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バリアフリー社会の忘れ物~全盲フリーライター・川田隆一のブログ~※講演等、仕事のご依頼もこちらへ

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ハッシュタグ #箱根花紋 で電報の真実をツイート中!

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2007.07.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 全盲の私は、電車に乗る時には、極力優先席に
近寄らないようにしています。けれど、それがどこに
あるのかが分からず、図らずも優先席の前に立って
しまうこともしばしばです。

私は目が見えないだけで、足腰が不自由な訳では
ありません。たまたま席が空いていれば座りたいけれど、全盲というのは
人を押し退けてまで座らなければならない障害では
ないのです。

 「目が見えないと、乗り物の中でバランスを崩しやすい」
と言う人もいますが、だからといって座席に座る必要はない、
手すりかつり革につかまっていればよいだけのことです。

 そもそも、絶対に座らなければ安全を確保出来ないと
言うのであれば、その人は、ラッシュ時の乗り物を
利用することを避けるべきです。何故なら、優先席が
設けられているとはいえ、席を譲るかどうかは座っている人の
自発性に委ねられており、優先席とはいえ、
それを必要とする人の着席を100パーセント保証するものでは
ないからです。

 そして、私が何故優先席を避けたいかというと、白い
杖を持って優先席の前に立ってしまうと、それだけで
目の前に座っている人に対して、席を譲れという
無言の圧力になりかねないからです。 

 もちろん、どなたかが立ってくださろうとした時には、
「大丈夫ですから」と辞退し、それでも譲ってくださる
場合には、感謝しつつ座らせて頂くようにしています。

 それよりももっと困るのは、私の近くに立っている見知らぬ
人が、優先席に座っている人に向かって、この私に席を
譲るようにと騒ぎ出すことなのです。

 「おい、お兄さん。目の前の白い杖が見えないのか。
かわいそうだろう、立ってやれよ」
 「なに聞こえないふりをしてるんだよ。立ってやれって言ってるんだよ」

 こんなやり取りが始まる時、全盲の私のために席を譲れと
促す人は、そもそも私が本当に座りたいのかどうか、
聞いてくれたためしはありません。

 私の頭越しに、
「目が見えない人に席を譲ってやれ」、
「いや、自分だって疲れているのだから」
と、乗客同士の言い争いが始まると、それを聞かされている
私は、とても悲しくなってしまうのです。

 「僕は目が見えないだけだから、座らなくても
大丈夫ですから、そんなことで喧嘩をするのは
やめてください」

 居たたまれなくなって私がそう言うと、後に残るのは
何とも言いようのない気まずさだけです。

多くの障害者が、自分のために旅客同士が言い争うことなど、
決して望んではいないでしょう。それは、喧嘩のネタに
なっている障害者には、とても惨めで、悲しいことだからです。

 優先席について、先日、日記の読者の方から、こんな
コメントを頂戴しました。(文章は加筆してあります。)

 「この前、バスの中で盲導犬を連れている人を見ました。
びっくりしたんです。優先席ってのに若者が座って、
その前に盲導犬を連れている人が立っているのに、
よけもせず、3人ぐらいで周りを囲んで
話をしていたんです。誰も声をかけていませんでした。

それで、私が言ったんです。
『あなたたち。ここはどんな席なのか分かってるの?
目の前の盲導犬を連れている人を見て、席を譲らないとは
どうゆうことなの。席を立ちなさい』
と言うと、若者は

『あ?優先席って書いてあるだけで、座ってはいけないとは
どこにも書いてないぞ、どこに書いてある?』

『あなたたちは学校で何を習ってるの?ただ学校に
行ってるだけじゃないでしょうね?常識を知りなさい。
犬が人に踏まれているでしょう』

『うるせえよ。こっちだって疲れているんだよ、
学校行っててよ』

『そんな問題ではないでしょう』

って私がそう言ったら、運転手さんが放送で
『学生のお客様、席をお譲りください。でなければ、
降りて頂きます』
って行ってくれて、周りの人も『そうだ、そうだ』と
言いはじめたんです。

言う勇気、声をかける勇気が必要なのかもしれないけど、
見て見ぬふりだけはしたくないと思います。
障害者の方には、『同情でしょ?』って言う人が多いかも
しれません。でも、それは同情ではない、当たり前のこと、
自然のことなんです」

 このコメントのどこにも、当の盲導犬同伴の
目が見えない人の気持ちはどうだったか、ということは
出て来ません。

自分が元で客同士が言い争うことを、席を譲らない人に
「譲らないなら降ろすぞ」と脅してまで、目が見えない人は
本当に座席に座りたかったのでしょうか。

 もしも私がその立場だったら、
「自分は立っているから、お願いだから僕をネタに
喧嘩をするのはやめて!お願いだから、僕を
そっとしておいて!」
と、心の中でそう懇願したことでしょう。

 それに、席を譲らないからといって降車を強制することは、
いくらなんでも行き過ぎた処置だと思います。これでは、まるで
人民裁判ではありませんか。席を譲らないことは
犯罪ではないし、譲らない人にも、当然基本的人権が
あるはずです。

 たとえ善意であれ、バスの乗客が、同じ立場の乗客に、
「席を立ちなさい」
と、“命令”する権利はないでしょう。

若者が言うとおり、優先席は席を譲ることを法律で
義務付けているのではありません。あくまでも自発的な
ボランティア精神に期待しているのです。

 それに、世の中には外見では分からない障害を持っている人が
大勢います。心臓ペースメーカーを使っている人や
内臓疾患の人など、見た目は元気な健常者と変わりなくても、
重篤な障害を持っている人も少なくありません。

 また、妊娠している女性の中にも、お腹が
目立ちにくいために妊婦さんと気付いてもらえず、優先席に
座っていると、いつも白い目で見られてしまう人もいます。

 このままでは、そんな人たちまでもが、正義の味方気取りの乗客から
「席を立ちなさい」と迫られ、下手をしたら
バスからつまみ出されてしまうのです。

 「そんな時には、『自分も障害者です。妊娠しています』と
言えばよいだけのことではないか」
と言われるかもしれませんが、自身の障害を見知らぬ人に
打ち明けることには、概して心理的な抵抗を伴うもので、
「障害のことを言わずに済ませられるものならそうしたい」、
と考える人を、一概に責めることは出来ません。

 上に紹介したバスの中の若者だって、何らかの障害を
持っているため、座席に座っていたかったけれど、自らの
障害については言えなかったのかもしれません。

 「そんなことはない。私が見れば分かる」
 善意の乗客はそうおっしゃるかもしれませんが、
専門的な医学知識がなければ、その人の障害の有無を
見極めるのは、極めて困難でしょう。

 バスの若者に何らかの障害がある確立は低かったかも
しれませんが、だからといってその可能性を無視しても
構わない、ということにはなりません。何故なら、そもそも
障害者に対する思い遣りというのは、とりもなおさず、
少数者を大切にすることだからです。若者が障害者である
可能性が低いからといって切り捨ててしまったら、それ自体が
矛盾になるからです。

 また、障害がない人でも、とても疲れていたりして、
どうしても座っていたいという人のことも、それがその人の
判断であれば、尊重すべきではないでしょうか。

 優先席に座っている人に対して
 「席を立ちなさい」
と言っていいのは、その人の身体的特性や健康状態を
十分把握している両親や親族のみで、通りすがりの人が軽々に
強制すべきことではありません。

 私がアメリカで生活をしていた時、バスには
特別な優先席などはなかったけれど、必ず誰かが席を
譲ってくださいました。

それは決して、他人に促されたり、脅されたりして、しぶしぶ
立つのではなく、当然、自分の意思で、自発的な
気持ちに基づいて譲ってくれるのです。

 日本の乗り物の優先席も、あくまでも自らの
ボランティア精神で座席を譲るものであり、決して人から
強制されたり、逆に人に立つことを強要すべき
ものではないと思います。

 だって、電車やバスは、教育の場ではありません。

 子どもに思い遣りを教えるのは、家庭教育の
責務ではないでしょうか。





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Last updated  2007.07.03 04:46:42


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