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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.02.12
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「『オウム』 なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」 
島田裕巳 2001/7 トランスビュー 
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序 章 オウム事件と私
第1章 事件は解明されたのか
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 のエントリーを書くことは極めて気のすすまないことだ。この著者も本当は好きでない。ましてやこのテーマからは、限りなく遠のいていたい。それでも一度は、いつかは直視しなくてはいけない問題だろうと思ってきた。その機会がようやくやってきたのか、まだ来ないのか、あるいはまったく必要ないのかわからない。今回のこの書き込みがどこまで続くわからないが、とりあえず始めてみる。この本は、540ページを超える大冊なので、何回かにわけて書いてみよう。

 なにを持って「オウム事件」というのだろう。私にとっては、坂本弁護士一家殺害事件でもなければ、地下鉄サリン事件でもない。ましてやオウムが標榜したハルマゲドンなぞ、私にとってはなんのかかわりはない。あえて私にとってオウム事件と言えるものがあるとすれば、95年の3月の地下鉄サリン事件の報道の中で、オウム類似団体としてOshoが誤報道された時だった。

 の時の一連の報道については、新聞、雑誌、テレビのビディオなど、入手できるものに関しては、ほぼ全て入手して検討した。その後に出たおびただしい新書や単行本の類も、目の届く範囲では、ほぼすべて目を通した。そして、もし万が一、Oshoに関する、明らかな間違いや、一方的な思い込みによるオウムとの関連づけに関しては、著者や出版社、テレビ局などに指摘し続けた。もちろんこの活動は私ひとりでできるわけがなく、全国の有志による自然発生的なネットワークでの活動となった。しかし、これはまた別な話題だ。

 島田が「オウムと私」という時は、ただごとではない重さがある。本書でいろいろなことが書かれているのでいちいち取り上げないが、彼にとっては、人生に一度あるかないかの体験をしただろうと思われる。

 は、オウムが引き起こした一連の事件の意味を探り、ひいてはオウムとは何か、さらにはなぜ日本の社会にオウムのような集団が出現したのかを明らかにしていきたいと考えている。
 しかし、私にはその作業を進める上でためらいがあることを告発をしなければならない。それは、私にとってひどく気が進まないことでもある。私の人生はオウムとかかわることによって、あるいはオウムについて発言することよって、大きくそのコースを変えることとなったからである。私は勤めていた大学を辞めなければならなかった。そして私には「オウムを擁護した宗教学者」という負のレッテル、「スティグマ」が貼り付けられた。そのスティグマは、今もはがれていない。
p3

 この本がでたのは2001年7月である。あの911よりさらに前のことになる。この本がでてからすでに5年以上の日にちが経過している。その前にもその後にも、オウム関連の本はでている。島田の本もでている。そしてオウム(アレフ)も変遷し、「事件」そのものも変遷している。おびただしい情報の海を泳いでいくことは私には好むところでもなければ、快感を予感することはほとんど何もない。

 かし、このブログが「地球人スピリット・ジャーナル」というタイトルをこれからも維持するなら、一度はくぐり抜けなければならない「業火」のように私には思える。私には島田のような必然性はない。島田のような「間違い」を犯していない。現在のところ、幸いにして島田のような「スティグマ」を貼り付けられるようなこともない。

 そうであっても、島田が「オウムが引き起こした一連の事件の意味を探り、ひいてはオウムとは何か、さらにはなぜ日本の社会にオウムのような集団が出現したのかを明らかにしていきたい」と自嘲的に発言することをよしとする。このテーマの立て方に違和感を感じないわけでもない。オウム真理教を単に「オウム」と言ってしまうところからして気にいらない。聖なるチベットのマントラと、間違った道をたどった集団を同じ単語で呼ぶところから気にいらない。

 ウムが日本の社会の出現した、という捉え方も、私の好みではない。それは違うだろう。もっとグローバルな視点から捉えなおさないといけないのではないか、と思う。すくなくとも「日本の社会」と括ってしまうところから、もう私の関心から外れていく。だが、それであったとしても、島田と島田の視点を強く強く批判的に捉えながらも、それをてこにして「地球人スピリット」をジャーナルすることはできるのではないか、そんな淡い期待が、いまだに消えていないことも事実だ。

 なぜそう思うのかは、いくつかの理由がある。一つは、宗教社会学が科学の一つである限り、議論や論評の積み上げが可能であろう、という期待感がある。二つ目には、島田という立場の微妙さがある。「オウムを擁護した宗教学者」は島田以外にもいる。彼らのほとんどは、事件後うまいこと逃げ切ることができたのでないだろうか。時間はかかった。しかし、自らのスティグマをうまく剥がすことにはなんとか成功したのではないか。
 
 しかし、島田は失敗した、というか、一生その十字架を背負っていかなくてはならない状況から、いまだに脱出はできていないのではないか、と想像する。そして、であるからこそ、今になって島田の本を読んでみようかな、と私が思った理由の一つでもある。「オウムを批判した宗教学者」など山ほどいる。もちろんオウムを批判するほうが簡単だ。オウムは批判されて当たり前の体質をもっている。批判する以外にどのようなことを考えることができるのか。

 う思う反面、「オウムを批判した」宗教学者たちが、それでは「オウム」以外の何をうみだしているのか、という問いかけにになると、そのいわゆる「宗教学者」たちの存在が色あせて見えてくることになる。ポスト「オウム」で一体彼らは何を生み出したのか。「科学的」になにか大きな進歩を見せることができたのか。

 島田は愚かである。島田はおっちょこちょいである。島田の研究は「浅い」。島田の存在自体がまるでコメディだ。いいかげんにしてほしい。あほらしい。もう、何万語を費やしても、どうも何かを言い足りない。バカヤロウと罵倒しても、それでスッキリ、とはならない。

 何故だろうと考える。島田がオウムを「擁護」したからこそ、島田しか語り得ないものがあるかもしれない。島田のおっちょこちょいさがあったからこそ、その「研究」をてこに語り得ることがあるかもしれない。島田が「捨てられた」からこそ、島田を語る価値が出てきたかもしれない。

 とにかく何かが引っかかる。そんな想いで、この本にとりあえず目を通すことにする。島田は「宗教教の時代とは何だったのか」を1997年に書いている。この終章で、「オウムとは何だったのか」というタイトルにしたことを後悔している。「だった」と、過去形で書いていること自体を自己批判している。

 沢は、麻原が社会的に差別された階層に属していることで、そのような宗教思想をもつにいたったこを示唆した。中沢によれば、中世インドで発達したタントリズムは、アウトカーストあるいはアウトローの小集団のなかで伝えられた思想であるという。厳しい階層性をもった社会のなかで発達したタントリズムの思想は、さまざまな価値観を根こそぎ否定してしまうような過激な批判性が隠されている。麻原はタントリズムに秘められたアウトロー的、アウトカースト的本質に気づき魅了されたという。p63

 この辺についての中沢の論及とはともかくとして、それを引用する時の島田には、私の勝手な視点からだけだけれども、ますます「甘い」と思わざるを得ないところがある。車の便利さと、車の運転にともなう危険性を指摘するまでもなく、機能と、機能を使い切る技術は、つねに伴っていなくてはならない。性能と、それを使い切る利用技術、それはあらゆる社会で言える。こと宗教的世界だけが特別であるはずがない。結果として、タントリズムの深遠さに気づいた麻原は、その本質を使いきれずに誤用してしまった、ということになる。まさに、狂人に刃物になってしまったことに、島田は気づこうとしない。

 ウムの起こした事件は、日本の社会に生きていながら、社会のあり方に強い違和感をもつ人間たちの、無意識の願望を象徴するものだったのではないだろうか。p64

 甘い、むちゃくちゃ甘い。こんなことを言えるなら、なんでも言える。大体において、「日本の社会に生きていながら、社会のあり方に強い違和感をもつ人間たち」という切り取り方自体に、もうすでに島田の、ものごとを「浅く」「スティグマ」的に捉える姿勢がありありと現れている。もし、本当に島田がその仮説を立てるとしても、ここでは、「だったのではないだろうか」などと言い逃れするのではなく、「だったのである」と断定すべきだ。断定するだけの根拠と根性がなければ、こんなことを言ってはだめだ。

 キミはいったい誰の口を借りて、誰の意見を言おうとしているのか。「社会のあり方に強い違和感をもつ人間たち」とは誰か。「人間たち」とは誰か。甘い、徹底的に甘い。

<2>につづく






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Last updated  2009.02.01 11:45:30
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