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ばう犬

ばう犬

Jun 27, 2007
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カテゴリ:哲学/思想/科学
加賀野井秀一先生の講座「メルロ=ポンティの言語論」の第5回を受講しました。今日は、「言語が世界をどう切り取るか」についての講義でした。

言語を習得するというのは、言葉によって世界を切り取り、少しずつ切り分けていく過程であるということです。そのようにして、ボキャブラリーが増えることで、世界は区分され、細かく識別されていきます。言わば、言語習得は、認識獲得に等しいわけです。

乳幼児の頃の「生体験」では、「快/不快」などの単純な印象で世界を見分けています。それが、成長のある時点から、言葉なしで世界を見分けることが不可能になってきます。たとえば、「愛」などの抽象的な概念は、言葉なしには、明確に感得(体験)できません。
「生体験」は、しだいに自己組織化され、世界認識が形成されていきます。

先生の言葉で、印象に残ったものが幾つかありました。
◆ 思考は、表現されることで、事後的(回顧的)に確認される。
◆ 上記に関連して。何か表現したいものがある(メルロ=ポンティはそれを、「明確な不安」「限定された空虚」などと表現している)。それが上手く表現されると、「ああ、そうか体験( aha-Erlebnis )がある。つまり、表現されることで、思考は確認される。
◆ 「手持ちの言葉」は、自分の手足のようなものである。私たちは言葉を、身体を使うように使っている(身体表現 = 言語表現)。
◆ 私たちの言葉には、基本的に3つの表現があるが、それらは「何がどうする」「何がどんなだ」「何がなんだ」である。私たちは、提示し(「何が」(他のものから区別して))、判断する(「どうする」「どんなだ」「なんだ」)ことで、世界を二重に切り分け、明示する。





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Last updated  Jun 28, 2007 02:06:45 AM
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