「グレース&グリット(上)」 愛と魂の軌跡 ケン・ウィルバー /伊東宏太郎 1999/10 春秋社 単行本 399p 原書1991
★★★★☆
ケン・ウィルバーは、このブログにおいていつかは読み込まなくてはならない一里塚として存在していた。過去に何冊か読んでいるし、そのイメージもすでに掴んでいる。あとは最近の彼の動向についてすこしづつ関知して行こうと思っていた。
ウィルバーについて、私がすこし敬遠気味だったのは、日本における翻訳者や出版社に対する違和感がまずあったからだ。それに、難解を極めるウィルバーの一連の著書だが、そのいわんとすることは、私が私なりにOshoや瞑想を通じて得てきたものを凌駕しているとは思ってはいなかったせいがある。
しかし、今回は、この一里塚をなんとか越えようと、思い立って、図書館に在庫してあったうちでも最近刊の部類に属する上下本を借りてみることにした。ああ、あの難解で回りくどい世界にまた突入か、とすこしは覚悟を決めたのである。
帰宅してその表紙をみた妻は、「あれ、今度は小説を読むの?」という。おいおい、ケン・ウィルバーを小説なんて言ってもらっては困る。いくら表紙がやわらかく装丁してあっても、中身はガリガリの理論家によるバリバリの理論書でっせ。ちょっとからかわれたようで腹ただしかった。
しかし、図書館の司書業務を務める彼女の眼に狂いはなかった。背表紙にある図書登録コードは「小説--英語--エッセイ」を意味していたらしい。読み始めてみて、あらためて彼女の指摘が正しかったこを確認した。そして、いままでケン・ウィルバーという人間にもっていたイメージが一変した。数行読んでから、最後のページに到るまで、ページをめくる指が止まることはなかった。
一度離婚歴のあるウィルバーは34歳の時に、36歳のトレヤと劇的な出会いをし、数ヶ月後に結婚式を挙げる。そしてその数日後、トレヤが体調の異常を訴え、やがてそれが乳がんだとわかる。それから、二人の新たなる内面的な葛藤、「旅」が始まり、その経過が、トレヤの日記とウィルバーの追記で綴られている。
この本は日本語訳は1999年だが、英語版は1991にでている。彼らの結婚生活は1983年11月から1989年にトレヤが亡くなるまで続いた。
Wikipediaによれば、最近のケン・ウィルバーついて、つぎのようにある。
著作活動以外では、インテグラル思想の研究組織であるIntegral Instituteの主催、そして、2005年には総合大学であるIntegral Universityを発足、現在同大学のPresidentとして運営の中核を担っている。トランスパーソナル心理学の代表的論客として、その発展に大きく貢献した(1990年代には、トランスパーソナル思想を構成要素として統合するインテグラル思想を提唱して、トランスパーソナルとの「訣別」を表明している)。
インテグラル思想とはなにか、という新たな疑問も湧いてくるが、過去にトランスパーソナル潮流の若き旗手と目されたウィルバーがすでにトランスパーソナルと決別していたとは、興味深い。「日本トランスパーソナル学会」や「日本トランスパーソナル心理学/精神医学会」の取り組みもあり、それを漠然と了と考えていた私だが、今一度、捉えなおす必要を感じた。
また、玉川信明がOshoをトランスパーソナル心理学との相関関係を論じた本なども、新たな視点で見直す必要もあるかな。トレヤの日記にはこうある。
ケンの著作が大きな衝撃を与えているのは、単にアメリカ国内だけのことではなかった。サム(引用者注・シャンバラ出版社長)の言うには、ケンは日本で熱狂的に読まれているけれど、「ニューエイジ」派とみなされているらしい。そう聞いてケンはひどく憤慨した。ドイツでは正統派の著作として扱われ、アカデミズムの世界で大きな流行になっているそうだ。p393
「意識のスペクトル」1977が日本において翻訳されたのが1985年。この直後、日本でもウィルバーは評判となるが、その直後、彼らは、この本に書き出されているような状況に囲まれたのだった。
<下巻>につづく