少しだけ眠ろう。
風はあまりに心地良いし、それに僕はもうこんな場所まで来てしまったんだから。
片田舎・・アジア旅の果て。
安宿のテラスのまどろみの中でーーそう思った。
まもなく雨期が来る匂いがして・・。
耳の奥で異国の少女の歌声が、澄みきった乾期の夏の終わりの空気を切り裂くように響き渡った。
僕が泊まってる部屋に隣接した、安食堂の片隅。
爪弾くギターはゆったりとしたスピードで、しかも複雑な音程を確実に捉えていた。
長いまつ毛の奥に真っ黒い瞳が輝いていて、心の底から湧き上がって来る感情が形になって、視線の彼方でぱちぱちと弾ける・・。
本来はドラムとベースとギターとボーカルが、タイトなリズムを刻みながら激しく競い合うように演奏される、典型的でストレートなナンバーの「ロックンロール」。
ツェッペリンの4枚目のアルバムに収録された、彼らの作品の中でもひときわ激しいサウンドのハード・ロックの名曲だ。
その曲を、少女はたった一人きりで、しかも生ギターひとつの伴奏で切々と歌い上げていた。
時々、声がかすれて音程が微妙にぶれる。
けれど、かえってそれが曲本来の持つ寂しいトーンを増幅させて。
夕暮れが迫っていた。
暮れて行こうとする空の下に響き渡る、少女一人だけで奏でる「ロックンロール」。
水辺に頼りなげにたたずみ、感情を抑えこみ、時には抑えきれずに歌い上げる「ロックンロール」。
僕は胸がいっぱいになった。
ロックを歌わずには居られない寂しさ、切なさ、そんな気持ちを託して作られた「ロックンロール」という曲の本質を完璧に抽出して、表現している。
フル編成のバンドの実績も経験も白熱の演奏の大音量も、たった一本のギターでうつむき加減で歌うこの少女に遥かに及ばない。
その理由は簡単だ。
この曲を深く理解する心の内部から、彼女の表現は生まれている。
【それは長い間。ほんとうに長い間。寂しくて、寂しくて、どうしようもなかったとき♪】
という意味の最後の歌詞を高らかに歌い、黒いピックガードに夕陽が反射して、オレンジ色に輝くのを茫然と見ているばかりだった。
どんなに叫んでも、どこからも返事はない。
けれど、それが歌なのだと僕は思った。
返事を待つことではなく、ただ叫び続けること。
怒りを。
悲しみを。
苦しみと憂鬱を。
心の底から湧きあがって来る、抑えきれない感情を。
それが、ロックンロールなんだ、と。
はるるがレッド・ツェッペリンの初来日公演を日本武道館で聴いたのは、日本という国そのものが発熱してるような時代でした。
オープニングは、抗えない運命に流されてゆく人々の陰鬱な悲しみの叫びで始まる【移民の歌】だった。
「ア、アアァ~~ッ、アァ」
会場ぜんたいの空気を切り裂くような高音の、悲痛なけものの叫びのような凄まじい声に、会場は静まり返った。
激しいロックが多いツェッペリンの中でも、特にスピード感のある重厚なナンバー。
マイナーの小刻みなピッキングのリード・ギターでスタートし、腹を突き抜けるようなベースとバスドラの重低音が被さってゆく。
イントロの十六小節が終わり、神懸かりのようなボーカルが爆発する。
そんな記憶をかすかに留めながら、旅の途中でふらりと寄った潮風の中の安宿街での、忘れられないひとこま。
☆週末は、宇都宮の町も夏祭りのイベント一色でした。
ゆめとまりりんは、おばあちゃんに仕立ててもらった渋い色合いの古典的な柄の上等な浴衣姿でおでかけ。
歩行者天国では、沖縄から来たエイサーをやってて、すごく気に入ってたみたいです。
はるると配偶者は、庭の草むしりや枝払い、ビデオ鑑賞に買い物と、すご~く地味な休日。笑
そう言えば、来週は「お盆」の墓参りだなあ。
義父の初盆でもあるし・・。