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スピリチュアル・メモリー 女神の物語

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February 23, 2008
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カテゴリ:カテゴリ未分類
養老2年(718年)9月9日、熊野本宮神の御分霊を乗せた船団が陸奥国に到着、上陸しました。


元正天皇の勅命により、蝦夷征討の祈願神として送られたのは、熊野本宮神でもある瀬織津姫でした。


上陸地点は、現在の宮城県気仙沼市唐桑町です。

鎮守府将軍の大野東人は、白馬17騎の緒郷主を招集して、瀬織津姫の神輿を出迎えました。


そして、御神意を伺ったところ、「鬼首山は往古、日本武尊(やまとたけるのみこと)が鬼神を征服し、初めて皇業が行なわれた地なので、」と、鬼首山に遷座されることを望まれました。


鬼首山とは、現在の室根山になります。

気仙沼市の隣の岩手県東磐井郡室根町にあります。


こうして、瀬織津姫は、室根神社で祀られることになったのです。



ところが現在、室根神社の祭神に瀬織津姫はありません。

本宮ではイザナギ尊、新宮では速玉男命(はやたまおのかみ)と、事解男命(ことさきをのみこと)が祀られているだけなのです。


瀬織津姫は、その姿を消してしまいました。


それは、紀州熊野の地でも同じでした。

熊野本宮神は、家都美御子神(けつみみこのかみ)に代わっています。



瀬織津姫は、どこへ行ったのでしょうか?

そして、何故消えてしまったのでしょうか?




実は、瀬織津姫の名が消えているのは、全国的なことなのです。

瀬織津姫は、消えてしまったのではなく、消されていたのです。


それは、朝廷にとって都合の悪い神だったからです。




その理由の一つに、養老4年(720年)に編纂された日本書紀があります。


この日本書記は、天武天皇の第三皇子である舎人親王(とねりしんのう)が中心となって編纂したものですが、そのバックには、藤原不比等(ふじわらのふひと)の力が及んでいた様です。


645年に起きたクーデタによる政変を、「大化の改新」と呼びますが、その中心人物となったのが中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。

その一族は藤原氏となって、政治の主役に躍り出ることになります。


唐からもたらされた新しい知識を使い、律令制と天皇を中心とする中央集権国家をつくり上げていくのです。




この頃、朝鮮半島では新羅が統一に乗り出し、660年には唐と協力して百済を亡ぼすことに成功します。

663年には、日本軍は阿部比羅夫(あべのひらふ)が兵2万7千人を率いて朝鮮半島に渡り、唐・新羅連合軍と激突します。

これが有名な「白村江(はくそんこう)の戦い」ですが、結果は唐の水軍の前に日本軍は惨敗し、朝鮮経営から完全に撤退しなければなりませんでした。


新羅はその後、高句麗も亡ぼし、676年には唐の勢力も追い出すことに成功して、朝鮮半島の統一を果たしました。



この戦乱によって、百済や高句麗から、中国的な教養や技術を身に付けた多くの王族・貴族たちが日本へ相次いで亡命して来ました。

飛鳥の都は、白鳳文化が花開き、国際都市へと変貌していきました。


その一方で、唐の脅威も急激に浮上してきました。

九州に防人(さきもり)を置いたり、水城を築いたり、西日本の各地に朝鮮式の山城を造りました。



そして、更なる飛躍のために和銅3年(710年)、平城遷都が行なわれました。

唐の都、長安にならって平城京は造営されていきます。



日本書紀が編纂されたのは、まさにこの様な時代でした。



685年、天武天皇の勅命により、伊勢神宮内宮の遷宮がおこなわれます。

これによって、伊勢神宮はほぼ現在に近い様式で祀られることになりました。



随分と前置が長くなってしまいましたが、日本書記は中臣・藤原政権が、朝廷の皇祖神である、天照大神(あまてらすおおみかみ)を日本の絶対神とする祭祀政策のために作り上げたものです。


その絶対神、天照大神のイメージを損なう神として、天皇制の問題に係わるタブーの神として、消されて行くのが、瀬織津姫なのです。







続く





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Last updated  February 25, 2008 02:46:03 AM



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