カテゴリ:国内旅行・近畿
時間の合間を縫って、黒谷の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の特別拝観に訪れました。
黒谷は、紅葉が見事ですが、そんな時期に行こうものならえらい目に遭いそうなので、平日のまだ空いた時間を狙って、1時間だけ… 法然上人が開いた浄土宗の寺で、840年近い歴史を刻んでおりますが、近代史の研究者の間では、幕末の動乱期に、会津の松平容保公をはじめとする佐幕諸士の活動拠点となった寺として有名ですな 近藤勇の新撰組も、ここで産声を上げました。 この石段を上がると大殿(だいでん) 寺で最大の建物ですが、これは本堂ではなく、実は、豊臣秀長建立の阿弥陀堂が本堂なんだそうです。 今日からの特別拝観は、普段見られないこちらのお堂が対象です 大殿と庫裡の内庭にあたる紫雲の庭 どうでもいいことですが、堂内の撮影は一切禁止です。 こないだの美術館展もそうでしたが、そもそも、なんで写真撮影が禁止なのかという問題を巡って、最高裁まで争われた事案(顔真卿建中告身帖事件;最二判昭和59年1月20日民集38巻1号1頁)があります。 展示されている建物や庭や絵画は、その著作者の死後50年以上経過しているものがほとんどですから、著作権に基づいて写真撮影を禁止するのはおかしいとの主張に対して、所有権に基づく権利主張が争われた事案ですが、最高裁は、この訴えを退けました。ただ、その理由付けが面白い… とまれ・・・ 明治維新にいたる歴史的過程に疑問を持つ私としては、訪れないわけにはいきません。 重文の三重塔が秋の夕陽に映えております 紅葉の盛りにはまだちと早いが、しかし美しい… 道標…東北隅に設けるとは、よほど祟りを恐れたに違いない… まあ、毒殺の疑いもささやかれる孝明天皇の後ろ盾を失った彼らを、公家も将軍も裏切った挙句に、国許を侵略されてたかだか1万石の福島の配下に置かれた挙句、藩士と家族は下北の斗南に強制移住させられたという歴史を省みれば、その祟りに恐れ慄く気持ちもわからんでもない… 会津墓所入り口 会津藩士戦死者の墓碑銘 砲兵奉行の林権助父子をはじめとする戊申戦役の戦死者の俗名が刻まれてます。 今日はまたひときわ夕暮れがさわやかです。
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最終更新日
2012.11.08 01:16:57
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