石狩市本町地区をてくてく歩きながら 腹ごなし 歴史にふれるスタート地点は、
アイヌとの交易や宿として利用されていた建物を再現した運上屋棟。
下見板張りの壁に石置き屋根、
忘れてかけてたものを見つけたような懐かしい気持ちになります。
ボランティアで石狩の歴史と魅力を伝えている「観光ガイドいしかり」のみなさんに
解説していただきながら弁天歴史通りを歩きました。
300年の歴史があるという石狩弁天社の脇で苔むしていた、
風化した灯篭の土台らしきものを目にすると、流れた時の長さが伝わってきます。
きっとどなたかが奉納されたんでしょうけど・・・
風化を防ぐためそれぞれ犬小屋ならぬ「狛犬小屋」に入っていたあうんの狛犬。
(冬は吹雪くしさー、本州より器物の保存条件は厳しいんだと思います)
「あ、変なオバサンが覗いてる」
あうんの狛犬の「あ」です♪
「うん、いったい誰が連れてきたんだ?」
あうんの狛犬の「うん」です♪
珍しい鮫神(チョウザメ)と亀神=妙鮫法亀大明神も祀られている石狩弁天社内に掛けられていた、
井上文昌作の大絵馬額「関羽正装図」(1856年/安政3年作)。
強そうな馬は、一日に千里を走り血のような汗を出すという赤兎馬(汗血馬)でしょうか。
同じく「加藤清正虎退治図」。
夜になると虎と赤兎馬が絵から出てきて石狩浜を駆け回るそうです(ウソ)
時代は一気に明治へぴょ~ん!
明治17年の「秩父事件」の指導者で、潜伏中に欠席裁判で死刑判決を受けた井上伝蔵さん。
その方が伊藤房次郎という偽名でこの石狩市本町地区に23年間住んでおられたそうです。
俤(おもかげ)の 眼にちらつくや たま祭
彼が、俳句結社「石狩尚古社」の会員となり「柳蛙(りゅうあ)」という俳号で詠んだ句。
長い間、タブー視され公平に解釈されていなかった「秩父事件」、
昨今では神山征二郎監督の映画「草の乱」(2004年公開)をはじめ、
やっと見直されつつあるようです。 参考:中嶋幸三著「井上伝蔵とその時代」
亡くなる間際まで本名や「秩父事件」のことを家族にも明かさなかったという井上伝蔵さん。
今となっては確かめる術(すべ)もないけれど、
命を落とした同志を想い詠まれた句なのかもしれません。
家柄や氏素性を根掘り葉掘り詮索することの少ない北海道という拠り所があって良かったね。
井上伝蔵さん、大正7年北見市にて戸籍がないけど結婚してくれた妻や子に囲まれ永眠。