<1>よりつづく

「OSHO:アメリカへの道」砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相 <2>
マックス・ブレッカー /「Osho:アメリカへの道」プロジェクト 2005/10
★★★★★
チョギャム・トゥルンパ の「シャンバラ 勇者の道」を読んだ時に、「世界のスピリチュアル 50の名著」の中の一説を思い出した。
街角やレストランで出くわしただけなら、誰も自分の話しなど聞かないだろう。トゥルンパは言う。しかし、彼がチベット出身で、トゥルンパ・トゥルクの11番目の生まれ変わりと知るや、突如押し寄せてくる。人は精神的助言者を見つけると、その素晴らしい師が宇宙の神秘への扉を開けてくれるに違いないと興奮するものだ。しかし、この興奮が冷めると、残念なことに、真のスピリチュアリティを求める道では、誰も自分を助けてくれないことを知る。独力で退屈な今を重ねてやっていくほかないのである。「世界のスピリチュアル」p348
Oshoのロール・ロイスの台数については、最高台数を97台と言ってみたり、108台と言ってみたり色々あるが、やはり以前からの定説どおり93台どまりだったというのが真相だろう。その台数が何台であろうが、誰かさんたちみたいに、アジア人の物欲だとか、グルイズムの狂気だとか、いろいろ評価するのは可能だろう。
しかし、チョギャム・トゥルンパが言うように、「街角やレストランで出くわしただけなら、誰も自分の話しなど聞かないだろう」現象は、Oshoにも当てはまっただろう。インド人の、小柄な、はげ頭の親父の話など、通常ならいちいち聞いてはいられない。えんらいと? でも、そんなのかんけーね~~、てのが本音だろうなぁ。
Oshoはロールス・ロイスがほしかったのだろうか。いや、そんなことはない、と否定する人は多いだろう。多分50:50くらいの割合で、許容的だろう。では、Oshoは本当にコミューンがほしいと思ったのだろうか。多分この話題になれば、80:20くらいで、それはそうだよ、と言うのではないだろうか。
あの椅子に座ること自体、横柄だとか傲慢だとか感じる人もいるらしい。高いステージに上がること自体、おかしいと。そうなったら、もう、坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いで、何をどうやっても、どうにもならない。80年代の「グルイズム批判」とやらは、どこからどう出てきたのか、定かではないが、まぁ、自己の何かをOshoに投影した可能性はあるだろう。
ロールス・ロイスが108台に到達しなかったことが、Oshoの「失敗」ではなかったように、オレゴンのコミューンが「エスタブリッシュ」しなかったことを、必ずしも、Oshoの「失敗」だとは、私は思わない。Oshoがクッキングしていたのは、ロールス・ロイスでもなければ、コミューンでもない。
「バグワン」はオレゴンで「失敗」したと取る見方はたくさんある。そのことに特に反応する気はない。しかし、その見方をするとするなら、私はもともとOshoのもとに行きはしなかただろうし、とどまることもなかっただろう。あるいは、そこにとどまってしまったら、やはり、「それから」のOshoが見えなくなってしまたのだ。
「アメリカへの道」にしても「My Life in Orange」にしても、「オレゴン」止まりとOshoを見くびってしまうなら、それからは何も見えないだろう。あるいはもともとのアプローチが、そのような限界をもったものだったのだ。問われるべきは、Oshoではなく、近づいた本人その人だ。
人生そのものは、何かを所有したり、しなかったり、あるいは、何かを成就したり、しなかったり、というものが本筋ではない。人生そのものの本質は、もっと別なところにある。本質的じゃないところにこだわってしまうことは、迷いの始まりだ。蛸の吸出し、でもないけど、毒を毒素として一箇所に集めてしまう作業、その作業が、Oshoのワークだった可能性は残されている。
<3>につづく