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ヒーリング・カウンセラー溝口あゆかイギリス便り

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2006年12月10日
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今日もどんよ~り。さて、今回も良いご質問・コメントをいろいろ頂きました。回を追ってお答えしたいと思います。まずは、下記の方のコメントです。長かったのでだいぶ省略しました。

<中略>私は、友達を裏切りました。友達のご主人と関係を持ってしまい、今は彼とは連絡をとっており、彼女とはとっておりません。<中略>私の中では、彼女はいい友達で、彼は当時から一番信頼している友達でした。今回あゆかさんのお話しを読んで、私は実は初めから彼女のことを大切な人と思っていなかったのかと愕然としました。<中略>彼と関係を持つことに関して、私は彼女に正直に話したかったのですが、彼が子供のことがあるので隠したいというので、それを尊重しました。<中略>彼は私達のしたことは間違っていないと言いますが、私は彼女に嘘をついたことは悪かったと思っています。いつか彼女と話し、許してもらいたいと思うのは傲慢でしょうか?私は、今何が出来るでしょうか?

誰かを好きになること、愛すること自体は、裏切りだとは私は思わないです。それはこのコメントの方も後悔していないとおっしゃっていますね。ですから、この方の一番問題(罪悪感のもと)は、それを言えなかった、友達に嘘をついてしまったということでしょう。

なぜ、言わなかったのか、それは、彼の考えを尊重するという選択をしたからですね。そして彼も、隠したほうがみんなにとってうまくいくと思ったわけです。これも彼の選択です。

このとき、本当の意味で意識的に選択していれば、「彼女が知ってしまう」可能性もそのとき必ず見えたと思います。意識的な選択をするということは、前から書いている人生の主人公になるということで、自分が決めたことに責任を持つということですね。

ですから、「私は彼の考えを尊重して、ここは隠すことにする。そしてその結果に関しては、すべて責任を負う」というのが本当の意識的な選択です。で、もし、そうしていれば、結果的に彼女が知ってしまっても、もう少し腹が座っています。罪悪感まみれになることはありません。

そして彼女が知ってしまったとき、また選択がありますね。彼女に対してどうふるまうか、という選択です。「心から誠意を示してウソをついてしまったことを謝る」「彼のせいにする」「放っておく」などなどいろいろあるわけです。

このとき、私がお薦めしたいのが、何をすべきかと考えるのではなく、神との対話の考え的に、 「このとき愛ならどうするか?」そして「自分はどういう人間でありたいか」を基準に選択することです。

彼女への愛、自分への愛、そして自分はどういう人でありたいか。これだけを考えて、自分がどういう行動をするか決めること。これしか、することはないだろうと思いますし、これが自分で自分の人生を創造するということだと私は思います。

誰かがこうするべきとアドバイスをして、それに従うのは、人生の主人公ではありませんね。ただ、そのアドバイスを本当に良いと思って、それを意識的に選択すれば、人生の主人公です。この違い分かりますよね? 実際にやってみれば、すぐに分かります。

さて、どの程度意識的だったかはコメントからでは分かりませんが、彼女に言わないという選択をしたとき、おそらく彼は子供への愛を基準に、コメントの方は、彼への愛を基準にしたのだと思います。しかし、彼女への愛がこのとき抜けてしまっていたんですね。

一見すべての人とって愛ある選択をするのは、不可能に見えるかもしれませんが、決してそういうことはありません。彼女に真実を語り、なおかつ子供に対して愛を示すことは必ずできます。

こうするべきだったと言っているのではありませんから、誤解しないでくださいね。私たちはよくこれしか取る方法がないと思い込んでしまうことがありますが、必ず関わる人すべてに愛ある選択をすることはできると知って頂きたいと思っているだけです。

その結果として、誰かが表面的に何かを失ったり、傷ついたりするかもしれません。しかし、愛をベースにした選択は、最終的に必ずポジティブな(愛ある)結果を生みます。

さて、誠意をこめて謝るという選択をもしした場合、彼女がどうそれに対応するかは、今度は彼女の問題(学び)です。許して愛を選択するか、憎しみを持ち続けるかは、今度は、彼女が先ほどの二つの同じ質問を自分に投げかけ、選択することです。

ただ、こういう意識的な選択をしない人の方が圧倒的に多いですが。怒りや憎しみの感情に振り回されて行動する人のほうが多いでしょう。(ですが、ある意味それもその人の選択。)

しかし、意識的にすれば、はじめて私たちは本当の意味で愛を学び、体験できるのだと私は思います。

無条件の愛とは、前にも書きましたが、条件をつけずに愛するということです。「あなたは私にウソをついたから嫌いです。ウソをつかないなら好きです」というのは、立派な条件つき愛ですね。

でも、自分にウソをついた相手を許して、黙っているのは辛かっただろうと心から理解を示せれば、無条件の愛になるわけです。ひじょ~うに難しいですが。

で、下記のコメントについでにお答えさせて頂きます。

「自分の欠如感から来るものではなく、無条件の愛のままで、互いに愛を分かち合える人を求めるにはどうしたら良いのだろうか」

この文章自体がすでに矛盾しているんです。相手が自分を愛してくれることが暗黙の条件になっているからです。

無条件の愛とは、今見てきたように相手がひどいことを自分に言ったり、したり、愛してくれなくても、それを理解し、愛するということです。そこが私たちの目指すところではありますが、それこそ簡単にできることでは決してありません。

ですから、まず自分が本当に望んでいるものは何か?をもう少し見つめてみたほうが良いでしょう。愛されている感覚?心から信頼できる感覚?深いレベルで理解しあうこと?なんでしょう?そのためには、自分を深いレベル(自分のコア・ビリーフなど)で知ることがなんといっても大切ですね。


今回も、宜しければこちらをクリックしてください。いつも本当にありがとうございます!!

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最終更新日  2006年12月11日 01時26分42秒
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