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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


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2007.02.17
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カテゴリ:マルチチュード

「宗教の時代とは何だったのか」 
島田裕巳 1997/3 講談社


 下鉄サリン事件を丁度2年経過した時点で出版された一冊。しかも、事件日を意識して、3月20日を出版日にわざわざ選んでいる。
『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』『オウムと9.11』のシリーズに連なる原点となる本と言えるだろう。今回、順番は不同となってしまったが、この三冊を読み比べてみて、著者の論調や語句の使い方、事件に対する姿勢、社会に対する姿勢、あるいは宗教性や人間、あるいは自分自身への煮詰め方、と言ったものには、大きな違いはないと思える。実際には、1997年、2001年、2006年と、大きく時代を超えて書かれた三冊なのであるが、小さな時代背景や、自らの文章に対する訂正などを除けば、ほとんど何の違いもないように思われる。

 そう思うのは、自ら「修行の体験がない」p83と認めてしまうことと、共同体や宗教的回心という時の、原点としては「ヤマギシ会」への参画時におけるそれしかない、という点にある。特に、ヤマギシ会については、ひたすら、なんとかのひとつ覚えみたいに繰り返される。これ以上の、ちょっと隠し味とか、新たに繰り出す隠し玉など、ないのかな、とちょっと拍子抜けする。

 は教祖としてのカリスマ性を感じたわけではなかったが、彼が年下ということもあって、宗教に人生を賭けた夢多き若者という印象を受けたのだった。p39

 二人が面識をもった90年。島田37歳、麻原35歳、年齢に開きはあるが、学年としては、一学年しか違いはない。小学生や中学生ならともかく、30歳代後半になって、一学年下とはいえ、ほぼ同世代人を「年下」で「夢多き若者」と見る島田の感覚には素直に驚かされる。私に言わせれば、どっか狂っている。

 島田がヤマギシ会に潜り込み調査に入ったのが、1975年。私は島田と同学年だが、三重県春日山のヤマギシ会の実顕地に入ったのは、1972年だった。私は特講には参加しなかったが、類似合宿に泊り込みで参加している。また、島田がこの本でも盛んに取り上げている雑誌『宝島30』だが、この雑誌のルーツにもなっている1975年『別冊宝島』創刊号で、当時私たちが作っていたミニコミ雑誌が写真入りで紹介されている。そんな機縁もあって、島田と私は同時代に生きていたことがわかるのだが、私から見ると、彼はどうしても当時としても決して突出した「過激派」でもなければ、ラジカルな視点を持っていた学生でもなかったと思われるのだ。あえて言えば、よりノンポリに近かったのではないだろうか。

 シアの内務省も、国内のオウムに対する捜査をもとに、『オウム教団活動関連報告書』を作成している(一橋文哉「オウム帝国の正体」<完結編PART1>『新潮45』96年5月号)。p14

 この島田の著書の出だしで、この
『オウム帝国の正体』という文書名がでてきて、ちょっとびっくりしたが、同名で同じ一橋の本が2000年7月に新潮社よりでている。私はこの本を、このブログが始まる1年ほど前に読んだが、はっきり言って、そこで展開されている驚愕ともいうべきストーリーを簡単に認めるつもりはないが、そういうことを推定しても不思議ではないと思う。ところが、島田は、その辺の感覚は、まるでない。知っていても、少なくともその著作には、薄っぺらい麻原集団の「フリーメーソン」陰謀論の展開としてのみ取り扱うだけだ。カマトトぶっているのか、物知らずなのか、私には判断しかねる。あるいは、この本には、同時期に書かれた村上春樹の『アンダーグランド』に書かれたような、被害者側の感性や押しつぶされてしまた人間性についてなどに言及されることはない。悲しい。

 連の麻原集団の引き起こした事件の深層に触れて、絶句し言葉を失ってしまうことと、軽薄な饒舌さをさらに加速した島田のようなありかたと、どちらが正しいのかわからないが、私自身ははっきり言って、絶句してしまったというのが正しい。何も言う気がなくなった、といったほうがいいと思う。その点、島田はひたすら語り続けてきた感がある。私は、
「さよなら、サイレントネービー」刺激されて、今ようやく重い腰を上げて、いわゆるところの「失われた90年代」を再訪する旅にでたところであるが、ある意味、軽薄であろうがなんであろうが、このような形で足がかりを作ってくれていることには感謝する。

 最後に、この本のタイトルだが、「宗教の時代」という表現は、それほど多くはなかったのではないか。「心の時代」という言葉はあったと思うが。「何だったのか」というタイトル自体に、島田自身、「オウム」など他書において反省しているが、この辺がいちいち軽いナァ、と思わせるところがある。しかしまた、この「軽チャー」的感覚が、島田の持ち味だとするなら、一概に一方的に批判ばかりもできないかな、と、ちょっと控え目に指摘しておくことにする。





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Last updated  2009.02.09 22:27:58
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