

生後半年
1995123001s

5歳6ヶ月
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12歳9ヶ月
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14歳3ヶ月
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15歳6ヶ月
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15歳9ヶ月
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15歳10ヶ月
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15歳11ヶ月1週目
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15歳11ヶ月2週目
2005071201s

15歳11ヶ月3週目
2005071807

15歳11ヶ月4週目
2005072402s

15歳11ヶ月5週目
2005080101

16歳1週目
2005080705s

16歳7日目









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