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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.01.17
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カテゴリ:シンギュラリティ

<2>より続く

「未来のアトム」



 とえば、一つの脳に複数の身体が結びついたケースを考えてみよう。これは、つまり、身体は異なるものの、精神は同じである、共通である、というケースである。永嶋(史朗)氏はこれについて、こう述べる。
 「そこで生じるものは、集合的無意識みたいなものかもしれませんね。地球全体が電子網で囲まれて、そこから、なんとなく意識のようなものが生じる可能性もないとはいえません。これからどういう方向に進化するかはわかりませんが、地球全体が”自意識の海”になる進化の方向がありうるような気がします」
 心理学者のユングは、人類は、種族の違いを超えて、原始・未開の心性を共通に持つとした。それが、ユングがいう集合的無意識である。
p150

 こで言われている「地球全体が”自意識の海”になる」という状態を、とりあえず私はシンギュラリティと名づけて、このブログのカテゴリとしている。完全に人間を離れた機械としての集合的無意識ではなくても、たとえば、人間の可能性をはるかに大きくしてくれた半人間半機械的存在、それをサイボーグというかもしれないが、とにかくそういう状態になりうる可能性は十分ある。

 たとえば、人間より早く走るためには、かつてのアニメのエイトマンのように二足走行ではとても、新幹線を追い越すという構造では無理だろう。そこには、車輪なり、リニアモーターなりの発明が必要だ。

 ライト兄弟が鳥のように飛びたいと考えたとして、羽ばたく鳥の羽の模倣をしていたら、最後まで飛行機は完成しなかった可能性もある。

 私たちがいまインターネットで体験しているものは、まさに集合的無意識の実体化ではないか、とさえ思える。

 
「人工脳」を規模的に拡大していけば、「地球規模の『人工脳』を実現することだって原理的には可能です」と下原(勝憲)氏はいうが、地球規模の「人工脳」ができた場合、使い方次第では、恐ろしいことが起こりうるかもしれない。
 テロリストとかが「人工脳」を悪用して、コンピュータを操作し、社会を大混乱におとしいれるといった自体も想定されうる。デガリス(・フーゴ)氏自身は、そうした危険性を念頭に置いて、「人工脳の研究には賛否両論あるだろう」と述べているとのことである。
p160

 このことはまさにWeb2.0で
Googleなどが直面し始めた問題である。別に「テロリスト」の手におちなくても、このようなシステムは、つねに人間個人個人の自由を奪ってしまう可能性は十分ある。「悪用はしない」というGoogleの誓いを信じるとしても、いつの間にか詐取されるという可能性はゼロではない。

 
こで、広瀬(茂男)氏に「知と身体は切り離せると考えてよいのでしょうか?」と尋ねてみた。それに対する広瀬氏の答えは、「(切り離して)考えてもいいんじゃないかと思います」というものだった。
 むろん、話がここまで進むと、今の段階では実証的な話ではなくなり、かなりSFの領域に入ってしまうのは避けられないが、私自身の考え方を述べれば、私自身は、「知と身体は切り離せない」と考えている。
p175

 人工知能とロボットは、互いの距離を測りながら、互いに進歩していく可能性があるだろうが、この段階で、私には、人工知能は近未来のうちに、人間から独立した新しい生命体になる、とは思えない。ただ、地球上の人間の意識を集合し、あたかも、一つの巨大な知能、巨大な意識のようなものとして繋いでくれる可能性は大きいと思う。いや、むしろそうなりつつあるのであり、その実用性を多いに活用すべき時代にきていると思う。

 そして、その巨大な知能ができつつあるのなら、それに繋がったロボットは、良識ある新しい住民として、たとえば介護ロボットとか、交通整理ロボットとかのように、人間の管理下で働き続けることは可能になるだろうし、現在、ほぼ、科学はそこまで進歩してしまったように思われる。衛星システムとナビシステムのようなイメージで私はそう思う。

 
ントは、その主著『純粋理性批判』において、時間と空間は、人間に与えられた先験的な思惟形式にほかならず、人間の思惟はその枠組みを超えることはできないと断じた。
 要するに、人間の思考の可能性と不可能性ーーその境界を見定めるというのが、カントのいう「批判」である。「批判精神」とは、カントにおいては思考の深さの別名である。
 この本を書いている私の基本的なスタンスは、カント的な
意味での、つまり、言葉の本質な意味での「批判」をなんとか展開したいということになる。
 p176

 私は著者のこの姿勢を諾とする。著者は科学をし、哲学をしている。そして、科学と哲学の間の領域において、なんらかの線引きをしようとしているかのようである。しかし、この段階において、著者は「瞑想」に触れることができていない。まだ「不可知」に向けた、「全体性」「受容性」「信頼性」に舵を取ることはできていないように思える。

つづく






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Last updated  2009.02.04 21:19:34
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