地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「系統樹思考の世界」 すべてはツリーとともに
ネットワークという時に、まず、一個の丸い地球に二本の足で立っている一人の人間のすがたをイメージする。そして、二本の手には、隣の二人の友人の手がつながれている。そして、友人の手にはさらにとなりの友人の手がつながっており、やがては地球を一周するような輪ができている。
ざっというとこのようなネットワーク觀だったのだが、この本を読んで、あらためて、その認識をもういちど見直す必要を感じさせられた。一つには、どうもこのイメージ、平面的である。立体感がない。ワールド・ウェッブ、などと言われるので、クモの巣のイメージをなんの気もなくアナロジーとして使ってきたが、それもまた平面ではないか。本来、ネット社会は、もっと重層的なものである。さらにもっともっと立体的であり、また常に変化しつづけているものである。
それに対して、系統樹ツリーという世界觀を再認識させられた、というべきだろうか。卑近な例としては、ダーウィンの進化論で使われる系統樹ツリーだが、この考え方は、まだまだ、さまざまな形で利用できることに気がついた。
例えば、こうして書き散らしている自分のブログを系統的に俯瞰するとか、書店に言った時に、膨大な量として存在している新書本を、系統樹ツリーにまとめることによって、その大本を把握するとか、利用方法はいろいろあるようだ。
先日ちらっとのぞいた、例えばチベット密教の系譜にせよ、それをさらにインド密教にさかのぼり、さらにさらに、ヒンズーの伝統や、古代インドまでさかのぼる系統樹ツリーを作り上げたら、(すでにできているだろうが)そこに流れる一貫したスピリチュアリティを見てとれるかもしれない。
あるいは、膨大さでは人後に落ちない2chにしても、この系統樹ツリーなくしては、あの言葉マンダラの世界で迷子となり彷徨せざるを得なくなるだろう。ネット検索にしても、このような系統樹ツリーなくしては膨大なネット情報の目的地まではたどり着かないことになる。
本書はその系統樹ツリーをそれこそ系統立てて科学的に論述する。しかしながら、逆に言えば、ツリーには分化したあと再融合を認めない等、やや不便な点もある。これからはどうやら、系統ネットワーク的な思考と階層的な系統樹ツリーをあわせたような思考モデルが必要となるようだ。
ツリーのひとつの延長腺の上に、「ネットワーク」があるとすると、双方向の園長腺上には「ジャングル」が見えてきます。系統ジャングルとはものものしい表現ですが、生物進化の世界ではきわめて興味深いいくつかの現象に関係して生じてきます。p245
さらに進めば、系統ジャングルや系統スーパーツリーの「ネットワーク版」、すなわち系統スーパージャングルとか系統スーパーネットワークと呼べるものを提案することも、近未来的には不可能ではないでしょう。
p250
こうなってくると、とてつもない膨大な世界觀が現出することになるが、それもまた、このIT革命とインターネットの中では、きわめて容易につくり出される可能性もでてきたし、一部に先進的な動きの中では、それが大前提となってプロジェクトが進んでいるところもあるようだ。でも、それは技術としては可能であるかもしれないが、ひとりの個人の人間としては、どうとらえたらよいのか。ますます彷徨することにはならないだろうか。
私は、息をするように本を読もうとつねづね心がけています。それは、どんな本であっても力みなくごく自然に読みたいということであると同時に、活字に飢えたら生きていけないだろうなあということでもあるわけです。p211
著者もこう言っていることだし、ニワカ新書本立ち読みブロガーとしては、まぁ、のんびり楽しみながら、一冊一冊を手にすることにしよう。