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![]() 「多くの人は魔法みたいに思っていますが、心霊現象で人生は変えられない。私がお伝えしたいのはスピリチュアルな法則、いわば、人はなぜ生まれてなぜ生きるのかという哲学です。 どうしたらお金が儲かるとか、私利私欲、物質的な利己主義のためにカウンセリングを続けるのはあまり意味がない。私は毎年千件の相談を受けてきましたが、本当にやってよかったと思うのは、せいぜい百件。 大事なのは生き方を示すこと。そのためには本を出したい。私は一人で、語れるものにも限りがある。本はいろんなところで、いつでも読んでくれる。それで読者の生き方が変るかもしれない」 ――個人カウンセリングはしないのに、番組では芸能人にだけするのはずるいという声もあります。 「何がずるいんですか。皆が依存心が強すぎる。逆に何様だと思います。テレビでやっているのは芸能人だからその私生活を提供しているわけでしょう。デモンストレーションとして皆さんの人生の参考にしていただければいいんです。一般の人はまずカウンセリング以前に、人間として磨かれるべきでしょう。私の最終目標は霊能者撲滅! 霊能者なんかいなくても、自分のことは自分で解決する」 ――招霊する時は体力を消耗するんですか。 「集中力は必要ですね。歌にたとえるとウォーミングアップが大切。声のコンディションと同じ」 ――体調が悪いと見えにくいですか。 「ありますよ。見えないことはないけど、見えにくい。あと相手によって変わる。『オーラの泉』は肯定派が原則の番組でしょ。だからちょっと奇怪に見えると思うんです。私からすれば、人生のサプリメントにしてくださいという感覚ですね」 ライフワークはホスピス活動 ――かつて著書でテレビに出ている霊能者を批判していましたが。 「傲岸不遜に思ったらごめんなさい。そういうつもりで出演しているんです。霊がついていると脅かしたり、何でも霊のせいにする霊能者を出させないために居座っている部分もある。 私はメディアの世界から去るのは簡単なんです。テレビに出ている人はみな儲かると思い込んでいるけど、テレビに出ないでカウンセリングやっている方がずっと儲かるでしょう。テレビに出なくてすむんだったら出たくない。私が去ったら、急にまた、あなたの守護霊はなんだと言う人が出てくるかもしれない。そしたら、もういいや、言うこと言ったしって思うでしょうね」 ――テレビでの江原氏の位置づけはタレントですが。 「タレントだったらましです。しょせん霊能者、奇異な目で見られる。霊的な事象はどれだけ見せても認められるわけではない。 見せるだけならばMr.マリックの方が絶対に面白い。何やったってかないません。私は霊の世界は、理解する必要がきたらその時、理解すればいいと思っているんです」 ――『オーラの泉』ではゲストの自宅に霊視で入っていきますね。 「あれはワザとやってるんです。テレビは非常に酷で、あの部分を除いたら、ただのトーク番組。人の家なんか覗く必要ないんです。霊視を垣間見せたとこで、調べてんだとか、マネージャーが教えているんだとか言われる。でもそういうデモンストレーションの実証的なことを盛り込んでいかないと何のためにやっているのかわからなくなってくる」 幼少時代から赤貧生活を経験した江原氏は、「霊能力」を駆使し大成功。都内の高級住宅地のモダンな一軒家に住み、年収は1億円を超える。今や自身が批判する「物質主義的価値観」の頂点にあるのではないか。 ――今後はいったいどうするつもりですか。 「私は現在、ありがたいことに収入がありますが、そのお金を生かしてホスピス活動をしたいと思っているんです。2年以内に実現しようと計画していますし、そしたら今のような活動はできなくなるかもしれませんね。私は霊能的な世界の宮城まり子を目指していて、ライフワークはホスピスに賭けようと思っています」 最後にこんな質問をぶつけてみた。 ――週刊文春編集部を霊視してもらえませんか。 「いや、そういうこと言われるだろうと思っていました。繰り返しますが、私は霊能力のひけらかしのために活動しているわけではありません。お断りします」 残念ながら、彼の「霊能力」を直接体験することはできなかったのである。(引用終わり) これだけの記事なら、たいした「正体暴露」ではなく、まるでスピリチュアルイノシシの「宣伝」のようなものだと思える。文春もベストセラー作家・スピリチュアル山師に本を書いてもらって稼ごうとして(ちょうど新潮社が養老孟司をヨイショしてゴミのような本で大儲けしているように)、江原啓之を「持ち上げている」のではないか、と疑ってしまった。 ところが、翌週、以下のように、江原啓之の人間性を疑わせるような追跡記事が出たのだった。 『週刊文春』2006年3月2日号より ● 元女性信者が告発 江原啓之 「暴行」と「猫虐待」 包丁を持たせて「死ね!」 週刊文春記者 中村竜太郎 OLや主婦を中心に“エハラー”なる熱狂的な追っかけファンが急増中のスピリチュアルカウンセラー江原啓之氏(41)。その江原氏から「虐待を受けた」と証言する女性が現われた。元信者である女性は「彼の暴力に怯え、奴隷のような日々を送っていた」と振り返るのだ。 人気スピリチュアルカウンセラー江原啓之(41)。小誌は先週号で、その「過去」と「実像」を追ったが、取材の過程で驚くべき証言が飛び出した。 江原氏が経営する『スピリチュアリズム研究所』で、かつてスタッフとして働いていたA子さんが語る。 「今まで江原さんの事は話したことがありません。なぜなら思い出すだけでもあの頃の精神的肉体的苦痛が甦ってきて、トラウマになっているからです。 本当は胸にずっとしまっておくつもりでした。ただ、最近江原さんがテレビや雑誌などで道徳を説いているのを見て、彼の本当の姿をきちんと伝えなければならないと思いました。 江原さんは暴力的傾向がとても強い方で、常に私たちスタッフを怒鳴り散らし、怒ってモノを投げたり、手で思いっきり叩いたり、胸を突き飛ばしたり、足で蹴とばしたり、ひどい暴行を繰り返していたんです」 現在40代のA子さんが江原氏と知り合ったのは20年ほど前。江原氏が和光大学を中退し心霊研究に没頭していた頃で、江原氏の引越しを手伝ったのがきっかけだった。当時江原氏は多摩センターの「三光苑」なる心霊相談所で霊能師をやっていた。そこにA子さんが相談者として通ううち、江原氏から頼まれボランティアを始めたという。 その後いったん途絶えたものの、87年、江原氏が下北沢の北澤八幡神社の神主をしながら自宅アパートで心霊相談を始めると、再び奉仕するようになった。 物静かな印象のA子さんが落ち着いた口調で語る。 「その頃私は昼仕事をしていたのですが、仕事が終わった後、江原さんのところへ通っていました。最初はお茶出しだけの手伝いということだったのですが、だんだん事務的な仕事もやって欲しいということになり、最終的には研修会というイベントの仕切り役をさせられました。何か流れに巻き込まれていくように仕事が増えていったんです」 仕事は午後5時半くらいから、遅い時は終電まで。深夜タクシーで帰ることもたびたびあったというが一万数千円のタクシー代は自腹だった。仕事内容は予約受付の電話番、相談者の記録用紙の整理、郵便物の宛名書きや発想手続きなど。 それ以外にも炊事、洗濯、掃除や風呂焚き、猫の世話など江原氏の私生活の雑用も主な日課だった。土日は終日、平日もほぼ毎日のように通ったという。 「ほとんど休みなく、多摩時代を合わせると7年間続けました。無報酬でした。お金の話をすると彼は怒ります。給料をくださいと言える雰囲気ではありませんでした。トイレットペーパーとかティッシュとか、糊、ボールペン、コピー用紙、惣菜などを買っていくと、江原さんは『その費用は計上していないから払えない』と突き返しました。こうした経費を1週間に2,3千円は立て替えていましたが、結局全額持ち出しになりました」(A子さん) 当時の江原氏はカルト宗教団体の教祖のような存在だったという。彼の説くスピリチュアリズムに初めて触れ、感銘を受けて集まってきた人々は熱心な信者。誰もが江原氏を「先生」と呼んで崇め、研究所内で彼の言うことは絶対だった。 A子さんが続ける。 「私は研修会の会場を押さえたり予算やプログラムを考えたりしていたのですが、まったくやったことのない仕事でした。些細なミスでも、江原さんはすごい剣幕で怒るんです。普通の怒り方じゃなくて体をわなわな震わせて怒る。本当に恐かった。私は萎縮してしまってひたすら『申し訳ございません』と土下座しました。 当時は江原さんに心酔していたので、普通なら理解に苦しむようなことで叱られても、『私が悪い。私が至らなかったばかりに先生を怒らせてしまった』という思いに縛られ、反論などしたこともないし、無抵抗に謝り続けていました。今思えば、知らず知らずのうちに洗脳されていたんです。そして気がつけば奴隷のようになっていました。 江原さんはオネエ言葉のような話し方をする人で、なにか気に入らないことがあると、『もう! いい加減にしてよ』とヒステリックに怒りました。仕事以外でも、私が江原さんを立てなかったり優先しなかったりすると癇癪を起こしました。たとえば、スタッフと4人でファミレスに行った時、先にコーヒーを注文したら、『私より先に注文するなんて何よ』って怒り始めたこともありました。 ご飯の入った茶碗が飛んできた 私は江原さんの晩御飯の仕度もしていたのですが、ご飯の盛り方が下手だと言っていつも怒られました。頂き物のイチゴが古くなりかけたのも私のせいにされ、『あなた、こんなこともわからないの』ってガミガミ言われました。呼ばれた時の返事が遅いと怒られることもしょっちゅうでした」 知り合った当初の江原氏は非常に優しかった。ところがスタッフとしてより身近になるにつれ、機嫌が悪いと語気を荒げたり、とげとげしい態度を見せるようになった。そのうちA子さんに対し「死んでしまえ」「地獄へ行け」と暴言を吐くようになり、それがいつしか暴力に変ったという。 「いつも、『反省しなさい』と板の間に正座させられていたのですが、きまって怒鳴られた挙句、食器や椅子、灰皿やゴミ箱を投げつけられました。それが毎日のように続くのです。その頃にはもう理由らしい理由はなくて、私の態度が悪いとか気に食わないとかいうことで暴行を受けました。 ある時いつものように食事の用意をしたら、『あなたも食べなさいよ』と言われ、一緒に食事をすることになったのですが、なにかが気に入らなかったらしく、いきなりご飯の入ったお茶碗が私の頭にすごい勢いで飛んできたんです。茶碗は左目の下に当たりました。悲鳴をあげるほど痛かったのですが、それよりも咄嗟に、何を怒られたのかわからなかったことで気が動転して、『申し訳ございません』という言葉が口をついて出ました。 その時江原さんに『血が出てるわよ』と言われて、初めて出血に気づきました。彼は手当てしてくれるでも心配してくれるでもなく、まだ腹を立てていました。私は傷口をティッシュで押さえ、床に散らかったご飯粒を、江原さんに謝りながら片付けました。 あの時江原さんがなんで怒りだしたのか未だにわかりません。ただ、そういった理不尽なことがあまりにも続いていたので、私自身、思考が停止していました。 モノを投げつけられる以外にも、手やスリッパの裏側で頭を叩かれたり、足を蹴飛ばされたりしていましたが、何の前触れもなしに突然怒るから身構えることができない。されるがまま。江原さんの暴力がいつ飛び出すのかいつも怯えていました」(A子さん) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |