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(しばらくNHKの松平アナの声に脳内変換をして下さい)
昭和20年4月11日、九州鹿屋基地から神雷部隊第五建武隊の13機の零戦が飛び立ちました。目指すは沖縄上陸作戦に参戦中の戦艦ミズーリ。零戦は次々に志半ばで撃墜され、そして14時43分、遂に最後の一機が米戦艦ミズーリに突入寸前の爆戦。この決定的瞬間を捉えた一枚の写真が後に世界で話題を呼びます。 ![]() これがその写真。左上に突入して来る零戦が見えます。撮影したカメラマンの話に寄ると零戦の機体が機関砲で穴だらけになるのが見えたそうです。 操縦士は絶命寸前に機首を上げようとしたものの、左翼が艦体に触れたため機体が左へ廻され、そのまま激突、裂けた機体から爆弾は海に落ち、無念の不発と終わったのでした。 ![]() 零戦が激突した痕がへこんでいるのが見えます 零戦のガソリンで甲板は火事になり、水兵達が鎮火作業にあたります。そして甲板に転がった機体の中から操縦士の上半身が発見されます。放水の水圧で遺体を海に押し流そうとした部下を止めたのは艦長でした。 「我が国は君達にここまで要求はしない」 艦長は言いました。 「しかし祖国の為にここまで命をかけるとは、敵ながら敬意に値する」 遺体は米兵の戦死と同様に手厚く水葬とされたのでした。 ![]() 説明するガイドのチャーリーさん。敬礼が板についている所やすれ違った軍人さんの位階をすぐに判別した事からおそらく・・ 一枚の写真。 あの零戦の搭乗員は誰であったのか・・そしてこれが後に5年の歳月をかけたNHKドキュメンタリー番組「神風特攻隊・ミズーリ突入の軌跡」を生んだ執念の調査のきっかけとなったのでした。 (松平アナ脳内変換ここで終り) ![]() こんなにも海が空が青いというのに、家族は疲労から起き上がれません・・ 午前中は寝ていたいと言うので、私は一人、出かけて来ました。 「戦艦ミズーリ見学ツアー」です。 湾岸戦争でトマホークを撃っていた最後の現役戦艦は、今は記念館として真珠湾で係留されています。歴史好きな私にはたまらない場所です (ノ∀`) 昭和20年9月2日9時2分(!)東京湾のこの艦上にて、マッカーサー元帥率いる連合軍側と重光葵全権率いる日本政府代表との間に「降伏文書調印式」が行われたのです。 戦前は宮内庁に務めた祖父から、玉音放送の録音盤を奪おうとした将校に顔の形が変るほどに殴られても録音盤の在り処を言わなかった同僚の話を聞いたりしていた私には、こういう場所は素通り出来ないのですよ。 祖父は戦後、戦争への彼なりの思いがあり、もう二度とこういう事はあってはならない、自分はその為に出来る事をしよう・・そして「法律は国の要だ、新しい国の法律を守る番人になろう」と裁判官になったのでした。 それで・・ツアーのバスに乗り込むと ![]() 誰もいません・・ 運転手兼ガイドの黒人のお兄さんが、カタコトの日本語で何とか明るくしようと努力しますが・・(・_・;「色が白いネ」と必死でお世辞を言ってくれたり。いえ、アンタに言われても (ノ∀`) ![]() パールハーバーですよ ここのどこの記念館でも博物館でも「日本はフェアでない」と繰り返し説明が日本語で入った音声ガイドを貸してくれます ![]() ミズーリの主砲は40センチ砲、かたや大和の主砲は四十六糎砲(サンチ、サンチ)。しかし戦艦同士で撃ち合う事はついぞなく終わったのでした。時代は戦闘機中心にすでに移行していたのです。全長はミズーリの方が7メートル長く、幅は大和の方が20メートル広い。エンジンはミズーリが上で時速60キロ、大和は50キロしか出なかったそうです。 どこか他のツアーの日本人のおじいさん同士が「日本も大和なんて作らずに戦闘機を作れば勝てたのに」とうなずきあってました。いえ、あの、そういう単純な問題でも・・(^^; ここは米軍基地内ですから、持ち物は一切禁止です。私はポケットに財布をねじ込みます。撮影も決まった場所以外は駄目です。カメラは剥き出しで持つように言われます。テロ以降、ますます厳しくなったとの事です。 ![]() トマホークですよ。湾岸戦争に32基持っていて撃たないで戻ったのが4基。何故撃たなかったかは核弾頭であったのではという噂も。朝鮮戦争以後30年も放置されたあげく、昭和61年に470億円かけて最新装備に改装された時、搭載された兵器です。 ミサイルですが・・今はみんなコンピュータ制御です。ペンタゴンから目標のデータが入力されミズーリでは現在位置を入力するだけ。戦艦の中の人はどこへ撃っているのか分からない状態なのだそうです。 ![]() 近接兵装システムCIWS(シーウズ)20ミリ多銃身機関砲搭載のファランクス。捜索・追尾レーダー、射撃指揮装置、多銃身機関砲が一体となっており、上部のドーム状部分にレーダーと指揮装置が、下段箱状部に多銃身機関砲ときょう体を動作させる駆動部分が入っているとか。 これの通称はR2D2・・そのまんまや(ノ∀`)アメリカらしいですね。 ![]() この扉を通って、マッカーサーは調印式へ ![]() 調印書のレプリカ。実は途中から一段ずれて署名されてます。マークシート試験同様、本当は無効な書類となるはずが、必死で書き直した跡があります。式典は20分程で終わったらしいです。 ![]() 沖田艦長の印象が強いので戦艦の艦橋は上の方にあると思いがちですが、ミズーリの艦橋は下の方にあります。戦闘が始まると艦長は要塞というかシェルターみたいな絶対安全な所に篭ってしまいます。アメリカでは艦長さんを凄く大事にするのですね。 ![]() 見学の最後に、元の食堂を改造したカフェテリアで食事をしました。ここは保存会が経営しています。メインディッシュはチキンかラザニア、付け合せはライスかマッシュポテトが選べます。私はチキンとライス。それにドリンクバータイプの飲み物がつきます。 負傷者が出ると食堂のテーブルはただちに手術台になります。さっきまでステーキを切っていた場所で今度は人間をメスで切るのです。その位気にしない神経がないと戦場では駄目なわけで・・ ![]() そういうわけで・・これもハワイの側面という事で。 ![]() "MightyMO" USS戦艦ミズーリ ミズーリは「マイティ・モー」の愛称で米国民に親しまれている、米国最後の戦艦である。昭和19年に就役した後、第二次世界大戦中は主に太平洋を中心に活動。昭和20年2月19日に硫黄島上陸作戦に参加。また3月には沖縄での攻撃作戦、4月の沖縄上陸作戦に海上から艦砲射撃を行う。4月11日、初めて特攻隊戦闘機(1機)の攻撃を受け、右舷甲板後部(フレーム165)付近に破損を生じた。 平成8年、海軍はUSSミズーリ保存協会への同艦の寄付を決定、パールハーバー内フォードアイランドに係留されることになった。平成10年6月22日、パールハーバーへ到着。平成11年1月29日、戦艦歴史博物館として一般公開された。 スティーブン・セガール主演映画「沈黙の戦艦」の舞台になったことでも有名です。
Last updated
June 29, 2006 02:43:40
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