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素晴らしい! パチパチ! 全訳してくださったのですが、ブログの一万文字制限のため削除させて頂きました。お約束通り、新刊をプレゼントいたします! また、読んだあとビデオを見るのも臨場感が感じられてお勧めです。 ★ジル・テイラー博士のスピーチ★ 私は脳について研究しようと思いながら育ちました。というもの、私には精神病の兄がいたからです。ハーバード大学の精神医学研究室で、精神病の人々の脳と、健常者の脳の間に見出される生物学的相違は何なのか、ということについて研究を重ねました。 1996年12月10日朝、目覚めると、私自身が脳障害を発症していました。その朝は歩くことはもちろん、しゃべることも話すことも読むこともできませんでした。いわば大人の身体をした子供になってしまったのです。 人間の脳を御覧になればわかりますが、左脳と右脳は完全に独立し、それぞれ別個のものとなっています。ここで、本物の人間の脳をご覧にいれましょう。左脳と右脳が完全に独立していることが、ご理解いただけたと思います。 この二つの脳は、3億の軸索繊維からなる脳梁を経由して信号をやり取りするのです。とはいえ、やはりこの二つの脳は別個のものなのです。なぜなら、それぞれが違う方法で情報処理を行い、それぞれが違うことを考え、違うものに関心を持っているからです。 右脳にとっては、今ここにある瞬間、これが全てなのです。ここに今あるということ、それだけです。右脳は画像を使って思考し、身体の動きを通じて運動感覚を学びます。 今この瞬間に集中してみてください。どんな香りがしますか?、味わいは?感覚は?、聞こえるものは? 私というエネルギーは、私の右脳によって認識され、私の周囲に存在する全てのエネルギーとつながっています。私たちはエネルギーという存在なのです。私たちという存在は、人類という一つの家族として右脳が認識しているように、お互いにつながっているのです。今、この時、私たちはこの星に生きる兄弟です。この世界をよりよい場所にするためにここにいるのです。今、この瞬間、私たちは完璧で、完全で、美しい存在なのです。 ところが、左脳はまったく違う場所です。左脳というものは直線的に、系統的な思考をするのです。左脳にとっては、過去と未来、それが全てなのです。左脳は、今この瞬間に集めた情報の束を捕えるために設計されているのです。そこでは情報であれば何でも分類され、整理されます。あらゆる情報は過去の経験と結び付けられたり、将来起こるかもしれないことに投影(未来を推測すること)されたりします。 また、左脳は言語を使って思考します。脳の間断ないおしゃべりが、私の内的世界と外的世界と結びつけますです。「ほら、家に帰る途中でバナナを買うことを忘れちゃいけないよ。朝食にするんだからね。」洗濯をしなくてはならない時期がちゃんとわかるというのは、私の計算能力がなせるわざです。とはいえ、より重要なことは、先ほどのささやき声なのです。「私は・・・で、私は・・・だ」続けざまに左脳は語ります。「私は」孤立した存在へ、私は変わってしまうのです。周囲のエネルギーからも、あなたからもひき離され、ひとりぼっちの固体になってしまいます。 この左脳の一部を、脳梗塞を起した朝、私は失ったのです。 あの朝、左目の奥がガンガンするような痛みを覚えて目が覚めました。痛みは襲ってきては消え、また襲ってきては消えてゆくのです。痛みを感じるということからして、私にとっては異常事態でした。が、それでも、私は“いいわ、いつも通りにやりましょう”と考えていたのです。ベッドから出てフィットネス・マシンに飛び乗りました。 そして、ふと気がついたのです。マシンのバーを握る私の手は、まるで原始生物のカギ爪みたいだと。「なんて奇妙な手なんだろう」と感じたものです。次に身体を見下ろすと、「わあ、なんて妙ちくりんな格好をしてるの」と思ったものです。まるエクササイズをしている自分を外から観察しているといった、どこか神秘的な空間への移動した感覚でした。 ともかく全てが奇妙で、頭痛は段々とひどくなってゆくばかりでした。シャワーを浴びようと浴室に行くと、体の中から会話が聞えてきたのです。ささやきが聞えてきたのです。「大丈夫、筋肉さん、収縮できる。筋肉さん、弛緩して。」 ふらふらとした私は、壁によりかかり、そして気付いたのです。自分の身体の境界線がはっきりわからなくなっているということに。どこからどこまでが自分なのか認識できなくなっていたのです。なぜなら、自分の腕の原子と分子が、壁のそれらと一緒くたになっていたからです。私が感知することができたものはエネルギーだけ。そこで自問自答しました。「何が起こっているの?」その途端、私の脳内おしゃべりは完全にだんまりを決め込んでしまいました。まるで誰かがリモコンのスイッチを切ったかのように。完全な沈黙。 自分の内側から反応がないことがわかったとき、それはもうショックでした。ところが、その後すぐに、自分の周囲に満ちるエネルギーの壮麗な美しさに、すっかり心を奪われてしまったのです。豊かで、どんどん広がってゆく感覚。そこにある全てのエネルギーとの一体感を感じていたのです。美しいエネルギーでした。 すると、突然、左脳が復活して話しかけてきたのです。「ちょっと、私たちは困ったことになっているのよ。助けてもらわなくちゃ」。わかった、わかったわ、私は困ったことになっているのね。が、間髪いれずに、いつのまにか、先ほの意識の波に再び呑み込まれてしまいました。その空間を、愛情こめて、ラ・ラ・ランド、と呼ぶことにしました。ラ・ラ・ランドは美しいところだったのです。 あなたと外的世界をつないでいる脳のおしゃべりから、完全に自由になった世界を思い描いてみてください。 私はここにこうしているけれども、自分のことでも、仕事のことでも、ストレスは何もかも消えてしまった世界を。そのときの私は、身体の中が軽くなったように感じていました。 どうか想像してみてください。外的世界との一切の関係とストレスの原因となるもろもろが、全て消え去ってしまったのです。考えてみてください。37年間にわたる感情の重荷を下ろしてしまうことがどんなものであるのか!私は至上の幸福を味わったのです。至上の幸福は美そのものでした。 が、またも左脳が復活して話しかけてくるじゃありませんか。「ちょっと、こっちに関心を向けてちょうだい。私たちは助けが必要なの」そこで私は頭で考えはじめました。「助けを呼ばなくちゃ。集中しなくちゃ、仕事にも行かなくちゃ。運転できるかしら?」 その時には、私の右腕は完全に麻痺してたのです。「ああ、何てことなの!私は脳梗塞を起しているんだわ!脳梗塞よ!」が、次の瞬間に脳が話しかけてきたことは、「おお!最高だわ!最高! 自分の脳を隅々まで研究する機会に恵まれる脳科学者が、いったい何人この世にいると思う?」 ところが、次に浮かんできたことは、「だけど、私はとっても忙しいの。脳梗塞なんかになっている暇はないわ!じゃあ、一週間か二週間はおつきあいしましょう。その後いつもの生活の戻ればいいわ。」・・・私らしい考えです。 そこで職場にも連絡して、助けを呼ぼうとしました。しかし、電話番号がどうしても思い出せないのです。書斎に名刺を置いてあったことを思い出し、名刺の束をひっぱり出しました。ところが、目に映っているものが名刺であるかどうかが理解できなかったのです。なぜなら、その時の私の目に映っていたものはドットの集まりに過ぎなかったから。 しかし、ようやく電話することができ、同僚が受話器を取りあげました。が、「ワゥワゥワゥワゥ」としか聞えてきません。(笑)あらまあ、彼ったらゴールデンレトリーバーみたいと思いました。 「もしもし、こちらジルよ!助けてちょうだい!」 だけど私の口から出てきたのも「ワゥワゥワゥワゥ」で、あらまあ、私もゴールデンレトリーバーみたい。言葉が理解できなくなった事実を、話してみるまでわかってなかったのです。 一方、同僚は私が助けを求めていることは理解してくれ、私は、救急車で病院まで運ばれていきました。 まるで胎児のように丸くなって横たわったまま、まるで空気がほんの少ししかない風船のようになって。が、そのしぼみかけた風船から空気がなくなってしまったとたん、私のエネルギーが上昇していくのを感じました。また、精神が解放されたとも感じたのです。その時、自分がもはや自分の人生の振付師ではないことを理解していました。と同時に、医師がこの身体を助けてくれるであろうこと、また人生をやり直すチャンスが再び与えられることもわかっていたのです。おそらく、この瞬間が私の人生の転換点だったのでしょう。 その日の午後、目覚めて自分がまだ生きているとわかったときは、大きな衝撃を覚えました。精神が解放されたと感じたあのとき、私は人生にさようならを言っていたのですから。 ただ、自分の身体が空間のどこに存在しているのかわからず、感覚だけが研ぎ澄まされ、どんどん広がってゆきました。私の精神はぐんぐんと高みを目指して上昇していきました。まるで巨大な鯨が静謐で幸福な海を、すいすいと泳いでいくように。そして、これほど大きくて豊かな自分自身を、この小さな身体の中にねじこむようなことはもうできはしないだろうと思いました。 しかし、「自分はまだ生きている!まだ生きていて、涅槃を体験できた。涅槃を体験しても私はまだ生きているということは、誰でも涅槃を体験できるのだ」ということを理解したのです。美、平和、共感、愛情に満ちた人々。それらで満ち溢れた世界を私は画像として理解することができたのです。 その愛情に満ちた人々は、私たちをいつでも訪れることができるのです。そして、脳梗塞という経験が人生をいかに生きるべきかという洞察を与えてくれたことも、はっきりと理解できました。この理解のおかげで、私は病から回復することができたのです。 さて、私たちは一体何者なのでしょうか?私たちは、器用な手先と、二つの認知能力を持った、宇宙の躍動する生命体です。世界の中でどのようにありたいか、いかに生きたいが、この一瞬一瞬、私たちは選択し続けることができるのです。 私が右脳の意識に向けてみると、私は宇宙の躍動する生命体であり、また私を形づくる50兆の美しい分子、そして、私はそれらの全てと一体になっている存在となります。 そして、左脳に意識を向けると、左脳では、私は独立した個人です。エネルギーやあなたがたから離れた、一つの固体となります。つまり、私はジル・ボルト・テイラー博士であり、高い教育を受けた、神経解剖学者です。これらはみな、一人の私というものの内部に存在している「私たち」なのです。 では、あなたはどちらの自分を選びたいですか? 私は、右脳の内なる平和に基づいて働かせる時間が長くなればなるほど、この世界、それからこの星に、平和が実現されていくことになると考えています。そして、この考えは世界に広く行き渡らせる値打ちがあるものであると、信じているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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