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カテゴリ:マルチチュード
(1)より続き
<帝国>第二部 主権の移行p97 この本を書いているあいだ、私たちは力の及ぶかぎり、広汎な学際的アプローチを適用しようと努めた。本書において私たちの展開する議論は、それぞれ同等の資格において、哲学的かつ歴史学的、文化論的かつ経済学的、政治学的かつ人類学であることをめざしている。p9 ここで上げられているだけでも、哲学、歴史学、文化論、経済学、政治学、人類学などのアプローチが試みられていることがわかる。であるがゆえに、ネグリ&ハートの二人の共著とならざるを得ない、ということもわかる。なぜそうするのかという点に続いて、次のように続く。 そうした広汎な学際性を私たちの研究対象が要求するのは、ひとつには、狭い専門分野にもとづくアプローチをそれまで正当化していたかもしれない境界が、<帝国>のなかでますます崩れ落ちつつあるためだ。p9 第二部においては「ネットワーク的権力ーー合衆国の主権と新しい<帝国>p209あたりが強く興味をひかれる。この本の原書は9.11以前に出版されているはずだが、9.11にいたる道筋はすでに予測されたものであり、研究の集大成が出版された直後に9.11が起きたが故に、この本はある意味、ひとつのブームを呼んでいるのだろうと推測する。 今日のNHKテレビ「週刊ブックレビュー」の出演者が、最近の読書界の二大潮流として(正確な表現は忘れた)アントニオ・ネグリと「何も共有していない者たちの共同体」のアルフォンソ・リンギスを上げていた。そのような形で紹介されるとついついそちらに気をとられてしまう自分がいるが、このような「哲学」的アプローチを、このブログでどんどん追いかけていってみるのか、あるいはこの辺で引き返すのか、考え時ではある。 第二部でもさかんに登場するスピノザについても、どうやらもう少し学ぶ必要があるようだ。ネグリ&ハートのマルチチュードのなかに科学や芸術というものを見つけることができても、意識ないしは魂のカテゴリについて、いまいち不足しているのではないかという感触がある。ところが、どうやらスピノザは、神秘主義にも影響を与えているらしいので、なぜマルチチュードにおいての魂論が語られないのかは、この辺を開いていくとわかっていく可能性がある。 マルチチュードは、その対抗的であろうとする意志や解放への欲望を携えながら、<帝国>を押し分けて進み、ついには向こう側へと抜け出さなければならないのである。p285 さて、この一連のマルチチュード論を読んでいくにあたり、自分をとりあえず一人のマルチチュードとして既定して考えてみようと試みている。とするなら、この部分などは、ある意味、指令でありアジテーションでもある。<帝国>を押し分けて進み、ついには向こう側へと抜け出さなければならないのである。さぁいよいよアヤシイ世界にはいりつつある。この辺の部分は、世界のマルチチュードを自認するひとりひとりはどのように読んでいるのであろうか。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.04 19:46:17
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