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カテゴリ:アガルタ
「チベットの娘」 貴族婦人の生涯 リンチェン・ドルマ・タリン 三浦順子・訳 2003/2 中央公論新社 初訳1991中公文庫 原書1969? この本の原書はいつでているのか、と思って奥付やら巻頭を見たが、なかなか見つからない。推測するに、どうやら初版は英語版で1969年にでて、しばらく絶版になっていたが、第二版はそれからの17年間の著者と家族について加筆されて1986年に出た。その直後、その版をもとに、日本語訳が、1991年に文庫本として出版された。その後、この本は英語からチベット語訳が起こされ、チベット人向きに著者によって校正されて2000年に出版された。その直後に著者は91歳でなくなった。そして、今回読んだ本は2003年に日本語としてハードカーバー本で再出版されている。なんとも稀有な読まれ方をしている本だが、それだけの価値が十分あるからであろう。 リンチェン・ドルマ・タリン(1909~2000) チベットのラサの貴族の家柄に生まれる。2歳の時、大臣を務めていた父が暗殺される。12歳の時、チベット女性として初めてインドの英語学校に留学。18歳でダライ・ラマ13世の寵愛でチベット近代化の立役者であったツァロンと結婚するが、後にシッキム王家に連なるタリン家に嫁ぐ。50歳の時、ラサの決起と同時にインドに亡命。夫とともに堪能な英語を生かして近代的な教育をほどこす学校を設立するなど、チベット難民と孤児のため、最後まで働いた。見返し著者紹介 巻頭の30数枚のモノクロ写真がなんとも貴重な当時のチベットの風習を伝えていて胸を打つ。この本が貴重なのは、著者が辿った数奇な人生が克明に記録されているからでもあるが、その人生が、激動の20世紀のチベットの中枢にあったことにより、その目撃者としての証言がきわめて貴重であるっからだ。そして、そこに織り込まれたチベット文化の片鱗の数々が、当時のことを知ろうとする読者に、きわめて貴重な資料を提供するからだろう。 天然の要塞にまもられて奇跡的に20世紀半ばまで維持できた中世的封建社会も、東方より牙むく共産主義を前に風前の灯火、だがチベット政府の役人も貴族たちも、自らの足元が崩れかかっていることに気づこうとしない。変革を求める声にもあえて耳をふさぎ、繁文褥礼にこだわり、のんびりとパーティにあけくれるのみ。1950年10月、人民解放軍が東チベットに侵攻、チャムドは陥落する。1951年5月には北京で17条協定が締結され、チベットは独立を失い、中国に併合された。貴族にとっての旧きよき社会の終焉であった。p387訳者あとがき そういえば日本もまた、長い鎖国政策をとっており、マルコポーロの「東方見聞録」以来、東洋の神秘として、特異な文化とされていた。このようなところにチベットと日本の共通項があり、独自にそれぞれの完成度を高めた、チベット密教と日本禅との、共通した背景があったのかも知れない。 日本人女性であろうと西洋人のご夫人であろうと、もし、20世紀の地球上で生きた90年を超える人生の、克明な自叙伝を書いたとするなら、21世紀にいきる私たちには驚異にうつることがたくさんあることだろう。日本においてもまさに明治時代のことなど、昔の昔のお話となってしまっている。欧米においてもかならずしも、科学と合理性の謳歌する時代ではなかったはずだ。ましてや、ヒマラヤに隠された秘境チベットの生活記録である。驚かないほうがどうかしている。 ただ、このブログにおいては、チベットの異国情緒を楽しむことを目的としているわけでもなく、現代のチベット事情を探究しているわけでもない。出来得れば「700年前のチベット」に生きた16歳の少年であるわが身の前世の全ストーリーの再構成を試みつつ、そこから現在を通じて、さらに未来と伸びているはずの精神性を探ろうというのが、本来の意図だ。20世紀のチベット文化を学びながらも、さらに7世紀ほど遡ることを忘れることはできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.31 12:59:38
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