「ケータイの未来」 夏野剛 2006/11 ダイヤモンド社
どことなく「アトムの未来」に装丁も似ていたし、本のタイトルも似ていたので、とりあえず期待して読み始めてみた。ただ、どうも筆が重い。現状認識の上塗りだけで、あんまり「未来」がでてこない。おかしいな、と奥付を確認したら、この人、NTTドコモの執行役員だった。なるほど、それで、なんだかNTTのちょうちん記事のような一冊になったのか、と納得。
私はケータイ派ではない。圧倒的にPC派だ。だけど、ケータイなしでは生活できない。というのも、職業上、一般顧客からの連絡用に24時間接続可能な状態になっている必要があるからだ。ポケベル、PHSの時代から、携帯通信機器には関心を持って対応している。しかしながら、常に先端を行っているなんてことは全然なくて、むしろそろそろ枯れて安定廉価になったな、という頃に手をだす、というパターンが続いてきた。
現在使っているケータイも、モデルとしては2年半前のものだ。1年半前に、それまで使っていたケータイの裏蓋が壊れたので、交換することになった。裏蓋をセロテープで固定さえできていれば通常に使えたのだが、セロテープにも使用年限の限界がある。やむなく現在のケータイにしたというわけである。機種交換した当時でもすでに1年落ちであったが、私には十分すぎる(ということでもないか)機能がついていた。逮捕当時のホリエモンがもっている機種と同じものだった、というのが客先ではネタとしては十分話題に成り得た。
緊急連絡のためには、まずは、通信範囲が広くなくては困る。またセキュリティも高くなくてはならない。なくさないようにいつも紐で腰に結んでいる。画像も200万画素もあれば十分だ。ちょっとした書類ならコピーしておくことができる。動画も15秒ほど撮影できる。これも仕事上必要なのだが、これ以上、高機能なものは特に必要なかった。(いや、いまならほしいかな)
これにはお財布ケータイ、エディとやらもついている。だが使ったことはない。クレジットカードやキャッシュカード類も最小限の使用に抑えている私としては、小銭の使い方まで、第三者に感知されたくない、という思いもある。本著においては、前半部分をこのお財布ケータイの展開に割いている。iモードの次の戦略の一つ、ということである。私は、ちょっとなんだかな、という思いだ。
ケータイ派ではないが、モバイルは大好きだ。もしPCがもっともっとモバイルになるなら、大賛成だ。しかし、現在のところ、バッテリーの持続時間、ネット接続の料金課金の問題、マン・インターフェース、特にディスプレイとキーボード、それらの課題が劇的に改善されなければ、私はノートパソコン派のままだろう。
ところが、この本の最終部分では、ホログラム技術を駆使した空間ディスプレイに、バーチャル・キーボードというアイディアが紹介されている。私にはとてもうれしい技術だ。もしケータイを常に持ち歩くとして、しかもバッテリ持続時間が長く、接続料金も定額で、しかも通信速度に問題がなくなったら、私は、この空間ディスプレー+バーチャル・キーボードつきケータイが絶対にほしい。まぁ、そう遠からず、そういう時代が来るにちがいない。
日本のケータイ機器メーカーは、世界戦略では遅れているという。それは、日本が、ドコモ、AU、ソフトバンク(旧ボーダフォン)に寡占されて、しかも端末買取制度が発達してしまったからだと、著者はいう。技術は高いけれど、営業力に弱い日本のケータイ、そういう姿が浮き彫りになる。
著者は現在40代初半と思われる優秀な経歴をもつ経営者だ。私達エンドユーザーとはまったく違う点からケータイを論じているが、私には、もうすでにパソコンのOSやアプリにしても、ケータイの在り方にしても、ハード的には、一定程度の開発は終わっているのではないか、と思っている。Web2.0といわれる時代にあって、本当はハードや通信技術の面では頭うちになっているのではないか、と思う。
まったく新しい、別な視点からの人間社会を見直す必要があるのではないか。本書を読んで、そんな想いをますます強くした。