地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「メディアのからくり」 公平中立を謳う報道のウソを暴く
保岡裕之 2002/07 ベストセラーズ 新書 243p
★★★★☆
9.11からまだ一年も経過しないうちに出版された本である。事件直後の緊急性を帯びながら、なお90年代、あるいは80年代、70年代、あるいは戦後までさかのぼって、ジャーナリズムの本質を問う好著。9.11直後の米国ジャーナリズムをエスノセントリズム(自国中心主義)として強烈に批判する。そして、当時、急成長していたインターネット上の個人メディアの成長に期待を寄せる。
2002年の状況と、まもなく2006年も終わろうとするこの時期の、ネット状況には、また新たな変化はでてきているが、基本的に、あちら側かこちら側か、と二者選択に大衆を押しやり、マスメディアを使って大量の偏向した情報だけを流し続ける体制には、極力、ノンと言わなければならない。その役割はひとりひとりの市民にあり、手段としてインターネットが大きな役割を果たすというのは、今でも変わらない。
世界一の発行部数を誇る「読売新聞」のジャーナリズムに疑問を感じ、ジャーナリストとしての理想を共有する”同志”とともに退社、「黒田ジャーナル」を旗揚げし、月刊紙「窓友新聞」を発行したジャーナリストの故・黒田清氏は、マスメディア内部の「多事争論」(=民主度)の重要性について(後略)p49
とある。思えば「9.11ジェネレーション」の岡崎玲子は「第三回・黒田清日本ジャーナリスト会議新人賞」を受賞しているのだった。黒田清については詳しくはしらないが、その同志の一人が、よくテレビで見かける大谷昭宏などだったりしてみれば、一概にマスメディア、と弾劾するわけにはいかず、すこしづつ丁寧にマスメディアもウォッチングしていく必要性を感じる。
近年のアメリカの単独主義は、アメリカ全体がアメリカ中心の内向きな豊かさにのみ専念するという”品位なき”(チョムスキー教授)単独主義で、全体的な傾向が見受けられる。p179
ここには、こういう形でチョムスキーが登場するわけだが、ふと思ったのは、チョムスキーもまた、ひとりのエスノセントリストなのではないか、という仮説である。トフラーや養老孟司など、70歳前後以上の人の著書を読んでいると、感じることだが、よくも悪くもエスノセントリズムになっているのではないか、と思うことが多い。ただ、これは仮説である。今後、そのような視点で読み直す必要がある。
いずれにせよ、本書はとても読みやすく分かりやすく、21世紀の常識とも言えるが、その常識を具体化し現実化することは簡単なことではない。インターネットを通じたブログやコミュニケーションが、グローバルな動きに大きく左右する、ということを大きく指摘している本書に、私はほとんど無批判的に賛同してしまう。