1998年の仰木采配この年は前年までいたニールを斬って、プリアム入団。木田もこの年からですかね。 しかし、開幕から何と5連敗を喫して個人的初観戦を迎えます。 対ダ 1-2 ●星野 対ダ 1-3 ●杉本友 対近 1-4 ●伊藤 対ハム1対9 ●星野 対ハム4対9 ●杉本友 開幕の二戦は星野、杉本友が完投していたので、この二試合どちらか取れて 居ればと思います。 近鉄戦が雨で流れてなければ連敗は止まっていたかと。 ハム戦はビッグバン大爆発でした。 もう1つ要因としてあるのが、実は三輪が脱税問題で出場停止に。 参考;小久保 激動の10年史 九州ニッカンより したがって、まだ日高も台頭してなかったですし、中嶋はFAで西武に行った ので、捕手は高田、久保に。 ハム2連戦で打たれまくったので、捕手は久保が起用され、先発は丸尾と 5連敗中なのに腹の据わった起用を見せられます。 さて、4月12日の東京ドーム 当時はハムは落合が四番を打ってました。 BW 100 101 00 Fs 100 010 0 と進みます。意外と丸尾がインコースを突いて好投。 五回途中まで投げ、平、コバと繋ぎます。 しかし、コバが8回裏に同点にされ、延長戦。 最後は10回裏西浦だったか金子に三遊間を破られサヨナラ負け。 この時のサードが途中から入った佐竹で、なんとなくサードは向いてないと 言う印象をこの時から持ちました。 次の観戦は4月29日の千葉マリンでしたが、小宮山にあっさりひねられ、1対3。 この辺からC・Dが復帰したり、藤本博史が移籍したりしてます。 とにかく4月は5勝14敗と最悪のスタート。 しかも5勝はウィンが3勝、フレーザー2勝と外国人でしか勝ってないので これではダントツ最下位。 最下位は6月24日まで脱出できませんでした。 この年は当然観戦成績もひどく 5月5日 7表まで4対1リードしながら、終盤杉本、コバが打たれ4対5敗戦。 6月7日 7表まで8対リードしながら、終盤乱れ1点差で迎えた9裏に五十嵐の エラーで追いつかれ、最後金村の犠牲フライでサヨナラ負け。 7月14日からは東京ドーム三連戦で、平日でしたが、毎日八時前から観戦 しました。 初戦木田が撃沈で●5対10 二戦目 6回まで1対4の劣勢も終盤追いつき4対4。 三戦目 7回終わり1対5の劣勢。 しかし、八表に一挙四点で追いつくと11回表に日高のプロ入り 第1号で勝ち越し、ようやく今季観戦初勝利。 この三戦目の7月16日は終盤仰木采配が炸裂しました。 田口、イチロー、プリアムの守備位置を下に書きます。 【二中左中左中】田口 【右中右】イチロー 【左右左中左】プリアム ○説明 途中で谷に代打小川が出た時点で田口が外野に回りました。 田口、イチローは言わずもがなの守備の名手ですが、プリアムは難あり。 という事で終盤得点圏に走者が行くと相手打者の傾向によって、難ありの プリアムを一番飛んでこなさそうな所に配置。 確か九回裏、二死で二塁に走者が居て、ハムの誰かがレフト前にヒットを 放ち、レフト田口からのバックホームでアウト! 遠くから見ていて送球がかなり横にそれていて、追いタッチ気味でしたが、 アウトの判定! 上田監督が桃井主審のベルトを掴むくらいの猛抗議!!! 更に10回裏だったと思いますが、二死で得点圏に走者を迎えて、プリアムは センターに配置。 しかし、あろうことか打球は二遊間へ。 遊撃に入っていた(これもあまりありませんが)大島が横っ飛びして コレを抑えてチェンジに。 結構この試合は印象に残ってます。 この後8月に東京ドーム、西武ドーム(当時は半ドーム)、神戸に行きました。 神戸で佐藤さんの登板を打者1人だけですが見れたのは良かったです。 この年は日ハムが独走していたのに大失速した年でもあります。 優勝した西武でさえ9月24日が首位浮上で、貯金9. つくづくBWが普通に戦っていたら優勝できた年だったと思います。 最終的には66勝66敗と驚異的な追い上げを魅せました。 マジック対象にも1試合だけなりましたしね。 |