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葬儀の勉強イメージ
葬儀の見積の注意をアップしました。
積立方式の葬儀社の信頼度は、解約受付の電話番号にかけてみることをおすすめします。
他の電話番号は通じるのに、解約番号だけが通じないところがあります。
仏壇お手入れ用品
内容に関しまして、葬儀・葬祭をテーマにしています。
通過儀礼の最後に自分の身を供犠にする、と考えるのがヒンズー。

私の国では、通過儀礼の最後を飾るのだけれど、誰のためのものかがはっきりしない。
通過儀礼という以上、その前提には社会性が存在しなければならないはずです。 交通が不便で、職業の選択の自由もなく、転居の自由もなかった時代がありました。
社会といえばそんな地域社会しか存在しなかった時代の葬儀を、伝統として守ることに意義があるのでしょうか。
葬儀でのマナー本もあります。
同じ行為が、この本では推奨されながら、あの本では駄目。
マナーの意義も紹介する本により違っています。

現代にふさわしいマナーが必要とされると思いもしますが、古い習慣の根強い地域の存在することも事実のようです。
このように考えると、一筋縄ではゆきません。
葬儀の歴史、国内・国外の動向、葬儀を考えるに必要な周辺事情などに目を向けると、自分の人生に目を向けることが大事に思えてきます。

葬儀をどのようにすべきかは、結局自分の人生にふさわしい葬儀をどのようにするのが良いかの問題になりそうです。
アンテナを張って、「人に教えて貰いながら」という姿勢では後悔する葬儀しかできないような気がします。 ブログですので、時々関係のない話題も入ります。
訪問者の方々にはその点、先にお詫びしておきます。ゴメン
「葬儀・葬祭って何?」この視点を持ち続けて本などを読めば、一見葬儀に関係のないほとんどの本には葬儀または、死生観が絡んでくるようになります。
というより、大概の本には葬儀・葬祭・死生観に関する言及があることに気づかされます。 奥深いのにないがしろにされているのも葬儀です。
原因の大なるものは、わかりにくい「お経」と「葬儀マナー」にあると睨んでいます。

葬儀の勉強 [全1799件]

2012年5月5日楽天プロフィール Add to Google XML

映画 「阪急電車」 

本日のテレビ映画である。

すでにビデオで観たが、テレビで観れるとは思わなかった。ローカルだし…

私も阪急今津線に住んでいるので興味をもって観たが、涙あり、楽しい映画であった。
今津線といっても宝塚から西宮北口までで、今津へは乗り換えて2駅。間には阪神国道という駅がある。

私の住んでいる駅には降りてくれてなかったように記憶する。駅の中の看板も映っていたが、実際とは違う。

私の出た大学も映っている。校門からの桜の道が奇麗だが、もう散っている。

今から、もう一度みるつもりである。



Last updated 2012年5月5日 20時58分35秒
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2012年4月27日

母、入れ歯をはめる  (2)
[ 母 ]  

去年の夏が終わることから、総入れ歯を外していた母。
私のではないと言い張っていた。

昨日は、入れ歯をはめていた。綺麗になったといえば、少し機嫌がよい。
その後の昼寝の時も、入れ歯をしたまま。

認知症の母が、外見を気にするのは良いことだと思う。

しかし、今日はまた外していた。

話題にすれば、気が高まるので、この話はそっとしていた。




Last updated 2012年4月27日 14時26分45秒
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2012年2月27日

母の子供帰り 
[ 母 ]  

敗戦を知り、こわいもの知らずの母たち(女学校時代)は私たちだけでも戦うと言っていたという。

戦争末期母は、どこかの田舎で軍需物資を作る作業に駆りだされていた。

その時の母と祖母の手紙はそれぞれ「愛しい愛しいお母様」に対し「恋しい恋しい○○ちゃん」で始まっていたらしい。

その実、母の家族全員は、母が家からいなくなってほっとしていた。
わがままで横暴な長女がいなくなったからである。

しかし、手紙のやりとりが済んですぐ終戦。
母がもどってくるとなり7人家族は絶句。

食糧もなく、甲子園から松山まで買出しも拒否して、幼い2人の妹たちに行かせた。叔母たちは今でもこの頃の話をよくする。

好き嫌いが多く、大豆製品がだめ。卵がだめ。
唯一きな粉だけが食べることができるので、祖母は母のためにきな粉をせっせと作っていたらしい。

認知症になり、その頃の性格が出てきているのか、わがままである。
おなかが減ったいうので料理を並べる頃には気が変わっている。

一口も食べずに捨てて頂戴。

そんな母に、先日卵の白味を食べさせてやった。
目が悪くなっているのと、認知症のためか知らずに食べていた。







Last updated 2012年2月27日 15時3分45秒
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2012年2月3日

「聖徳太子と飛鳥仏教」 

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聖徳太子との関わりを記述するために、聖徳太子非実在説への言及もされている。簡単なご挨拶。
「日本書紀の厩戸皇子記述について道慈の恣意的な筆が入っていたとしても書かれている事件の存在自体あるいは書かれている要素全部がねつ造ということにはならない。文章上に表現されている様相と部分分では違っていたとしても、そのもとになる事件そしてその史料・記憶は存在したと考えられるのである。
私は森氏の研究はもちろん、大山氏らの研究の有用性を疑うものではない。また日本書紀の厩戸皇子記事にかなりの造作が入っていることを否定するつもりもない。だが上記の理由からして、それらがまったく何もないところから創作されたと断定するには躊躇せざるを得ない。」

(客観的事実関係知らないことの方が多い。これは歴史の本のすべてに言えることだろうから、著者の立場で読むべき本だからそれはそれでよいのでしょう。)


仏教公伝から半世紀。推古大王の時代。彼女は仏教の教えや信仰には好意的であった。
しかし、仏教界は野放し状態であった。そのため僧侶の傷害事件などが起こる。激怒した推古大王が仏教界粛清を断行しようとするが、観勒の弁明で回避される。
(この弁明も僧尼の無法ぶりを裏打ちする。「今時に当たりて、僧尼いまだ法律を習わぬを以て、たやすく悪逆なることを犯す」。観勒もいつ僧尼が犯罪を犯してもおかしくないと認識していたらしいという。)

代わりに大王が命じたのが、僧尼や寺々を監督する機関の創設と現状の総点検。
日本書紀巻22推古天皇32年4月13日条
詔して曰く、「それ道人も、なお法を犯す。何を以てか俗人をおしえむ。故、今よりのち、僧正・僧都を任して、なお僧尼を検校うべし。」

(国の管理に入る経緯の一面を見るようで興味深い。)


盂蘭盆経にもとづいて前世7世の父母を餓鬼道から救うために僧尼に飲食を布施する盂蘭盆会は、推古大王14年(606)に見えている。倭国に旧来から存在した祖霊崇拝と結びつくかたちで、早くから受容されていたためであろう。大化改新後も斉明大王3年(657)に見えている。ただ僧侶も含め斎会参加者のほとんどは、典拠経典を知らなかったと考えられる。斉明5年の講経は、倭国社会に流布し始めた斎会の典拠経典を僧尼に認知させる目的で行われたのであろう。

(「倭国に旧来から存在した祖霊崇拝」?邪馬台国九州説の論者が批判するところによれば考古学上大和には先祖崇拝を認める「物」がない、というのがある。著者はこのあたりの見解も知りたいところである。また山本夏彦氏は、「孝」は音だけあって訓がないので外来思想だと言っていた(「誰か明治を知らないか」という本)。)

そんな仏教の中味はというと、
「神仏習合以前から、というより「仏教公伝」からずっと仏と在来神とを質的に区別しなかった。出身を別にすれば、仏も初めから神々の一族として受容したのである。つまり神仏習合とは神と仏の異質性を認識したうえで双方を融合させるものではなかった。「蕃(となりぐに)」の形容詞が付く「神」と認知された仏から形容詞を取り払う、もしくは「仏」という名で在来神と区別される「仏神」から仏=神としての仏神へシフトするだけの運動だったのである。」
「仏は時代とともに新たな機能を付加され、祈願内容は肥大化していく。だがその本質についての認識は、飛鳥仏教における「蕃神」「仏神」からさして変わらなかったのである。」

(仏様にお願いするとき、お釈迦様を想定はしていないなー。)
(聖徳太子の仏教理解もそれほど、というところか。)






Last updated 2012年2月3日 10時24分11秒
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2012年1月29日

「葬式仏教の誕生」

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中世の仏教革命

著者は、松尾剛次(けんじ)氏。

アマゾンでは評価が高い。

表紙裏の記述
「日本では中世まで、亡くなった人は、
河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。
死は穢れとして、忌み避けられていたからだ。
そんななか、人々が弔いを託したのが仏教である。
葬式と、墓石を建てる習俗の起源を探りながら、日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を探る。
日本人は仏教革命によって、
死者を悼む「かたち」を獲得した。」

(長い長い縄文時代には住居のそばにお墓が作られていた。飛鳥・奈良時代にも死が穢れだからといって捨てられるのなら、古墳やお墓に関しての令が出ることもないと思うのに、ここでの文章の理由と結論が合点が行かない。)


あとがきには、
「千の風」の歌詞は、墓に詣で、手を合わせる習俗に対する挑発的な内容である。
とある。
(お墓の前で嘆き悲しむ人を慰める歌詞であったよ。挑発なんて読解が不思議。日本には、墓を持たない村もあるが、それも1つの習俗であり、上の習俗を挑発するものではないと思う。それにこの歌は死を嘆き悲しむなという仏教にも通じる。)


「穢れを規定した早い史料である「延喜式」によれば、日本古代における穢れには、人の死・酸、家畜の死・産、肉食、改葬、流産、懐妊、月事、失火、埋葬などがある。
中心となるのは、人の死穢と産穢、家畜(6畜で野生獣ではない点注意)の死穢と産穢、失火の穢れである。」

(各種の本で引用される場所である。注意としながら根拠を示していない。私は穢れの恣意性を読み込んだ。本来タブーとはそのようなものなのだ。)

「1220年代に庶民の間でも死体遺棄や風葬が減少したらしい。
著者によると、鎌倉仏教(遁世僧教団)の成立と境内墓地の成立が重要な背景であったと考えれている。
すなわち、死穢を憚らず葬式に従事する鎌倉仏教教団が成立し、それと連動した動きの結果として大規模共同墓地が成長し、京都清水坂の非人の組織化があったと見ている。」

(「死穢を憚らず…鎌倉仏教団が成立」は突然のことではないだろう。それまでにも死穢を憚らない仏教僧たちがいたのだと思う。少数だったのかもしれないが、変化は少数から始まる。ここでは少数とされる僧の階層に注目した議論をして欲しかった。そして本当は少数でなかったのかもしれない。死穢のタブーという表層が先行して事実が見えてないのかもしれない。)

(求められた葬送)
発心集第4第10話、八幡愚童訓乙下巻第3話、宝物集、沙石集巻1第4話などの例を出し、次のように結論付ける。
「こうした話にも、葬式を望む人々の存在と、慈悲のために穢れを憚らず葬式を行う僧侶の存在、すなわち、慈悲のために穢れ忌避のタブーを敢えて犯す僧侶の出現がわかる。
実にそうした願いに応え、組織として葬送に従事し、教団を形成したのが鎌倉仏教の僧(遁世僧)たちであった。」

(上記、例に出されたのは、なぜか、家族に先立たれ女ひとりになってしまったため故人を葬地へ運べないという同じシチュエーションばかりであった。)


法然が弥勒信仰を警戒していたのに、
藤原道長は、浄土信仰と弥勒信仰と混合して信仰していた。

(この混合がどうして出来たのか分析されている。藤原道真がそれほどの信仰がなく合理主義者であったことを考えれば良いとこどりをしたと思う。現在の我々が神社や寺や教会で通過儀礼をするように。)

説話集には、神社に参詣しようとした僧侶が、参詣の途中で若い女に母親の葬儀をたのまれ、葬送を引き受けた後で参詣しようとし、御神体が現れて賞賛される、という類型の説話がある。
覚乗の話も覚乗個人の穢れが無とされただけでなく、「円明寺から来るもの」といった具合に、いわば叡尊教団の僧侶集団が穢れていないとされている点である。すなわち、叡尊教団の律僧たち全体が、「清浄の戒は汚染なし」という論理によって、穢れのタブーから自由であったことを示している。

この論理により律僧たちは、官僧たちが囚われていた死穢というタブーを乗り越え、それを操作可能なものとする画期的な論理を打ち立てていた。

(「画期的な論理」というよりそもそも穢れのタブーが決定的でなかったと私は読む。結論が先にあって、理由をあとからさも論理的なように云っただけに思える。正直な感想として論理なんて大層なものでもない。)


斎戒衆は、俗人でありながらも、斎戒を護持する人々であり、俗人と律僧との境界的な存在で、律僧たちが、直接関与しにくい活動、たとえば、戒律で禁止されているお金に関することなどに従事した。こうした組織を有したことにも、官僧が穢れに触れるとして忌避した活動(葬式従事もその1つ)に組織として取り込もうとした律僧たちの決意が現れている。

(汚いものを拾うとき箸を使うがごときをこのように説明するのはどうか。要はお金が必要であり、欲しいのである。こんな戒律あったのかも疑問。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
著者が書かなかったことが多々あると思うが、大事なのはそちらの方な気がします。

これも「葬式なんて要らない」に対抗して書かれた本。

議論が足りず、結論だけがあってそれを支える事実を探して記したのではないか?というのが感想。
但し、アマゾンでは評価は悪くない。


Last updated 2012年1月29日 10時52分40秒
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2012年1月28日

草原の輝き 

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主演は、ナタリー・ウッドとウォーレン・ベイティ

ハイウッド映画で初めてディープキスをした映画らしい。
ナタリー・ウッドの入院シーンがあり、素顔に近い彼女が見れた。

高校生の恋愛を扱う。
ナタリー・ウッドとウォーレン・ベイティは、恋愛中で両者とも相手に夢中。
もう一歩進みたいのだが、どちらの両親もそれぞれに理由は違うが、それを望まない。
一歩進まないまま、ウォーレン・ベイティの父親から2人は離されてしまう。ナタリー・ウッドの精神が壊れる。
それほどまでに好きになってしまったようだ。
やがて病院から退院して、心の整理のためにすでに大学を卒業し結婚もし子供もいるウォーレン・ベイティに会いに行く。
ここでは、ナタリーウッドの過去と別れを告げた表情が映し出される。
ここで下の詞。

Though nothing can bring back the hour of splendor in
the grass, of glory in the flower, we will grieve not. Rather find strength in what remains behind.

草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし
翻訳:高瀬鎮夫

原作がSVO構文になっているのを日本語らしく訳している。そのため、we will grieve notの主体的な感じが消えている。
映画では、高校時代の女友達も現場に同伴させており、We の感じが出ており、私自身も参加することになり応援したくなる。

あんな男と深い関係にならなくて、よかったね。


ナタリーウッド、浮名を流していたようだけれど、わかる気がする。

下記の本で紹介のあった映画。
【送料無料】なぜ人はキスをするのか?

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Last updated 2012年1月29日 2時35分20秒
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「悲しみよこんにちは」  (2) 

悲しみよこんにちは(DVD) ◆20%OFF!

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価格:1,584円(税込、送料別)



配役は豪華。

デボラ・カー
ジーン・セバーグ
デイヴィッド・ニーヴン
ミレーヌ・ドモンジョ

主役の女の子は、「勝手にしやがれ」でも出ている。

映画自体の結末は、後味が悪い。
ハッピーエンドではないが、それでもお勧め。他者を「少し」傷つけるつもりが、大きく影響を与えてしまうことは今でもある。

あらすじは、http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD14656/story.html

デボラ・カーの役どころは良かった。
ジーン・セバーグの父と結婚の約束をし、とたんに親としての責任感が芽生え、主人公に母親面する。
しかし、婚約者(主人公の父)が浮気相手と自分の悪口を言っているのを聞いて、泣きながら車に乗って帰る。
そこで事故死(自殺かも)。

このデボラ・カーの傷心を企んだのが、娘。
泣いて帰ろうとするデボラ・カーに言い訳をしようとするが、ヒステリックになった彼女は聞こうともせずに車で帰る。
「めぐり逢い」とは違う彼女を見せてもらった。固そうでいて壊れやすいのは同じだが、ここではもっと泣き虫。

ジーン・セバーグ。こんな娘、あかんやろ!と思いつつも、どこにでもいそう。

ミレーユ・ドモンジョの名前は知っていたが、若い時はかわいい。

結論として、サガンは好きになれない。これが言いたい。



Last updated 2012年1月29日 2時19分36秒
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