地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」
香山リカ 2006/11 幻冬舎新書
幻冬舎新書が創刊された。本屋の店頭にいきなり17点ほど並んでいたから圧巻だった。目新しいカバーで、タイトルも玉石混交ながら、売れ線を押さえている感じがする。すでに新書本シリーズは30を超えているだろう、まさに新書本ブームといっていいのだろう。
このなかで、とりあえず立ち読みしたのがこの本。はっきり言って香山リカは、図書館にも沢山新書があるが、私は一冊だけ読んで懲りてしまっていた。とは言ってもいつかはまとめ読みしようとは思っているが、まず第一印象を言っておくと、精神科医という触れ込みながら、一般的な評論家のお手軽な一冊、という感じが否めず、またその批判めいたものも、どこか井戸端会議的で、どうもピンとこない。
つまり、香山リカが批評(あるいは批判)しようとする対象に対して、彼女のもっているキャパシティが相対的に不足しているのではないか、と思われるのだ。ケチだけつけるなら、多少口がまわり筆が立つ人なら、それほど難しくない。それを上回る何か代案なり、新しい提言がなければ、本当に生産的な議論にはならないのではないかな、と思うのである。
さて、今回はその批評(あるいは批判)の対象となるのは、江原啓之と、その周辺にあるスピリチュアルという奴だ。カバーの腰巻で「江原さんのこと 1)大好き2) インチキ! あなたはどっち?」と来た。これは明らかにスピリチュアルや江原ブームを意識してのマーケティングである。好きも嫌いもまずは、私は、スピリチュアルについて書いて、儲けてます、という少しは謙虚な態度が必要ではないかな。もし、それでなかったとしたら、彼女はまず、なんでこの本を書いているのだろう。その趣旨がちょっと不明瞭だぞ。人気はあるのだろうが、まずはこういう姿勢が彼女の本に私の手が伸びない大きな理由の一つだ。
しかしながら、人気がある著者ながら、私の手がまったく伸びないという意味では江原啓之のほうがさらに上を行く。まぁ一生読まなくてもいいかな、と思っているのだから、香山女史に対するよりさらに無礼な態度と言える。テレビで拝見する限り、すべては「過去生」に持っていくやり方には反対だ。危ない。間違っている。関係を持ちたくない。私の態度はそういうものだった。
さて、「スピリチュアル」という言葉だが、これも難問だ。もうすでに日本ではこの言葉に色合いをつけてしまったのね。「オウム」と「オウム真理教」では大違いなのだが、すでにオウムもAUMも鸚鵡でさえも、日本の通常の社会ではタブー視される言葉となっている。スピリットという言葉にはなんの責任もないが、スピリチュアルという形容詞を名詞形としてつかう、ある特殊な世界が動き出しているのである。
スピリチュアル・コンベンション略してすぴこんなんて動きもあって、それはそれとしてまた別な機会にふれようと思うが、言葉づらではなく、「スピリチュアル」という具体的な何かを指し示す動きがでているのだ。その筆頭が江原啓之なら、まぁそのうち、ゆっくりと著書なりテレビ番組なりを見てみようとは思っている。
さて、端的に言えば、スピリチュアルに「ハマる人」「ハマらない人」、江原さんを「大好き」「インチキ!」という二元論は「インチキ」だから、私は香山流のロジックには「ハマらない」と言っておこう。