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常識について、考えるとき、
思い出す話がある。 アメリカの独立運動の精神的な支柱になった本に、 「コモン・センス」トーマスペインがある。 イギリスの植民地であったアメリカ人たちに、この元コルセット職人だったペインは、 皆、税金を取り立てられてばかりいて、黙っているなと挑発した。 心の底に眠る。 常識とは、何か、非常識とは何かを、問題提起したのだ。 人々はこの文章に熱狂したが、当時の指導者は、彼の名声を利用しながら、疎んじられてもいた。 発言が、過激すぎたのかもしれない。 そんな立場だった。 ペインは、やがて、野垂れ死のようにして死ぬ。 ペインは、あるゆる立場の権威を否定していた。 クエーカー教徒でもあるペインは無縁墓地に葬られることを拒んだ。 生前にこう言っていた。 「死んだ私を、どう批判しようと構わないが、永遠の眠りを眠る、わずかな土地くらいを与えてほしいものだ。」 そういうペインに、 牧師は「まず、無理だと否定した。」 あらゆる権威を否定したペインは、教会までも、敵にしていたのだ。 ペインは死に、墓地ではなく、農園の片隅に埋められた。 墓碑に書かれた言葉。 「トーマスペイン『コモンセンス』の著者」 自分で書いた碑だ。 この墓地は、墓石を壊され、花を引き抜かれた。 十年後、ペインの骨は、掘り出され、イギリスの諸都市を回って、ショーの見世物になるはずだったが、イギリス政府は許可せず、やがて、遺骨は、どこかで行方不明になってしまった。 常識とは、本来、こういうものなのだ。 常識が、みんなと、同じということではないのだ。 あたりまえのことを言うことには、 血みどろの覚悟が必要になるときがあると、 「コモンセンス」は、教えてくれる。 この記事を評価する お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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