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カテゴリ:レムリア
「シャンバラ」勇者の道 <6>
<5>より続く ふう、ようやく、一通り目を通した。ふと気づいてみれば、まだ絶版にもなっていない市販の本を、これだけ長く引用していいのだろうか、とふと不安になった。いや弁解するわけではないが、細切れに引用しながら、その合間合間に自分なりに感じたことをコメントとして加えるつもりだった。たしかに途中まではその努力はした。 しかしながら、それ以降は、ちょっと個人的な茶々入れのようなコメントなど、加えるような状況ではなくなってきた。自分の書こうとしていることが、次第に浮き上がり、なんともその場にふさわしくないような感じがしきりにしてきて、コメントを差し控えた。せめて、私が転記した文言について、転記まちがいがないことを願うのがせいいっぱいという感じである。 いずれ、もういちど読み直すとして、読みながら思ったことのいくつかを忘れないうちにメモしておこう。 龍の道、というものは分かっていた。しかし、それに先立つ、虎の道、獅子の道、そして迦楼羅(かるら、ガルーダ)の道、というものがある、ということを再認識させられた。これは痛い。なるほど、と思うことしきり。 道案内の達人、ということであるが、当然、私にはOshoがいるわけだし、こうしてトゥルンパにも出会うことができた。しかし、もし私が、700年前のチベットの16才の少年だったとして、その少年が今「勇者の道」を学ぶために、堂長のトゥルンパ師に学んでいるとして、その時、イメージする達人は、レムリアの古老、ということになる。レムリアの古老ではあるが、それは、その少年の過去生であった存在でもある。連綿とつづくこの魂の連鎖を一応、多火手(ダビデ)と名付けておく。「汝の名はダビデなり、ダビデとは多火手なり」というメッセージもあったのだから。 この少年が、やがて連鎖の中で、ごく最近、北米のチェロキー一族に生れていたとしたら、それはどうやら、シャスタ山つながりであろう、ということも少し分かってきた。なにはとりあえず、未整理なものを未整理なままにして置くことも、必ずしも悪いものではない。時期が来れば、形を取り始めることもあるだろう。チベット時代の多火手少年はイメージとしたら、タロットカードでいえば、バトン(ワンド)のペイジというところか。ちょっとイメージとして、向きとか背景は違うが、ここでは、カモワン・タロットを一枚ひいておこう。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.28 22:37:20
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