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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


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2008.02.17
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カテゴリ:スピノザ


「戦後思想の一断面」 哲学者廣松渉の軌跡
熊野純彦 2004/04 ナカニシヤ出版  単行本  270p 
No.1003★★★☆☆

 著者の本は、当ブログでは「西洋哲学史  古代から中世へ」「西洋哲学史 近代から現代へ」「レヴィナス入門」 などを読んできた。この方は、廣松渉の「高弟」と呼ばれた人だった。私は、こういう呼称は個人的には好きではない。師と弟子の関係は、唯一絶対の関係で、誰か他者の師弟関係との比較などされようはずはないのだ。ましてやそこに「高」とか「低」とかあるはずがない。もちろん、自らを高弟と自慢する輩はいないだろうが、自らを「低弟」と卑下する必要もない。小林敏明のように「私淑」したという表明なら、それはそれで美しいと思うが・・・・・。

 当ブログはフィクションやエンタテイメントの領域には出来るだけ踏み込まないようにしている。この本はいわゆるノンフィクションに部類するものであろうが、むしろ、フィクションやエンタテイメントを読みこなす力のある人にとっては、そうとうに面白かろうと思う。逆に、いわゆる理論や運動論として読み進めるとするなら、私は、あっちこっちでぶつかってしまって、正直あまり楽しめない。

 マルクスの「資本論」を「かつて書かれた本の中で最悪の本だ」と喝破することもできないし、「共産党宣言」を「スタイルを愛する、が、内容は嫌いだ」と、一笑に付すことも、私にはできない。それが愛するマスターの言辞であったとしても、鵜呑みに自らの意見として取り入れることはできない。しかし、マスターがそのような評価を与えていたことに、強い重きを置く。

 廣松は、新左翼理論誌「状況」の創刊に一役買っているという。高校生だった私などは、70年当時、多分自室に「状況」誌のバックナンバーを揃えていたはずだ。内容は分らずとも、世界がどのような展開をみせているのか、ある視点から見れば、現在、世界はどうなっているのかを、理解する足がかりにはなっていてくれた感じがする。すくなくとも、執筆人で盛んに登場する著者の名前は自然に覚えたことになる。

 しかし、不思議とこれらの雑誌には巨大企業の広告が多く、違和感がつのった。一説に「総会屋」が企業をゆするために、新左翼雑誌への「広告料」として多額の出費が繰り返されていた、とされるが、その真偽は私にはたしかめようがない。すくなくとも、71年、72年以降は、「状況」誌的な関心よりかは、「話の特集」的な雑誌のほうへ個人的な関心は移っていったのではないだろうか。

 廣松が「資本論の哲学」の「あとがき」にしるしているように、いうまでもなく、「インターナショナル」という表現はありえても、「インターネーション」なることばはおよそ没概念であるとおなじように、「共同主観的」という形容詞、「共同主観性」という名詞的概念はありえても、「共同主観」なるものは、それ自体(あえて廣松用語を使用していえば)一箇の「物象化的錯視」の所産でしかありえない。廣松は、個別的/経験的主観とは区別された「共同的主観」について語っているのではない。「共同主観性」とは、そえゆえまた、なんらかの「実体」をさす概念ではない。なんらかの実態的な共同体そのものを表現することばではありえない。それは、「われ」が「われわれ」となり、「われわれ」が「われ」となる過程とそのていどに応じて、いわばその「関数」として、「機能」的にのみ存立しうるものなのである。p134


 なんであれ、70年的「われわれはぁ~~~~」というアジテーションには決別してきた。実体であれ、機能であれ、私たちの周囲からは「われわれ」は姿を消していった。そして現れたのが「われ」であった。しかし、70年代も過ぎて、80年代を迎えると、「トランスパーソナル」という形で、新たなる「われ=われわれ」概念がもてはやされるようになったのは興味深い。

 廣松渉がなぜにアントニオ・ネグリになれなかったのか、ということを考えて見る。一つは「いのち」であろう。もし廣松が94年に60歳で病没してしまわなかったら、そして21世紀に生きていたら、「マルチチュード」概念に、さらなる意味合いを吹き込んだかも知れないと思う。しかし歴史に、もしも、はない。共産思想家庭に誕生し、ローティーンで共産主義者になった廣松は、91年前後のソビエト崩壊をまざまざと見ながらその死に道に旅立った。その心中はいかほどのものであったのであろうか。

 廣松哲学やその理論は十分理解されておらず、また目立った後継者もないという。まぁ、そのことの意味は深くは問わないが、少なくとも、意味あるものならば、必ずやいのちを持ち、復活するであろう。単純に考えてみると、廣松は幸せだっただろう。彼は自分の人生を一直線に生きることができた。もちろん、山アリ川アリの大変な道のりではあった。しかし、その思想的営為においては、挫折ということを知らない、積み上げの人生を送ることができたと思う。

 しかし、彼が21世紀に生きていて、「マルチチュード」などの新思潮に触れ合流することを試みたとするなら、その時は、廣松は自身で自身の「哲学」を一度「解体」する必要に迫られたことであろう。人生も哲学も真理も、決して直線的な皮相なものではない。むしろう重層的な輻輳的なものだ。一方に地底「岩盤」のような廣松哲学があるとすれば、他方に荒岱介のような「変節」人生があることを、私は由とする。

 本書は、廣松をやや私情を交えたウエットな情感の中で紹介しているが、決してその矛盾や誤謬を甘看しすぎているということはない。積極的にその隙間に楔を打ち込もうとしている兆しが見える。どんな巨人であったとしても、ひとりの人物が一人のみ高く、他の万骨枯るなどという状況はあってはならない。そういう面から、師の屍をあえて、地に戻して肥やしにしようとする弟子達をもった廣松は、結局は、幸せな人生を送ったということになるのだろう。






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Last updated  2008.02.20 13:10:33
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