地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「コンテンツビジネスによく効く、著作権のツボ」
この本を読んで、とりあえずは自分の普段の行いは、大きくは著作権というものには抵触していないようだな、と確認はしたものの、今後の動きも注目しておく必要があるのだなぁ、と思った。最近ちょくちょくテレビでも見かけるようになった著者の本だが、実際にコンテンツを「ビジネス」として運用するには、この辺の知識は常識として知っていなくてはならないのだろう。
さて、この本を読んで、さらに、もうひとつのことを思い出した。本来は、先日の書き込みで一回紹介したはずだったのだが、操作ミスで一瞬にして消えてしまったので、こちらで翻案として紹介しておこう。
1971年のある日、私の個人ミニコミは、沖縄タイムスに写真付きで大きく紹介された。そのことを知ったのは、一読者であり当時沖縄の高校生だった伊○優クンの手紙があったからだった。同じ高校生として私のミニコミに共感を覚えたらしい。早速、参考にミニコミを一部送ったものの、私には釈然としないものがあった。
つまり、1971年に、当時、一世を風靡していた「週刊朝日ジャーナル」誌の「ミニコミ特集」で紹介されて以来、たしかに全国から問合せがあったが、直に「沖縄タイムス」の取材には応じたことがなかったからだった。当時まだ、沖縄はパスポートがないといけない「外国」だった。その沖縄でなぜ私が紹介されなくてはならないのか、その経緯を知りたくなった。
私が沖縄に渡ったのは、1972年の7月、その年の5月25日に沖縄は本土に「復帰」し、パスポートなしで渡ることができるようになっていた。私はその時、ヒッチハイクで日本全国を三ヶ月で一周していたので、その途中で寄ることになったのであった。
私には「沖縄」というものはあまり身近なものではなかった。たしかに70年安保の年にはべ平連の小田実がきて「沖縄反戦デー」に向けての集会もあり、たしかに長髪やギターをもったフランス・デモに参加したりしていた。だが、それほど歴史的なことに関心が深くあったわけではない。
日本全国、という限り、当時では沖縄をはずすことができなくなっていた。伊○優クンにもあいたかったし、「沖縄タイムズ」にも、立ち寄って見たかった。そういうきっかけで行った沖縄だったが、あまりに文化の違いの隔たりが大きかったので、私は唖然としてしまった。この経緯については、また別に触れることもあるだろう。
そして、「沖縄タイムス」に赴いた私を迎えた編集部の人の答えは意外なものだった。それは、「沖縄タイムス」独自のニュースではなかったのである。それは共同通信社から配信されたものだったという。つまり、私のミニコミは、当時のあらゆる新聞紙で写真つきで大きく取り上げられていた可能性がある。しかし、東北の地方紙しかみていなかった高校生の私には、どのような配信のされ方だったのか、追跡する方法が無かった。旅の途中でもあったし。
当時、ミニコミを作っている人間達の意識には、マスコミに対する違和感、拒絶感があった。もしデモ隊の報道がされているとすると、デモ隊側からの写真ではなくて、あくまで機動隊側からの写真や見方でしかなかった。自分のことは自分で発言しなくてはならない、という不文律のようなものがあり、また、それがミニコミであることの誇りでもあった。
そういった社会的背景の中でも、マスコミに対する興味はあったので、いろいろ調べてみたい誘惑に駆られた。その後、その興味はいまでも続いているし、まぁ、あの時のスピリットは、このブログを始めてみようかなぁ、と思った要因のひとつでもある。
いずれにせよ、共同通信社の取材は、確かにアンケートという形で郵便で受けたことはあったが、その後、なんの承諾もなしに記事にされていたのである。いわゆる引出し記事というものにされたのだろうか。文化欄などで、ちょっとスペースがあいてしまった時の穴埋めに、手頃な記事をいくつか引出しにしまっておく、それが引き出し記事だ。
しかし、考えてみれば、こちらは、「創作物」として出版しているのだから、せめて大マスコミが利用するなら、事前に承諾を取るのが本来であったと思う。すくなくとも、掲載された記事くらいは送ってくれてもよさそうだった。もしあの時、伊○クンが知らせてくれなかったら、なんにも知らないで終わっていたのだ。まぁ、でてから数年経って友人に教えてもらった引用本などもあるので、一旦、自分の手元から離れたものは、どのような利用のされ方をされているのかわからないのだなぁ、とあらためて痛感したのだった。いずれにせよ、いわゆるマスコミに対する不信感を募らせた事件だった。
私はこのような形で18歳の時に沖縄にいったのだが、しかし、そのミニコミ云々というより、沖縄の現実を旅人として見ることができたのは、とてつもない体験だった。伊○クンの家に一週間泊めてもらい、眺めたコザの街や基地、まだベトナム戦争は続いており、現代社会の現実というものを見ることができた貴重な体験だった。
こうしてブログを書いていくことはささやかなことであり、たまには著作権やビジネス問題にぶつかることがあるだろうが、それは、まぁ、側面やわき道であるにすぎないと思う。ミニコミを作ることで、当時の沖縄を知ることになったように、このブログを通じて、なんらかの事柄と遭遇する可能性もあるのであり、むしろ、そういうものがあるはずだという思いがあるからこそ、私個人のこのささやかなブログ・ジャーナリズムは続いていくのであろうと思う。