ピアニスト
アルツハイマーになった父をもつニューヨークの友達は、大変な世話を母と弟としながら、それでも、何かとジョークにしては笑っていた。お父さんの記憶は徐々に消え、妻のことさえ認識できなくなったり、いろいろなことが、記憶から消えているのに、本人は何も変わっていないと思っていた。人というのは、記憶でできているのか、その記憶が消えた時に、その人の存在も消えてしまうのか、話を聞きながら、不思議でならなかった。その友人のお父さんと最初に会った時は皆でミュージカルを観た後に食事に行った時だった。その頃は元編集長らしい、温厚な紳士という感じで、けれども、長年英語を使っている私には、そのお父さんの話す英語がどうしても半分以上理解できなかった。アルツハイマーになってからも、自宅を訪問する度に、暖かい笑顔で出迎えてくれて、とてもそんな病におかされているようには見えなかったし、いろいろと部屋に置いてある物をひとつずつ、説明してくれたりもしたけれども、やはり、彼の英語は私には難解で、お母さんの話す事はわかるのになぜだろうと、それだけが不思議でしかたがなかった。彼らはユダヤ系のアメリカ人家族で、食事の前の乾杯の時に、お母さんが、第二次世界大戦の時に、多くのユダヤ人を救ってくれた日本人のチウネ・スギハラに感謝する、と述べた。わたし達は、日本国内にいる限り、ただの個人に過ぎないけれども、国を出て、海外の地に足をつけた途端に日本人というレッテルを貼っているのだと、気づかねばならない。私は本当は日本が好きで、特に茶道や花道には、とても奥深いものがあると感じている。ニューヨークでも年に二回、茶会が行われ、ホテルキタノの上階にある数寄屋造りの茶室に通ったものだった。「この入り口を入った時から、肩書きも、仕事も関係なく、皆がただのひとりなのです」という茶道の考えが私は好きだった。将来海外に行く事はわかっていたので、子供のころからテーブルマナーを厳しく教えられた。その時は嫌だったけれども、今思えば、それがために、恥をかかないどころか、一目置かれるほどに役に立つ事が多くて、後には感謝した。着物を自分で着れることは当然のことで、今は着る事がなくなったので忘れてしまったけれども、日本人であること、それは、西洋でどんなに有名なブランドやデザイナーのドレスを身にまとったとしても、西洋人の女性の着こなしには及ばず、逆に、振り袖の艶やかさはどんなドレスよりも美しく、凛としていた。知り合いにクラシックのピアノを専門にやっている人がいて、私は彼女から何枚もの自作のCDを貰った。彼女にしてみれば、写真をやっている私が果たして理解できるだろうかと、その程度の感覚で渡していたのだろう。私は一応礼儀と思ってステレオに入れてCDを聞いた。何枚もあったので、それは日頃、余程の人の物でない限り、読んだり聞いたりしない私にはちょっとつらいものがあった。彼女が一番自信ありげに渡してくれたCDを聞いていて、ふと、なぜ、テクニックはプロのピアニストに匹敵するするぐらいあるのに、一音一音、楽譜通りの型にはまった音なのだろうと窮屈さとおもしろ気のなさに、魅力を感じる事ができなかった。追って、彼女から感想を聞く電話がかかったので、「上手だね」とだけは言ったけれども、それ以上の正直な感想は言葉にすることができなかった。「私の曲、聞いてみる?」とおもむろに言ってみた。私は楽譜が読めないとその前から言っていたし、実際、譜面を読むのが本当に苦手で、全ては耳から入り、その音で判断しながら弾く。だから、即興ばかり弾くのかも知れないけれども。電話越しに、私は、子供の頃、最初に出演したピアノの発表会の時に弾いたバッハの簡単で短い曲を弾いた。彼女は「ブラボー!なんだかしらないけど、音が立っている!」と炊飯器のお米のようなことを言っていた。おもしろかったので、「これ、左右逆にもひけるんだよ」と言って、左右を入れ替えて弾いたら驚いていて、そういう芸当はなかなかできるものじゃないのだと言う。それで、自作の曲を弾いたら、まったく訳がわからなくなったようで、「それって、何拍子?」と聞かれたので、「知らない。勝手に弾いているだけだから」と続けた。彼女に言わせると、キースジャレットの弾き方は汚いし、正しくないらしい。まるで自分の「譜面通り」の弾き方が正しく、上手いのだと言わんばかりに。私はフォトグラファーであって、ピアニストではないから、自由に弾けるし、元々譜面が読めないスティービーワンダー状態と同じなのだから、「音」だけが全てで、他には何もない。3才から固い鍵盤を弾いていたせいもあって、私は指圧が他の女性に比べると強く、また、指が長いこともあって、難しいと思われる音も簡単に指が届いたりする。「あなたは、わたしがもっているものを最初から持っている」彼女からその後メールが届いて、それっきり連絡が来なくなった。弾けないはずの私がピアノを弾いたせいなのだろう。まだ学生だった頃、ニューヨークのパーティ会場にスタインウェイのグランドが置いてあった。誰も弾く様子がなかったので、「弾いてもいい?」と友達に聞くと「弾けるの?」と笑顔になった。その時、確か、キースジャレットの即興の真似をして弾いたのだけれども、ことのほか、そのスタインウェイは音が良く、会場にいた人達の動きが一瞬にして止まったことだけ、はっきりと覚えている。でも、今の私は、何もかも、忘れてしまいたい。