「ウェブ社会の思想」 <遍在する私>をどう生きるか
鈴木謙介 2007/05 日本放送出版協会 全集・双書 265p
★★★★☆
「カーニヴァル化する社会」につづく一冊。著者には他に「暴走するインターネット」や「<反転>するグローバリゼーション」などがある。
基本的に「カーニヴァル化する社会」の視座を引き継ぎつつ、その未来像にくばくかの「希望」を見出すことをひとつの目標に据えて執筆された。内容はやっぱり難しいものになってしまったかもしれないが、若い人たちが大人になってから読み返すに足る大切な論点を、いくつかは盛り込むことができたと思う。p260
本でもブログでも、読んでくれる対象をどこに絞るかが問題になるが、31歳の「青年」の著者は、読者をさらにもっと「若い人たち」に絞っている。
しかしながら、網羅的にウェブ社会を俯瞰したこの一冊は、年齢に関係なく読んで楽しい。さまざまな問題点に気づかせてくれる。ユビキタスの意味である「遍在するコンピュータ」にひっかけた「遍在する私」をどう生きるか、というテーマはなかなか面白いのではないだろうか。
<遍在するわたし>とは、バーチャルなわたし、すなわちわたし自身が存在を賭けている「わたしを表現するデータ」が、ユビキタスな環境の中であらゆる場所に立ち現れ、わたしより先にわたしを代弁してしまうという事態を指している。p83
私とは誰か、という公案は永遠のテーマであり、ウェブ社会以外であってもいづれ登場する大疑団であるが、ネット上におけるこの問題を追及しようとするのは、好感がもてる。ネット社会の俯瞰的に網羅した本書だが、もれていることも多くある。書くことが出来なかったことの論点を次作の予告編として述べている。
ここで予告編として、少しだけ述べておくならば、「宿命」を巡る議論で興味部会のは、スピノザとニーチェという二人の哲学者の関係だろう。ニーチェがスピノザを自分の先駆者として認めていたことはよく知られているが、両者の議論から得られる印象は、セカイ系と絶望系ほどの落差があるからだ。p262
ネット社会の現実からさらにつっこんで、人間そのものの本質に迫ろうという本は、意外とすくない。著者の次作にも期待したい。