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テーマ:闘病日記(4004)
カテゴリ:病気
以前勤めていた、町の小さな総合病院のリハビリ課に久々に行ってきました。
私が勤めていたのは、丁度 リハビリに対する医療制度が大きく変わった頃で、病院側としては、一人でも多くの理学療法士さんを入れたいということで、私の職場…リハビリ課には、どんどん理学療法士さんが入ってきて、その代わりに 今まで勤めていた、柔道整復士さんや針灸あん摩マッサージ士さんが次々退職していった時期でもありました。 長い間通っていた患者さん達の気持ちに反するシステムに、新しく入ってきた理学療法士さん達に体制をどんどん変えられてしまい、課内で、もめごとが多く出た時期でもあり、受付をやっていた私のところに、患者さんからのクレームが殺到して、超ー板ばさみ状態。 新しい上司には、かなり 刃向いました。。。 若かったなぁ…。 私の立場は…というと、治療補助&事務経理、様は雑用係りで、私の立場も危くなり、院長から「看護士になれ」と支持が出て、あまり体の強くない私は看護士として勤められる自身が全く無く、理学療法士になれる方法を模索しはじめ、先生方に相談に乗ってもらったり、…でも結局、一人暮らしをしていて只でさえ金銭面ギリギリの状態で、どう考えても「無理」ということになり、他の資格を探したりして、悩んでいるうちに、微熱を毎日出すようになって、その内 全身に雷が落ちたような痛みが走るようになり、ひどい下痢も起こるようになり、夜もバイトをしていたこともあり、体の限界を感じてしまいました。 なんとか直そうとしたのですが、「膠原病の疑いはあるが…原因不明」という事で治療法も見つからず、さすがに勤め続けることが出来なくなり退職した…という経由があります。 私は、出来ればずっと病院勤めをしていたかったので、心残りの有る職場でした。 今回、久々にお邪魔したのは、 私の足が、冬になると、 膝の力が急に抜けて、転んでケガをしたり、足が前へ運べなくなってしまったり、痛くてたっていられなくなったりするので、冬の間は外出が殆ど出来なくなってしまう悩みをどうにかできないか?という相談をしに行きました。 先日、歩いて数分のところにある実家から帰る途中、急に冷えだしたねーとか旦那と話していたら、急に膝の力がカクンと抜けて、危なく膝を道路にたたきつけるところでした。 ギリギリのところで旦那に支えてもらいセーフ! その後は、膝になかなか力が入らなくなって、旦那様の支えが無いと 前へ進めない状態に急変してしましました。 やっとのこと自宅に入れた後は、冷や冷やした気持ちがずっと残っていました。 私は今、新宿まで学校に通っていますが、去年の冬に通っている途中で、やはり膝の力が抜けて、怖い目にあってから、通えなくなり、ずっと休学していたのですが、今回は 学校側に特別処置をとってもらい、延期してもらったばかりで、さすがにもぅ一度、延期の申請は出せない!ということで、休んでもいられません。 私の通っている病院には、リハビリ課というものが特に無く、急遽必要な人だけが活用できるような中途半端なリハビリ部というものがあるだけなので、相談できるところがなかったんです。 フと依然勤めていた先生達に相談してみたくなり、電話を入れたところ、私が知っている先生は、週1回臨時で来ているという、私が最後にお世話になっていた上司が残っていました。 みっともなくてもいいから、装具とか、杖とか 何でもいいから、なんとか学校に通える手段を!と必死の思いで 相談に行ってきました。 10年ぶりに入ったリハビリ課は、まったく変わってしまっていて、従業員の数もすごくいっぱいいて圧倒されてしまいました。 「先日電話で連絡させて頂きました、以前ココに勤めていた○○ですが…」と言おうと思っていたのに、自分の名前も言い忘れ、直接 先生の名前を告げて呼び出してもらいました。 先生は、とても親身になって相談に乗ってくれました。 現在は、ある理学療法士育成の学校の先生をしていて、週に1度だけ この職場の様子を見に来ているということでした。 先生はすごく出世していました。 先生に、色々話を聞いてもらって、筋力や体の動きをみてもらってから、本当にたくさん、アドバイスをもらいました。 私は、変形性膝関節症でもなく、レントゲンでも異常が見つからず、神経にも異常も見つかっていないので、「ただの関節痛」と担当医から言われてますが、冬になると トンでも無い事になるのはどうして???とずっと思っていました。 担当医に相談しても「関節痛がひどくなるからでしょう」と。対処法などは「温かくしてください&無理しないように」が定番で。 痛み止めをもらっていますが、痛みが軽くなる程度じゃー膝の症状はあまり変わりません。 この膝の症状を元上司の先生は 「たぶん、それは 膝折れという症状だろう」と言っていました。 痛みがある程度までひどくなると、これ以上動かさないよう予防策として、脳が「力が入らなくする指令」を出して起こる現象が「膝折れ」なんだそうです。 膝折れには、 どんな強力なものでも、サポーターでは対応できないだろうと先生はおっしゃっていました。 だからといって、膝折れを支えるような装具をつけるとすると、ガチガチなものが必要になるだろうし、それじゃぁ 私みたいに普通に歩くことも出来るような者が使うと筋力が落ちる原因にもなるし、膝を曲げられなくなったり、動くことが相当不便になるので、装具も向いていないだろうとのこと。 だから、まず は テーピングを試してみては?といわれました。 スポーツ選手がやっている筋力のサポートや、動きを良くするためのテーピング法とは異なり、異常が起きる寸前に、皮膚や筋肉に刺激を起こすためのテーピング法。 膝の下…内側にから徐々に外側へ、膝を丸く囲う感じで、モモの外側(付け根近くまで)に筋肉の筋にそって1本。 反対方法へもう一本。(膝の下…外側から、股の内側へ) 膝が急に力が抜け切ってしまう寸前に、皮膚に対して刺激を与えて、 ひどい膝折れになる前に 自分が膝折れがおきる瞬間を気がつくことが出来るので、地面に膝をたたきつけるようなひどい膝折れにはなりづらくなるだろうし、反対側で少しは踏ん張ることも出来るだろうし、杖をもっていれば、杖を握り締めることもできるだろうから、やってみる価値はあると思うよ!と。 張り方を詳しく丁寧に、何度も繰り返して教えてもらいました。 杖は、心の支えにもなってくれるから、いつでも持ち歩ける折りたたみ式が良いよ!と。 貴方は、「今日は膝がやばそうだなぁ」…って感覚は何となくわかるでしょ?そういう時に杖を出しておけばいいんだから、医療用みたいに、しっかりした高価なものじゃなくていいから、フっと力が抜けた時に、軽く支えになってくれるものであればいいので、折りたたみ式のかわいいのデザインの物を探してみたら?とアドバイスしてもらいました。 それから…東洋医学的対処法としては、お尻の上の真ん中(ウエストより少し下)に ホカロン等で暖めてみるのも良いかもしれないよ?と。 両足の神経の交じり合うツボみたいなものが そこにあるので、 ここを暖めることで 足の冷えの対処にもつながると言われているそうです。 だから、膝に古傷を持ってる人とか、冬になるとウズク人にも良いそうです。 「東洋医学なので、専門ではないけど、足の悪い私も、腰を痛めた妻も、試して良い感じだよ」と教えて頂きました。 弱りきった膝の、筋力UP法も教えてもらいました。 先生言わば、「筋力をUPしようなんて贅沢なことを思わずに、維持するつもりで頑張っていれば、気づかぬうちに筋肉が良い反応をしてくれるようになるから、あせるなよ!」と。 地面に座った状態で、足を伸ばし、つま先を天井に向けて座り、1,2センチ地面から上げる運動を疲れない程度に、チョコチョコやると良いそうです。 「今、簡単に言ったけど、やってみると結構大変だぞー。ちゃんと様子を見てやれよ!」と。 膝折れで倒れずらい姿勢も教えてもらいました。 お仲を前上に突き出す感じで、背中を上にピンと伸ばす感じ。 私の場合、お腹の調子が悪いと、姿勢をキープできなくなるので、いつも…というわけにはいかないけど、お腹の調子が悪くない時は、心がけようと思いました。 これだけ色々アドバイスいただけると、心が パ!っと晴れた感じになり、心が軽くなった気がしました。 治ったわけじゃないのにね(笑) 先生は最後に、 「お前は宴会部長で、仕切り屋で、にぎやかな癖に、気が弱いところがあったり、小さなことでも気になる神経質なところがあって、世話のかかるヤツだったなぁ」 「お前の事だ…今までもずっと ギャーギャー騒がしく やってきたんだろう? もぅ歳も歳だし、少し落ち着けって神様からの指令だったのかもな」 ~と仙人みたいな白髪&白ひげのお爺さん姿になっていた元上司に言われて、何だかとても恥ずかしいやら、うれしいやら。 「お前は、もう歳とったんだから、昔のようにパワフルになりたい…なんて思うなよ!」 と何度も釘を刺された事が 今でも心にやさしく残っています。 無茶ばかりする私のことを覚えていてくれたんだなーと思うと すごくうれしかったです。 今思うと、あの頃の私は、会社組織というものをキチンと理解していなかったと思います。 長く働いていたら偉い!みたいな感覚を、最初のスタッフに教えられていたて、やっとその立場になった時期に、一気にスタッフが変わってしまい、新卒の人が数名一気に入ってきました。 資格が上であれば、新人だって上司になるんです。 なのに当時の私はそれがすごく気に入らなかった。 お金が無くて学校に行けなかった悔しさもあり、心から受け入れられるまですごく時間がかかってしまいました。 でも、今の私なら 喜んで迎えられるだろうなーと思います。 しかもあの頃…20代半ばの私は、新しい風が吹いたら、風の吹き方に合わせた乗り方に変更しなきゃいけないということをまだ知らなかったんです。 法律が変わり、少しでも利益が取れるよう頑張っている院長や上司が あれこれ試しだした事に、私の意見も少しは聞いてくれたのに、それだけじゃ満足できなかった私。 器が小さかったわぁ…。 当初、リハビリ課で古株ということだけで、各部署が集まる会議にも出席させてもらっていましたが、今考えれば、ただの事務員なのに偉そうにして…ホントに未熟者でした。 こんなわけ分からない者のいる部署に配属されちゃった当時の先生は、本当に大変だっただろうなーと今は心から思えます。 厄介者に近かっただろう私のことを、こんなに暖かく迎えてくれる元上司に、ただ、ただ、頭が下がるばかりです。 でも、不思議と、対立した事の記憶より、先生のニコニコした仙人の様な笑顔ばかり、頭に浮かんでくるんですよね。 やっぱり、この職場、楽しかったんだなぁ…。 今思えば、前院長が生きている時、 「リハビリ専属の看護士になるという目標で、看護士を目指してみないか?」という言葉、真剣に考えてみるべきだったのかも…と思います。もぅ今更のことですけどね。 ※血をみたり、点滴漏れをおこし膨らんでる手を見るだけで貧血をおこす私…、本当に看護士になれる自身がなかったんですぅぅ(T_T) 昔のことが一気に楽しい思い出として降り注いできたような、何だかとても うれしい一日になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.31 13:00:25
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