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で、またもコメントにお答えしたいなと思いました。(私が正解かどうかは、わかりませんよ)とりあえず、コメントくださった方、正直に疑問なげてくださり、ありがとうございます! 「べき」という思いを手放せばいいのはわかっているんですが、あきらめの境地、というのと違いがわからないんです。自分の信念がなくなってしまう気にもなります。何十年も生きていれば、こうありたい、というのが人にはあると思うし、相手にもぜひこうあってほしい、という期待が、関係が近いほど大きくなりますよね。それらは全部「べき」になるから、手放す「べき」(笑)なんですよね?まだあきらめたくないです。相手に何も期待しないなら、夫婦になるのだって、しょせん誰でもいいのですよね? これがいまの私の壁で、とっても悩むところです。 ここには、二つのテーマがありますね。一つは、「べき」という思いを手放すことは、あきらめ、または信念がなくなるということなのか。 二つ目は、愛とは、相手に何かを期待することなのかです。 こうありたいという言葉を使っていらっしゃいますが、「こうありたい」と「こうあるべき」はまったく違うことです。「親切でありたい」と「親切であるべき」を口にすると自分でも違いが分かるかと思います。 「親切でありたい」は、心から出た思いですね。一方「親切であるべき」は、頭で思っていることです。信念とは、「~~べき」というよりも、もっと「~~たい」から出た思いに近いでしょう。 例えば、「私はどんなときも自分に正直でいたい。」→「私はどんなときでも正直なのだ」(信念)といったふうに。 心から出ている思いは、魂の言葉です。魂が、自分に正直でいたいと願い、そして実際にそうしたときには、地に足がついたようなしっかりした活力がわきます。 しかし、頭から出ている思いの場合は、ストレスを生むことがとても多いです。ほんとうはしたくないけど、「~~であるべき」だからする、といった場合などです。たいてい、親や社会から刷り込まれたものが多いです。 ので、自分の信念がいったいどっちから出ているものか、一度探ってみると良いかもしれません。 また、「~~べき」を「~~たい」にすべて言い直してみれば、自分がどれだけ真意で生きているか、それとも思考で生きているか見えてくるでしょう。 二つ目の点ですが、世の中を見ていると、期待と愛がごっちゃになっているなぁととても思います。まず、自分が何を相手に期待しているのか、どうしてそれを期待するのかを見つめてみることが大切です。 私の二冊目の本「愛されるオーラ~」にも書きましたが、「どうしてそれを期待する」。この理由(無意識の思い)が、オーラになって相手に伝わるからです。 多くの人が、その無意識の部分に気がつかず、自分の期待は正当なものだと思い、相手を探してしまいます。例えば、「彼は、私に正直でいるべき」といえば、誰もがそりゃそうだ、もっともな期待だと思うでしょう。 で、もし、彼がつまらないウソをついたら、もう我慢できないし、傷つくし、自分の幸せが壊れたと彼にものすごく腹が立つかもしれません。そして、次は絶対ウソをつかない正直な人を探すのだ、と思いを固めるかもしれませんね。 しかし、ここでもしどうして私は、彼に正直でいて欲しいのだろう?と考えてみるともう一つ自分のなかに深く入っていけます。もしかすると、相手を信頼することができない出来事が幼少時代にあったのかもしれません。 そこで、深く傷ついて、信頼できる関係が欲しいと強く願ったのかもしれません。(彼が私に正直でいてくれたら、私は人を信じられる。真の愛があることを信じられる。)この思いがあったとしたら、相手には何らかのオーラ(その人によりますが、なにかプレッシャーを感じるもの)になって伝わり、相手によけいつまらないウソをつかせてしまったりすることもあるでしょう。 相手への期待は、ほぼ100%自分の中の欠けている部分、または癒されていない心の傷から生まれています。その欠けている部分を誰かに埋めてもらおうと期待してしまうのです。 じゃぁ、期待がまったくなくなったらつまらない恋愛になるのか?ということですが、その正反対ですね。自分が満ち足りているとき、皆さんも過去にすごく嬉しかったときなど、人にその嬉しさや感動を伝えたい、一緒に感じて欲しいと思ったことがあると思います。 自分が満ち足りてくればくるほど、人と分かち合いたいという気持ちが増えてきます。ですから、相手に期待したり、何かを求めるより、何かしてあげたい、愛をたっぷりあげたいという思いが強くなります。 そういう二人が一緒になった場合をちょっと想像してみましょう? 良い感じじゃないでしょうか? 恋愛は、求めて得るものだ、期待に応えてもらうものだというパターンにはまっている限り、これだけは約束します。苦労しますよ~。(経験者) 日々の中で、自分を苦しませている~~べきを少しづつ「そう思わなくてもいいんだ。」、「そう考えないでも、大丈夫なんだ」と自分に言い聞かせ、その思いから自分を解放してあげること。これが、どなたかも書いてくださっていましたが、オーラが見えるよりうんと大切な魂の成長です。 今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!! ↓ 人気Blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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