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"あなたが死にたいと思っている今日という日は、昨日無念のうちになくなった人たちが生きていたいと切実に願った明日という日だ"
見事な文句です。数年前、初めて目にしたときに心が震えました。どこかの宗教団体の広告にあったと聞いています。もちろん、原典はもっと古い可能性もあります。 先日、ある掲示板に"昨日自分の意志で命を絶った人たちが死んでも回避したいと願った明日という日、でもある"という書き込みがありました。なるほど、と感心しました。 どちらの文句にも主体の混乱(混在)が見受けられます。誰かの今日という日は別の誰のものでもありません。 昨日無念のうちになくなった人たちの中にも、昨日自分の意志で命を絶った人たちの中にも、今日死にたいと思う人はいません。昨日死んだ人の今日は始まりません。 大昔のアクション映画に自殺願望の強い刑事が登場していました。最愛の妻を亡くした彼は、毎朝拳銃を口にくわえ、本気で自殺を図ります。そんな彼をこの世に引き留めているのは仕事です。仕事のことを思い出した彼は引き金を引くことができません。 毎朝目覚めます。 会議や面談の予定を思い出して胃が痛くなることはありません。今日の仕事の段取りを思い返すことはありません。感じの良いあの娘との会話を心待ちにしている自分はいません。 リハビリの進捗とブログの更新は気になります。これらが中途半端の状態だったら、死ぬ間際にそれを思い出してきっと心残りでしょう。リハビリは計画よりも早めに目標をクリアしたいと思います。ブログは26のマス目を早く埋めたいと考えます。 計画や予定は自分を縛ります。できるだけ、先のことは決めません。絶対に、約束はしません。 毎朝目覚めます。 ベッドの自動体位交換機能により、ベッドは斜めに傾いています。手も足もしびれています。 左膝がだらしなく外側を向いています。脚4の字を自力で正すことができません。水を飲むにもエアコンを操作するにも、ベッドがフラットになるのを最長30分待たねばなりません。近くに寝ている妻は介護やら何やらで疲れています。できれば起こしたくありません。 ベッドが動くか、目覚ましが鳴るか、私が弱音を吐くか。最長30分です。 ケーソンとしてのわたしの一日が、今日も始まります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.22 11:10:49
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