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普通に生活していて、「私は・・・」で始まる考えなんて滅多に浮上しない。
ボールを蹴る足の感覚だとか、空腹だとか、さっき読んだ本の一文だとかは浮かんでくるけど、「私は・・・」なんて強制しないと出てこない。 普段の意識って、感覚されたり、表象されたりする対象と「密着」しているから、「私」が差し挟まれる隙間なんてない。 それでも確かにある「私のような」感覚って、身体的なものだと思う。だからたとえば、「身体主体」とでも呼んだらよいかもしれない。 ボディワークが何より大切にし、育まなければならないのは、きっとこの部分じゃないかと思う。 この記事のトラックバックURL:
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