「失われた世界への旅」 矢追純一・監訳 1996/8 同朋舎出版 原書 The Unexplained 1980,1982,1987,1991
矢追純一といえば、漠然とながらすでにキャラクターは決定していて、私にとっては、この著者が絡んでいるから読もう、というモチベーションは湧かない。むしろ、その逆であることが多いかも知れない(失礼)。しかし、この本はオービス・パブリッシング社の日本語訳である。だからとしても、この本一冊をまるまる読むことは、私にはなかなかできない。苦痛である、と言ってもいいかもしれない。限界をつくるのはいやだが、この辺がこのブログで読んでいこうとしている本の境界ライン、ということになるか。
というものの、この本で取り扱われている世界は、まったくデタラメな世界ということはない。ひとつひとつは、きわめて興味深いことが多い。ただ、いっぺんに不思議世界を並べられてしまうと、読んでいるこちらの収拾つかなくなり、フィクションとして読んだとしても、インチキと決め付けたとしても、未消化なものがかならず残ってしまう。だから、このような本は手にとらないことが多くなる。
ところで、「アガータ:『彼』以降やってくる人々」をテーマとしているわがブログとしては、この本とのつながりをまったく持てないわけではない。このテーマは、過去や不可知な部分としてのアガータ、現在や確実なる存在を表す「彼」、そして未来や新たなるビジョンを表す「やってくる人々」に分かれている。このアガータ=アガルタと見た場合、それはシャンバラ=アガルタを意味し、チベット密教と西洋的シャングリラを連想させ、そこから過去の失われた文明へと想念は飛翔していくのである。
私にとっては、ムー時代があって、その後にアトランティス時代があった、という順序が収まりいいのだが、それにからむレムリア時代はどこなのか、疑問が湧いてくる。なんの確定もないが、もし自分の中の転生歴というものを土台として考えれば、レムリアは、他の二つの古代文明よりさらに以前に存在したものであろうと推測するほうが、納得できる。
若い女性で、火を祭る巫女だったムー時代、若い青年で、岸壁の僧院で瞑想中に、大陸とともに水没したアトランティス時代に比べると、レムリア時代は、かなりの長寿を全うした。ほとんどストーリーが分かっている前半生に比べ、山中のコミューンに隠棲した後半生については、詳しくはわかっていない。しかし、もし転生を繰りかえしているとすれば、このレムリア時代の因果がそうとうに大きいと思われるのだ。
ここである段階までの成長を遂げていたが、究極にたどりつくことはなかった。最後の、そして、最も大きなテーマを残して、ここから延々とつづく旅は続いてきた。だから、この時代の自分にアクセスすることは、自分へのアクセスというより、700年前のマスターへのアクセスでもあり、また、究極の存在にアクセスすることも意味する。なぜ意味するのか、というと、それは説明できない。まずは、そういう過程で、レムリアへの旅を続ける必要がでてくるのである。
700年前のチベット、という時、民衆にもっとも愛されてきたという「ミラレパの十万歌」を読んでいくことが役立つかもしれない。こちらは、ごく最近読み始めたところ。レムリアについては、まだ確たる方法もないが、まったく手がかりがないわけではない。まずは、こんなところまで分かっていればそれはそれでいい。
レムリアの伝説
レムリア大陸は南半球の大部分を占め、ヒマラヤのふもとから南極の近くにまでまたがっていた。レムリアは4000万年以上前に押し流されてしまったが、住人の一部は生き延びて、オーストラリアのアポリジニやパプア人やホッテントット族になったという。p102
この辺の表現は、私にとっては、なんの意味もない。私にとってのレムリアは、いまのところ時間や空間を特定できない。もちろん、その呼称ですら、たぶん正しくはないだろう。ただ、そこから受けるインスピレーションだけが頼りだ。
ドイツの博物学者エルンスト・ハインリッヒ・ヘッケル(1834~1919)らは、大陸消滅説を本気で信じていただけではなく、この説のもとになった動物にちなんで消滅した大陸を「レムリア」と名づけ、レムリアは「文明の発祥地」だったとまで考えるようになった。p103
1888年には、エレナ・ブラバッキーが、レムリア消滅説を強力に支持するようになった。ブラバッキーは接神論教会を設立した謎の女性で、その年に彼女の哲学を述べた「神秘主義」と題する本を出版した。この本にはチベットのマハトマ信徒会から授けられた、世界を支配していると彼女が信じる霊的存在、古代の知恵が含まれていると主張した。p105
マハトマによると、地球は7つの「始祖」となる種族をもつように運命づけられていたという。最初の始祖の種族は目に見えない存在だった。二番目はかろうじて見えた。三番目はレムリア人で、巨大なサルに似た生き物で脳をもっていなかった。四番目がアトランティス人で、完全な人類だったが、黒魔術によって滅ぼされた。いまのわれわれは五番目の種族である。六番目の種族はわれわれから進化し、やがてレムリアに戻って暮らすことになる。最後の七番目の種族が出現したあと、生命は地球を離れ、水星で新たな生命として出発する運命になっている。間は戸ははエレナ・ブラバッキーにそう語ったという。p105
幸か不幸か、このブログでは、まだブラバッキーにダイレクトにあたっていない。引用や孫引き、翻訳などは、なかなか原著者の言葉のニュアンスを充分伝えてくれていないことが多い。しかし、「六番目の種族はわれわれから進化し、やがてレムリアに戻って暮らすことになる」という表現は、割合納得できる文脈だ。なぜなら、自分の転生歴においては、レムリア時代が、もっとも幸せだった、と思えるからだ。家族に囲まれて暮らした、生活が潤っていた、笑って一日を過ごした、と言うより以上に、深い満足感の中で生きていた、というほうが正しい。ただ、ひとつだけ満ちていないものがあった。それは、未来に繋がる道を残さなかったことだ。
スコット=エリオットは「神と交信できる権威たち」からの神秘な啓示を受けただけでなく、世界の進化の最終段階を示す一組の地図も受け取ったと主張した。問題の地図は六枚の世界地図からなり、1896年に出版された彼の「アトランティスの物語と消滅したレムリア大陸」という本に掲載された。107p
1923年にはかつての接神論者ルドルフ・シュタイナーが、レムリアについて親切を発表した。シュタイナーは、1907年にブラバッキーのオカルト・グループを脱会して人知学教会を創設していた。「宇宙の記憶:アトランティスとレムリア」と題する自著の中でシュタイナーは、レムリア人について、知能は低いが思いものを意志の力で持ち上げることができると書いている。p109
1932年にはエドワード・ランサーという記者が「ロサンゼルス・タイムズ・スター」に記事を書いた。
ランサーによると、夜、アメリカのオレゴン州ポートランドに行く途中、シャスタ山を通過する列車に乗り合わせて、山の中に赤と緑の光がまたたいているのを見たのがきっかけで、レムリア人のことを知ったという。その光を不思議に思っていた彼に、車掌があれはレムリア人が「儀式を行う」ために灯しているのだと教えてくれたのだという。p110
その後ランサーは直接シャスタ山に探検にはいり、エドガー・ルーチン・ラーキンなる人物とめぐり会う。
ラーキンは果敢にも、誰も接近したことのない秘密の村の近くまで行ったことがあるらしく、大理石やオニキスの岩肌を削って建立したマヤの寺院に匹敵するほど美しい寺院を、高性能の機材を使って観察したといった。ウィードの住人はときおりレムリア人に出会っていたが、レムリア人は外部と接触していないように見えた。背が高く友好的で気品があり、髪は短く刈って、清楚な白いローブをまとっていたという。p110
まとなお話とは、うけとれない。だが、短い髪はともかくとして、友好的で気品があり、清楚な白いローブをまとっていた、という表現はうなづけるものがある。
レムリア人についての真相はまだ解明されていないのかもしれない。しかし突飛な説はいろいろ登場したが、その最初のきっかけとなったキツネザルはいまも幸せに暮らしている。p112
幸せで暮らしているかどうかは、キツネザルならぬ身としては、これも定かではないが、いずれレムリアへの旅とは、こういう情報や手がかりに囲まれながら、歩いていく旅なのである。