<3>よりつづく
「グーグル・アマゾン化する社会」<4>
森健 2006/09 光文社 新書 253p
池田信夫の「ウェブは資本主義を超える」を読んで、中沢新一の「僕の叔父さん 網野善彦」の中にネグリ&ハートのマルチチュードに触れていることを知った。そして中沢を読みながら、またまたこの森健の「グーグル・アマゾン化する社会」を思い出してしまった、ということである。一度読んではいたのだが、どうも先を急いで読む進め過ぎていたのではないか、そういう反省がどこかにあった。
しかし、再読してみて、やはりすごいライターだなぁ、と思いつつ、感じたもの、感想として自分の中に残ったものは、以前に読んだときとそう変わらない、ということに気づいた。自分のブログを読み返してみても、誤字脱字を初めとして、なんだか面映いところがたくさんあるが、しかし、抜き書きすべき点も、自分なりのコメントも、まぁ、これだけメモしておけばいいのではないか、ということだった。
だから、この<再読>としてのメモをどこかのコメント欄にでも書いておけばいのかな、とも思ったが、一応新しいエントリーとして残しておく。そしてまた、この本を読みながら、や再読すべきは、やはりネグリ&ハートなのだろうという一時的な結論に達した。現在、同時併読しているのだが、最新刊として期待した「芸術とマルチチュード」も昔の書簡集(を装った著書)であるし、「<帝国>」は難解すぎる。つまり、ネット社会に対してもつ期待感とネグリ&ハートの展開する世界が、まだ私の中ではリンクしあい融合しあう、という段階にはなっていない。
スピノザやガタリなどのマルチチュードの語源などについても、もうすこし理解を進める努力をしなくてはいけないだろう。ということで、次なるは「マルチチュード」の再読サイクルにはいっていることをメモしておく。私の読解力では、何度読んでも、それほど理解がすすむものではないだろうが、ないものねだりしているよりも、とにかく何度か読み返していれば、見落としていたことのひとつ二つが見えてくるかもしれない。
<5>につづく