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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.02.13
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<3>からつづく 

「オウム」 なぜ宗教はテロリズムを生んだのか
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第6章 実践されたチベット密教
第7章 信者がオウムに求めたもの
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 こまで読んでくると、いよいよ島田と私の違いが明白になってくる。なんであれとにかく、島田は麻原集団が好きなのだ。なんであれ、どうにかして肯定的にとらえたいと思っている。なんとか肯定的にとらえる可能性が1%でもあるのではないか、とあらゆる面から検証する。本人が自覚しているかどうかはともかくとして、ここまで読み進めると、そう思わざるを得ない点が多々でてくる。反面、私はかつて一度も麻原集団にシンパシーを感じたことはない。もし彼らがハルマゲドンの戦いに勝ち抜き、日本や世界の権力層になんらかの形で食い込んだとしても、私は潔く少数派として退却したに違いない。この違いはどうしようもない、宿命的、本質的なものように思える。

 第6章では、「実践されたチベット密教」となっている。島田は、たくさんの「オウムは宗教にあらず」という見解を紹介しながらも、ついに、麻原集団は「宗教」であると断定し、あらゆる傍証を探し出してきては正当な実践された「チベット密教」であると認知する。島田にとっては麻原集団は「ニセ宗教」でもなく「邪教」でもなく「寄せ集め」でもないと、ひたすら麻原弁護に徹する。この辺は私にはわからない。

 麻原個人、ないし麻原集団が影響を受けた、あるいはその流れにあるから「宗教」であるし「チベット密教」であると、する根拠として、麻原やその集団が成長過程でさまざまな出版物や集団に影響されているとする。高橋信次、桐山靖雄、阿含宗、佐保田鶴治、リードピーター、ヨーゲシヴァナンダ、中沢新一、ケツン・サンポ、中村元、増谷文雄、カール・リンポチェ、ダライ・ラマ、などなど早々たる面々の著書などを挙げ、その影響の痕跡を見つけようとする。

 ウムは、ヨーガやチベット密教、さらには原始仏教といった伝統を基盤とし、その上に新しい宗教世界を作り上げようとした。さらに言えば、オウムはチベット密教に忠実であった。しかし、日本はチベットではない。あるいは、チベット密教に大きな影響を与えた後期密教の生まれたインドでもない。チベットには、チベット密教が生まれた必然性があろう。それをそのまま条件の異なる日本にもちこむことに、実は大きな問題があった。p306

 1955年3月生まれの麻原、1953年11月生まれの島田、1954年3月生まれの私、と並べてみると、ほぼ同時期にこの日本に生を受け、ほぼ同時に社会的な時代背景の中で生きてきたものと推測できる。一冊、一冊の新刊本もほぼ同時期に店頭で手にとって読んでいることだろうし、社会的な事件や、集団の盛衰などを見てきたはずだ。それほど大きな違いはないと私には思える。しかしそれぞれの環境でそれぞれの成長を遂げたのだから、それぞれの内面世界には違っていても当然だ。

 しかしながら、麻原を「ヨーガやチベット密教、さらには原始仏教といった伝統を基盤とし」と持ち上げる島田を、私は否定する。55年生まれの麻原が86年当時から95年当時までに「ヨーガやチベット密教、さらには原始仏教といった伝統を基盤とし」得るだけのどれだけの「熟成」があったのだろうか。アニメ原作者やSF作家のように、経典類を濫読して、自分の世界の小道具として用いることは可能だろう。しかし「伝統を基盤」とし得るほどの時間的な経過もなかったし、質的な定着もなかった、と私は見る。

 「その上に新しい宗教世界を作り上げようとした」というところは、やや肯定することができる。しかし、「新しい宗教世界」と簡単にいってしまう島田を、ああ、またやっている、と嘲笑せざるを得ない。本当に麻原集団は「新し」かったのか。このようなチャンポン的世界観の作り方は、決して新しいとは言えない。古典的な手法である。島田が「宗教世界」と言ってしまうとき、私は島田には対しては、絶対心を広げられないと感じる。では島田のいう「宗教世界」とはなにか。

 マギシ会の我抜き研鑽や野垂れ死に研鑽、一灯園の「路頭」はマハー・ムドラーと似た性格ををもっている。どれも難題をぶつけ、その人間の認識を変えようとする心なおしの実践である。その点でマハー・ムドラーは必ずしもオウムに独自なものとは言えない。それは、日本の新興宗教に伝統的に受け継がれてきた心なおしの実践の一つの形態である。p305

 日本において「新興宗教」と名指しされて、「はい、私たちは新興宗教です」と回答する団体がどれだけあるかわからないが、その人たちは、島田のいうところの麻原集団の用いた「マハー・ムドラー」と同じ手法がありますよ、と認める団体はどれだけあるのだろう。私は勉強不足でわからないが、「難題をぶつけ人間の認識を変えようとする」のが「心なおし」なのであろうか。

 ハー・ムドラー的な心なおしの実践が行われたとしても、それだけでは、殺人へと発展するわけではない。それは、心なおしの技法としてのマハー・ムドラー自体に必ずしも危険性があるとは言えないことを意味する。
 ところがオウムの場合には、ポアの論理がある。それはチベット密教に由来するものだが、オウムでは、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちる人間の生命を絶つことは、殺生ではなく、その人間を高い世界に生まれ変わらせる善行であり、魂を高い世界に転生させる行為であるととらえられている。
p305

 膏薬と屁理屈はどこにでもつく、という。盗人にも三分の理、ともいう。我田引水、なんとでも言うがいいさ。しかし、それは、自分サイドでの屁理屈の積み上げであって、その対象になった人々のサイドには、一つも配慮されていない言葉である。これは、坂本弁護士一家殺害事件がおきた90年前後や、地下鉄サリン事件の95年当時の麻原集団の自己弁護の言葉ではない。少なくとも事件のほぼ全容があきらかになった2001年における「宗教社会学者」の言辞なのである。ここまでこの本を数百ページ読んできて、島田が、麻原集団に擦り寄るだけ擦り寄っていながら、殺された側の気持ちには、まったくの擦り寄りが見られない。まさに非情なマハー・ムドラーの夢から覚めていないのは、島田その人なのではないだろうか。

 『A』のなかで、もっとも印象的なのが、私も以前会ったことのあるある教団の幹部が、路上で私服警官に公務執行妨害で現行逮捕されるシーンである。それは私にかぎらず、『A』の観客の多くには忘れられないシーンであったはずである。p308

 ああ、わかった、わかった。もういいよ、と言いたくなる。島田にとっては、サリン事件で全く不可解なままこの世の生を奪われていった人々より、公務執行妨害で逮捕される教団幹部のほうが「忘れられない」のである。『A』とは森達也のドキュメンタリー映画のことである。第8章において島田は「信者がオウムに求めたもの」として、人々が宗教になにをもとめて近づいていくか、というプロセスを描いてみせ、麻原集団が特異なものではなかった、ということを証明しようと試みる。まぁ、大体において、私には「信者」という言葉すら拒否したい、という強いアレルギー反応がでてくる。島田はこのような用語を無際限に無節操に使い過ぎる。

 は、麻原集団や島田の「特異性」を排除しようとは思わない。特異性は特異性として尊重されるべきであろう。まさに特異点と訳されるシンギュラリティは、現在のこのブログにおいての主テーマでもある。マルチチュードという言葉も、お互いの特異性を受容しあう集団性を表している。私は、この世に島田が存在し、アレフという団体がいまだに存在していることに、ことさら接点を求めようとはしていない。人それぞれだろう。スマップの『世界でたったひとつの花』だって、私は大好きだ。

 だけど、麻原集団の犯した罪業の最たるものは、90年代における精神性の成長のプロセスに、おおきな陰を落としてしまったことである。あれから10数年を経ても、その罪業の影響は消えない。ニューエイジや精神世界などという言葉は、まぁ、どうでもいいだろう。スピリチュアリティだろうと、宗教性だろうと、表現はなんとでもいうがいい。しかし、目に見える世界から目にも見えない、もっと精緻な世界への萌芽の多くが、彼らの罪業によって摘み取られてしまったことは、あまりに無残である、と私には思える。まして、その事実にいまだに素直に向き直ることができない島田に、なおいっそうの憐憫の情を感じる。

<5>につづく






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Last updated  2009.02.01 11:37:50
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