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カテゴリ:ブログ・ジャーナリズム
子供のころ、おじいさんやおばあさんの、おとぎ噺は、世界を知る数少ない方法だった。どんなことでも関心を持って聞いたし、疑問ももたずに黙ってきいていたものだ。 すこし長じれば、学習雑誌などの漫画や記事に書いてあることから、世界や未来についてのことを知った。ちょっと背伸びして、兄や姉たちの学年の学習雑誌をのぞき見することで、なんだか、とおい世界を見ることができたような喜びがあった。 スピーカーのちょっと調子の悪いラジオもいろいろなことを教えてくれた。そしてテレビがやってきた。真空管を年に何回も取り替えないとまともに映らない中古テレビも、東京オリンピックの頃には、新品のカラーテレビになった。 世界が、情報が、なだれを起こしたように入ってきた。遠い世界に旅だってみたい、という気持ちが湧いてきた。 自転車を駆って、あちこち遠出をするようになった。山や海や街に行った。高校時代には、自転車で5日間の旅に出た。山を越え、川を越え、海を越えて、佐渡島に渡った。佐渡金山を見、するめイカを食べた。その体験を個人ミニコミに書いた。 学生運動があった。ベトナム戦争があった。世の中は、すばらしいことでいっぱいであったが、すばらしくないことでもいっぱいだ、ってことに気が付き始めた。世の中おかしいこともあるぞ、と思う仲間たちと、集まりを持つことが多くなった。 ヒッチハイクで3ヶ月間、日本一周した。いろいろなことがわかってきた。北海道・網走から沖縄・コザまで、いろいろ体験した。そのことを仲間とミニコミ雑誌に発表した。全国の仲間がたくさんできた。 その仲間のネットワークから、Oshoのことを知り、インドに旅たった。一年間のインド滞在の中で、世界のあちこちからやってきていた多くの人々と触れ合った。いろいろなことがわかった。 帰国して、Oshoのセンター活動を始めた。けっして簡単なことではなかったが、楽しいことのほうが多かった。またまた新しい人々とであった。はぁ、世界にはこういう人々もいるんだなぁ、と思った。 それから、仕事を通じて、結婚生活を通じて、子供たちの成長を通じて、いろいろな世界を体験し、いろいろな人々と出会うことができた。人が、人間として生きて、まずまず平均的な人生とはこんなものだろう、と思えることは、ひととおり体験したことになるだろう。 そして、この10年、インターネットを通じて、世界の友人たちとの交流を深めた。再会を喜び、近況を伝え合い、同じプロジェクトに夢を持った。ネットを通じて新しい友人も増えた。 思えば楽しい人生だった。まだまだ、終わっていない作業も多いが、まぁ、人生の折り返し地点はすでに過ぎているはずだ。もう、いつ、人生の運命が、どこに私を運んでいこうとも、覚悟はそろそろしておかなくてはならない年齢になった。 さて、ふと思う。今、自分が遣り残したこととはなんだろう。もし、この世に不満があるとしたら、なんだろう。いろいろ小さなことはありそうだ。でも、それらのほとんどは、いまのままでもなんとか乗りこえられる問題だ。でも、どうしてもいやなことがある。 それは「戦争」だ。 戦争はいやだ。戦争のニュースを見るたび、苦しくなる。戦争に巻き込まれた親の世代をかわいそうに思う。広島・長崎のニュースを見るたび、涙がでる。アメリカだろうと、イランだろうと、イスラエルだろうと、レバノンだろうと、とにかく戦争はいやだ。人が人を殺すシーンをみることは耐えがたい。 どこか別の惑星で起きていることだろう、と、視線をそらそうとする。テレビのチャンネルを変える。もう新聞は読みたくない。いやだいやだ。 でも、自分の世界にこもり、仮にすばらしいコミューンができて、そこに永住することができることになったとしても、一切、自分の周りから「戦争」を排除することができたとしても、この世から「戦争」がなくなったことにはならない。 仲間と喜びあい、新しい情報を入手できて、新しい技術を身につけることができたとして、で、それがなんだというのだ。この世の矛盾に対して目をつぶりつづけて幸せになったとして、それは、本当の幸福には思えない。 もし、ここにブログがあるとすれば、それが存在意義を持ちつづけるとしたら、それは、この世から「戦争」をなくするには、どうしたらよいのだろう、ということをおおきな視点として据えることだろう。 わが、この準備中のブログ、嫌だけど、やはり、しっかりと視野にいれておかなくてはならない。 この世から戦争をなくすにはどうしたらいいのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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